アフリカの風を受けて

住友金属野球団 元監督  四田勝康

 

 私が初めて伊藤さんとお会いしたのは1998年2月6日、当時尼崎北高硬式野球部監督の植田君が引き合わせてくれた。私が是非伊藤さんと会ってみたいと思ったのは伊藤さんがジンバブエの野球界の発展のため大きく尽力されていると聞いたからである。

 私はジンバブエという国の名前に懐かしさと新鮮さを覚えていた。というのも1993年12月アフリカ大陸で初めての野球の公式大会「I. B. A. Presidents Cup Baseball Tournament」に日本代表チームとして参加した時にジンバブエチームとも対戦したからである。

 南アフリカのケープタウンで開催されたその大会にはアフリカから南アフリカ、ジンバブエ、ザンビア、ナイジェリア、ナミビアが参加し、その他日本も含め中華台北、フランス、アルゼンチンが加わっていた。

 そのような縁も手伝って今回伊藤さんから原稿の依頼を受け快諾させて頂いた。当時のことを振り返りながら感じたことを素直に書いてみたいと思う。

 私は1993年10月、第20回社会人野球日本選手権大会決勝戦で日産自動車を破り、住友金属野球団として6度目の優勝を果たし、そしてその結果、I. B. A. 大会出場が決まった時、本当にアフリカで野球をやっているのか。いったいどんな所でゲームをするのだろう。そして彼等はどんな野球をやっているのだろうかなどと色々思ってみたりした。またニュースの画面、活字を通してアパルトヘイトによって全世界から認められなかった国、デクラーク、マンデラのノーベル平和賞の受賞、そして内紛、暴動、治安の悪さというものを見聞きするにつけ、いったい我々はどんな環境の中で生活しプレーするのだろうかと不安もあったが大部分は好奇心で占められ、ドキドキしながら出発したのである。大阪(伊丹)を出発して3時間で台北へ、そして8時間待ってのち南ア航空に乗り換え4時間のフライトでシンガポールに到着。シンガポールから一気に乗客が増え機内は満席状態。

 シンガポールを出て8時間経過、現在マダガスカル上空を通過中。時刻は午前4時40分。あと2時間足らずでヨハネスブルグに到着予定。ヨハネスブルグで2時間半待ちののちケープタウンに向かって飛ぶ。約2時間のフライトだ。この時初めて機上からアフリカの大地を見た。感動的だった。歴史と文明の大陸が中国なら、人類と野生生物の母なる大地がアフリカ大陸であろう。私はそのものが持つ時間の長さ、重さに加え、果てしなく続く見渡す限りの黒と緑と茶色の大地に深く感動を覚えたのだ。

12月3日から大会が始まる。ゲームをしているとスタンドで観戦しているファンの人達の素晴らしさがわかる。彼等の歓声、拍手、ブーイングは選手達を楽しくさせ、ハッスルさせ、勇気づけてくれる。彼等は選手のプレーをよく見ている。いいプレーには惜しみない拍手が敵味方の区別なく送られる。またノックアウトされてダグアウトに引き下がる投手に対しても暖かい拍手が送られる。そしてアンパイヤーのジャッジに対して愉快なブーイングが出る。これらはグランドにおける素晴らしい光景だ。プレーをする選手たちにとってこれ程やりがいのある最高の環境はないであろう。

 スタンドのファンが絶妙にベースボールというゲームを演出しているのだ。選手とスタンドが一体となってベースボール(スポーツ)を楽しんでいる。

 しかし、日本では仲々こうはいかない。選手たちはあらゆる評論家?の前にさらされ、まるでゲームに勝つためだけのベースボールマシンとして見られているような気がしてならないのだ。見ているひとも人間なら、やっている選手もすべて心ある人間なのだ。

 そんな中12月7日快晴のもとで我々はジンバブエチームとゲームをした。結果は20-0、6回コールドのゲームとなった。「日本は打撃、守備、走塁とすべてによく鍛えられている。素晴らしいチームだ。」ジンバブエのヘッドコーチ、ソニー・クルート氏がコメントした。世界選手権大会にも出場していたソフトボールから、1年前野球に切り替えたばかり。180cmを越える白人の大型選手ばかりをそろえたが、5失策に加え5暴投2捕逸と守備がまったくのお手上げでゲームにならなかった。競技人口が100人にも満たないジンバブエにとっては強烈な“ジャパンショック”だったようだ。

