マンディ氏の指導者クリニック

アフリカを思う

 村井洋介

  21世紀に入りアフリカは世界の注目を集めています。注目されているのはアフリカ大陸に眠る未開発の石油、天然ガス、鉱物、希少金属といった資源と最近ではそれに加え食料生産地としても注目されてきています。そして既に物凄い額の援助ではない直接投資が海外からアフリカ大陸に流れ込んでいます。しかし一方で一般市民の生活環境はそれ程の改善や発展を享受できていない現実

は何故? アフリカの抱える問題はいったい何が原因なのでしょうか? 何故独立から50年が経過した今もアフリカ諸国の問題は改善されていないのか? 何故改善する為の環境が整わないのか? 何が無いのか・・・

 まずアフリカには多くの我々日本人には根本的に理解することが難しい問題が存在しています。その代表的なものは部族(民族)問題であり植民地政策の過去と宗主国との繋がりです。

 1950年代後半から60年代、現在のケニア、ナイジェリア、ガーナ…と呼ばれる国家は欧州によるアフリカ植民地政策の際に勝手に引かれた国境をそのまま残した状態で独立しました。ですから中には本来は同じ部族、親族であった人々が現在は別国籍になっているケースも多くあります。1980年代に独立した部族数の少ないジンバブエでさえ北部のザンベジ川流域に住むトンガ族が今ではザンビア人とジンバブエ人に、南部のンデベレ族が南アフリカ人とジンバブエ人に別れてしまっています。

 最近では今年8月にアフリカの54番目の国として独立した南スーダンという国がありますが、この南スーダンの民族はスーダンを統治するアラブ系の民族とは違い隣国ウガンダ北部の民族と同じアフリカ系の民族です。アラブ系民族と別れて独立した南スーダンなのですが、一方では同じアフリカ系民族が南スーダン人とウガンダ人に別れています。そしてウガンダを統治するのは北部のスーダン系民族ではなく南部のツチ系民族で、同国南部と国境を接するルワンダやその更に南に位置するブルンジの民族と同じ人々といった具合です。

 因みに1994年にルワンダで起きたフツ族によるツチ族へのジェノサイドの悲劇の際、当時国を追われ難民となっていたツチ族の軍隊(現政権)は同じ部族のウガンダ大統領(ツチ族)のバックアップがあって問題解決のための蜂起をしています。(現ルワンダ大統領は元ウガンダ国軍に所属していました。)

 つまりアフリカに於ける国家という概念は、同じ国土に住む人ではなく同じ民族の人という意識の方が強いようなのです。そうなりますとここからは個人的な意見ですが、その国の政治家達が考える「国のため」という発想=「同民族・同部族のため」ということになってしまっている感があります。

 そして悲しいことに今も尚続く国内の部族間問題の背景には旧宗主国によって植民地統治をし易くするために意図的に操作されたもので元々部族間に存在してはいなかったものが少なからずあるのです。

 私自身を振り返ってみますと日本に居た頃は日本人という意識が薄かったことは否定できない事実でした。日本に居た頃は名古屋出身を馬鹿にされると腹が立ちましたが、日本人を馬鹿にされることにそれ程腹が立ったという記憶はありません。しかしこうして海外に生活すると日本人であることを強く意識しますし、日本や日本人を馬鹿にされると腹が立ち、褒められると嬉しく思います。

 その中の一つに、目にする機会が多いスポーツがあります。世界を相手に活躍する日本人を誇りに思い心から応援します。つまりスポーツは国作りに貢献できる一つのツールである…と思います。勿論、実際スポーツの現場に於いてはそれが犯罪・紛争・教育・貧困といった諸問題や拡大する格差社会の改善といったものに貢献するというような事まで考えるのは非常に難しく、しかもそんな事までも考えていられないという現実もあります。しかしスポーツ支援には途上国の発展に貢献できる力があるのではないか・・・。

 アフリカ大陸で開催されたサッカーのワールドカップ南アフリカ大会はアフリカ人を団結させ国家というものを意識させた素晴らしい成果を生んだと思います。技術が発展し衛星放送が普及した今、アフリカでもオリンピックや他の競技が人々の目に触れる機会が増大しています。

 現場(現地)で活動している時にはさほど強く感じませんでしたが、野球を離れアフリカを離れてアフリカ担当の仕事をしている今、アフリカの発展には、やはりなによりも現地の人が主体で関与しなければ根本的な解決に繋がらない、その為には時間は掛かってしまいますが“人作り”が最も大切な事であると感じる今日此の頃です。“人作り”が“国作り”なのではないかと思います。その“人作り”に貢献するスポーツを支援することでアフリカを支援するという方法もある・・・と信じたいです。Africa Unit!