その他の事務局便り

伊藤益朗

 

●前回の22号で野球道具のご協力をお願いしたのに応えて、デサント様から用具の提供をいただきましたこと、感謝をもって皆様にお知らせいたします。(今回発送分には入れていません)

 

●この春、私は心房細動という不整脈に見舞われ、体がむくみ、寝ていて呼吸が苦しい状況になりました。入院し、カテーテルアブレーションという手法で治療を受け、現在は一定の落ち着きを取り戻しています。足の付け根の血管から心臓の中まで管を通して、余計な電気信号を出す箇所を見つけ、その部分の心臓の内壁を焼くという方法です。よくもまあこのような方法を考え出していてくれたものと感謝しました。私がジンバブエに住んでいたら果たしてこのような治療を受けられたか、マンディ氏のお母様の事を思いました。こうなった時に最も頼りになったのは、妻でした。何があっても私の側にいてくれると言う事の有難さを痛感した次第です。

 

●夏の集いは、厳しい時代でも互いに繋がって生きる勇気付けになるような事がしたいといろいろ頭では考えました。特に会費の目的外使用を皆さんにご了承いただく場としても必要と考えましたが、自分にゆとりがないこの数ヶ月でしたので、充分な準備が出来ませんでした。そこで今回は、開催を見送らせていただく事に致しました。何卒ご了解ください。

 

●7月初め、コーチをしている尼崎産業高校の尼崎記念球場での練習に早く着いたため、公園を散歩していたら、7~8人の男女中学生が、一人の男子生徒を責め、痛めつけている現場に遭遇しました。私は「もうやめとけよ」と、止めに入ったのですが、中学生達は口々に「こいつがうそを言うからや」「こいつの方が悪いねん」「謝まらな許さん」と私に迫ってきます。それに対して私は「お前が最初に許すという勇気ある行動をしてくれたら嬉しいけどな」と言ってみたが、どこまで届いたかは疑問でした。それでも最後は、「おっちゃん大丈夫や、もうせえへん」と女の子らが言ったので、そこで別れました。

また、数日後の新聞に、電車の乗り降りで肩がぶつかった男性同士が駅のホームでもみあっている内にバランスを崩し、入ってきた電車に倒れこんで二人とも亡くなったという記事が載っていました。

どちらも、「自称正義」を曲げない「不寛容が当たり前の雰囲気」を感じた出来事でした。

特に亡くなったお二人は「こんなことなら腹が立ってもやり過ごせばよかった」と、悔やまれているのではと、想像します。

 

●思わず、「参った」と言う出来事に遇いたい。時代とともに、また年齢を重ねるとともに、大抵の事に慣れてしまい、感動しなくなってきたことを、私は悲しく思っていたのですが、7月3日の毎日新聞で、暉峻淑子(てるおか いつこ)さんのインタビュー記事に、ありました、ありました。少し紹介させていただきます。

 

記者:暉峻さんはどんな時に、満ち足りた気持ちになるのでしょうか。

暉峻:私にとってかけがえのない思い出は、2人の子供を育てることで、人間の本来持つ感受性の豊かさに触れたことですね。まっすぐな言動にはいつも、ハッとさせられました。

    例えばクリスマスの朝。長男が枕元にあった積み木の箱を見つけて喜ぶのですが、

私にプレゼントがないと気づくのです。すると「サンタさんに頼んだのはあの1本だけだったの」と言って、積み木を1本残してすべて、私にくれようとするのです。