 しかしベストを尽くせば負けることは恥ずべきことでも何でもないのだ。第1、第2回スーパーボールでグリーンベイ・パッカーズを優勝に導いた名将ヴィンス・ロンバルディは「勝つことがすべてではない。勝利を信じて最後まで戦い抜くことこそ真の勝利だ。」と言っている。

 我々は全勝の圧倒的な勝利で今大会を制した。表彰式で南ア野球連盟のブライアン・ロバート会長は我々日本チームの強さをたたえた後、「アフリカの選手が最後まで勝利を信じて試合をあきらめなかったことを誇りに思っている」と語った。

 負けるのがつらいことに変わりはないし、これからもそうだろう。負けるというのは、そもそも耐えがたいことなのだ。だが、敗北それ自体を成功したかどうかの判断基準にするべきではない。大事なのは敗北にどう対処したかであり、それを糧にどう成長していったかなのだ。

 だれだって負けたくはない。負ければ心が痛むのだ。しかし、負けることと、負け犬になることとは大きな違いがある。敗北とはどんな人間にも起こりうる出来事だ。勝者でさえ負けることなしにすむものではない。負け犬になるということはまったく別のことなのだ。負け犬は自分に負けることを許し、なにひとつ努力することなく自分を気の毒に思う。自分の悲しみの中に溺れてしまうことである。負けても傷つかないようにはなれないし、またそうなる必要もない。負けることが平気になれば闘争心を失ってしまうだろう。そうなれば、目標というものまで失ってしまう。目標の存在は目指すべき方向と向上をもたらすはずだ。ベストを尽くしている限り、負けることは恥ではない。目標をしっかり持って、全力を尽くして戦い抜き、後はその結果がどんなものであっても、あるがままに受け入れる。そんなチームであってほしいと願っている。

 我々は、大会期間を通して地元のひと、関係者から本当に心暖まるお世話を頂きながら過ごすことができた。日本領事館の人達、住友商事の人達、大会役員の人達、送迎バスの運転手の人達、ユニフォーム等の洗濯をしてくれた人達、そしてグランドでボール拾い、バットボーイをしてくれた子供達と多数に及び、心の底から「ありがとうございました」という感謝の気持ちでいっぱいである。

 私はこんな言葉を聞いたことがある。「この世の中、どんなことをするのにも必ず金がかかるものだ。例外はひとつしかない。他人に親切にすることだ。世の中で本当に金のかからない唯一のことだ。親切にするのには10セントだってかからない。それでいい気分になれるんだからな。」この言葉は正しいと思う。私はいい施設だから、いい環境だからいい気分になった、いい遠征になったなどとは決して思わないだろう。この遠征は、経済的なものではなく、ひとの親切、心のぬくもり、暖かさがどれ程大切なものだったのかを、我々に教えてくれたような気がする。

 「衣食足りて栄辱を知る」という言葉がある。昨今の日本の社会は「衣食足りて・・・」どころではない。むしろ、暖衣飽食の世である。だからといって社会に愛や夢が満ちているかといえばそうでもない。逆に、心のぬくもりに飢えているのが現代社会なのではないだろうか。

 

 スポーツ界も大にぎわいである。野球、サッカー等1億総スポーツ評論家となっている。スポーツに限らずさまざまなものが享楽の対象となっている。にもかかわらず精神は不毛であるような気がする。「衣食足りて栄辱を知る」とはいかないのだ。逆に暖衣飽食の時代だからこそ、心の飢餓を生む。人の心がささくれだっているのではないかと多くの人がいら立っているのではないだろうか。だからこそ、心のぬくもりを忘れていないことがわかればホッとする。そういうことを私と同様に、大勢の人たちが確認したがっているのではないだろうか。そしてその中に豊かさとは何か?ということについても、ひとつの大きなヒントがあるような気がする。