また会おうな

松本裕一

 

 「また会おう、シーユー!!」とジンバチームの一人一人とガッチリ握手を交わし、新大阪駅に向かうバスの中で別れを告げてから早いものでもう2ヵ月が経った。

 11月7日(日)に阪急電車の駅から永遠に続く上り坂に、息も絶え絶えようやく関学グランドにたどり着いた。するとそこには「ZIMBABWE」の文字を背負って来日した懐かしい面々が勢ぞろいしていた。ゆっくりと近寄っていくと、その集団の中でもひときわ目立つ小さな選手エマニュエルがまず「マチャーン!」と私に気づき叫んだ。その後ろからニョキッと顔を出して190センチを超える大巨人・シェパードがデカイ図体をちょこんと折り曲げて会釈した。すると今度はその横からアイバーソン(NBAのスター選手)ばりのドレッドヘアーにピアス姿のやんちゃ者・ネルソンがウインクを決めてきて、乗り合いバスの運ちゃんになって野性的なオッサン顔になってきたモーガンが何やら訳の分からない「ンデベレ語」で挨拶しニヤッとした。かと思うと小学生時代に野球隊員の村井さんに投球を後逸するたびに後ろから尻を蹴り上げられ野球を始めたラブジョイが目をまん丸にして微笑み近寄ってきた。ブラワヨの空港で別れを告げて以来彼らとは5年ぶりの再会だったが、体のサイズ以外は何も変わってなく安心した。

 しかし5年の歳月とは短いようで長いと感じた。1999年のシドニー五輪アフリカ予選ではキャプテンだったマンディーが今や現役を退きヘッドコーチ、当時若手外野手として活躍したクリフは今や大ベテランの域に達し、他のチームメンバーもよ~く顔を見ればみんな中学校の全国大会で活躍した面々だった。自分たちが小学校や中学校で教えてきたあの子供たちが今や高校を卒業し、ナショナルチームの主力を担っている。とにかく体はデカくなり、バットスイングは以前と比べ物にならないほど速くなっていた。私が観戦したオール関学戦では、現役の大学4年生投手が投げたストレートにも力負けすることなくしっかり振って打ち返していた。試合の勝敗はさておき、4番のシェパードのレフトへの豪快なホームランが飛び出した時には、おそらくその場に居合わせたすべての方々もそうだったように自分も自然とガッツポーズをして飛び上がっていた。

 1999年12月にジンバブエを離れる時「また10年くらいしたら戻って来ようっ!」と考えていた自分の考えも、いざ日本に帰国し仕事と家庭を持ってみるとそれが甘かったことに気づかされる。たまに部屋を整理していると、ジンバ時代の写真に出くわすが、そのたびに「いつになったら俺は彼らにもう一回会えるんだろう・・・」と思っていた。そんな矢先の彼らとの再会だっただけに喜びもひとしおだった。こうしてみんなと再会できたのも、伊藤さんを始め、村井さんや関学関係者の皆さん等多くの方のお陰と心より感謝したい。またジンバのみんなも帰国したら生活は大変だろうが、なんとか乗り越えて好きな野球を続けられるようたくましく生きていってもらいたいと心から願っている。