みんなで達成!日本遠征!

岩永清邦

(青年海外協力隊18年度3次隊・野球・中国河南省新郷市体育運動学校)

 

 私は北京から新型超高速鉄道で約6時間、北京と上海のほぼ中間にある河南省新郷市体育運動学校で、2007年4月から青年海外協力隊として、中学生と高校生を対象に野球を指導しています。2008年7月20日~27日までの8日間、私が指導する新郷市体育運動学校棒球隊(野球チーム)コーチ1名、選手13名(中学生と高校生)が河南省新郷市と姉妹都市の大阪府柏原市へ遠征をおこないました。今年は中日青少年友好交流年に当たり、新郷市と柏原市は今回の訪問を両市の姉妹都市間の交流における重要な一環と位置づけられています。子供達にとって、飛行機に乗ることも海を見ることも初めての経験でしたので、日本滞在期間はすべてにおいて興味津々でした。

 先に新郷市での普段の活動状況を説明させてもらいますと、新郷市での活動ではとにかく練習道具に困っていました。野球にはバットやグローブなどの道具が必要となりますが、できるものは全て手作りしています。ボールは、紐が切れたものばかり使用していました。到底、数も足りませんので、地元の新聞社からもらった新聞紙を丸めて、ガムテープでぐるぐる巻きにしてティーバッティングなどに使っています。また、ベースは玄関マットを切って使っています。そして、ユニフォームも一人一着、二着しか持っていませんでしたので、毎日同じユニフォームを着ている子もいました。子供達は中国に戻ってから練習の時、いただいた洋服を着て、道具を使っている様子を見て、子供達のモチベーション、練習内容も劇的に変わりました。子供達も大変喜んでいますし、みなさまのおかげで、より一層身がはいった練習ができるようになりました。この場をお借りしてお礼を申し上げます。

 また、試合の対戦相手が少ないことにも困っていました。試合を通して自分のレベルや、悪いところなどがわかりますが、学校側の資金援助も少ないので対外試合をすることができませんでした。上海や北京といった野球チームがある都市へ遠征したいのですが、「遠征費用が高いから」と、親からの了承もでず、これまで全く試合をしたことのない生徒もいました。同じメンバーで練習を続けているだけではモチベーションも上がらず、また、技術がなかなか向上しないというのが現状でした。

 そういった中、今回、柏原市をはじめとして、配属先の河南省新郷市体育運動学校、河南省体育局等の協力を受けながら、この遠征を実現することができました。

 新郷の子供達は、柏原市のボーイズリーグの子供達と試合を4試合行いました。結果は惨敗で、最初、1年ぶりの試合で緊張し、表情は硬かったのですが、日本の子供達と試合をするたび緊張がほぐれ楽しく野球をしていました。水族館、プロ野球観戦なども行きましたが、どの場所行っても、興奮した様子で、目を輝かせ集中してみていました。子供達自身やはり何か感じることがたくさんあったようで、見終わった後は日記をつけたり、自分で選手の分析をしたりしている子もいました。

 一番嬉しかったのは、日中子供達同士の交流です。言葉の問題を心配していましたが、私が心配している以上に子供達同士で知っている単語を使って必死に、でも楽しく交流していました。たった数日間の交流でしたが、別れのときお互い涙を流している子もいました。子供達同士では何の先入観もなく、言葉もあまり気にせず交流しているのがとても印象的で、お互いにとって今回の大きな収穫だったと思います。

今回の日本遠征で新郷市の子供達は、たくさんの日本の人たちと交流をしてきました。そして本当に熱烈な歓迎も受けました。つまり、たくさんの人の温かい人情に触れた遠征だった思います。中国に戻ってから彼らの様子を見ますと、これは私なりに感じたことですが、自分の考えを持つようになったとか、相手の気持ちが分かるようになったとか、とにかく、以前は考えきれなかったようなことを、考えられるようになりました。この思春期にあたる年代で、今回の遠征は、彼らの感性に、ものすごく響いた体験だったのではないかと思います。

 日程の内容としては、休憩時間もないぐらい内容の詰まったものでしたので、日がたつにつれ、子供達の疲労感が目に見て分かるものでした。ただ子供一人として、怪我なく、病気なく終えることができたのも、柏原市の方々はじめ、元青年海外協力隊員など、たくさんの人の支援があったからこそ無事に終えたと思います。今後願うことは、このような市民同士での交流の持続。子供達にはこの経験を通し、相互理解、また個人で何か「気づき」があったと思いますので、これらのことを活かし、これからの野球に対する考え方、取り組み、将来的に何らかの形で野球、または日中関係のことに関わってもらえたらと思っています。(2008年7月記)