アラブの国・シリアでソフトボール普及への挑戦!

岩田章一 ジンバブエOB(平成7年度1次隊)

 

はじめに

皆様ご無沙汰しています。また、はじめましての方もいらっしゃると思いますので、簡単にを自己紹介します。ジンバブエでのソフトボール指導を98年に終え、帰国後JICA(国際協力機構)の協力隊調整員として2000年からヨルダン、2003年からシリアで勤務しております。いつの間にか、アフリカからアラブに変わってしまい、少々寂しい気もしていますが、アラブもまた格別の味があり楽しく生活をしています。

 

アラブのイメージ

 日本ではアラブのイメージは、独裁・戦争・テロ等不気味な印象しかないかと思います。それもそのはずで、日本で報道される内容は、すべて西側によって作られた情報が一因になっています。他方アラブでは、反米・反イスラエルといった報道を当然のようにしています。また、私が現在住んでいるシリアは、ブッシュ政権から「悪の枢軸・テロ支援国家」と呼ばれ、2004年5月には経済制裁も発動されました。さらに、2005年2月にはレバノンの元首相暗殺にシリアが関わったとして、レバノン駐留シリア軍の撤退を余儀なくされたり、ますます暗く悪いイメージばかり先行していると思います。しかし、アラブに住んでみて、これほど治安がよく、親日的で、ホスピタリティーに満ちた国はないと実感もできるアラブ諸国です。アラブはイメージとは裏腹に、住んでみて、人々と接してみて本当の姿が分る地域です(百聞は一見にしかず。皆さん、シリア訪問をお待ちしています。)。

 

文明の十字路シリアについて

 シリアは、東にイラク、西にレバノンと地中海、南にヨルダン、北にトルコと国境を接しています。シリアの中央にはユーフラテス川、イラク・トルコとの国境にはチグリス川と、メソポタミヤ文化を育んだ大河が2つ流れています。古くは、アフリカ地溝帯を北上してきたホモサピエンスがヨーロッパやアジアへ通じる要所として栄え、ローマからのシルクロードの中心地でもあり、農耕の起源もこの地域とされています。そんな影響か、首都ダマスカスと北部都市のアレッポの旧市街は、世界遺産にも登録されている由緒ある古代都市で、歴史を感じながら生活することが出来ます。

 

夢を持った青年がシリアに来た!

 シリアには、1970年から青年海外協力隊が派遣され、今年で35周年になる中東地域では最古参の国です。現在、約50名の隊員が、教育分野、障害者分野、村落開発分野等で日々活躍しています。

 そんな中、2004年12月に一人の日本男児が青年海外協力隊員としてシリアに赴任しました。全身筋肉に被われた上田隆徳隊員(富山県立山町出身)です。上田隊員は、大学時代ソフトボール日本代表候補まで上り詰めた、ソフトボールに関してはエリートの隊員です。彼の活動は、北部都市アレッポにあるパレスティナ難民キャンプ 内の学校で体育教師として現地人教員や生徒に体育指導を行うことです。

 

新プロジェクト企画 

2005年2月、元サッカー日本代表の北澤豪氏がシリアを訪れました。JICAの活動視察を兼ね、全国初のパレスティナ難民によるサッカー全国大会(JICAカップ)に協力してもらうためでもありました。第1回大会は紆余曲折等がありましたが、「来年また会おう。」「次は、ダマスカスが優勝だ!」など異常に盛り上がり大成功のもと終了しました。さらにシリア全国にある難民キャンプでは、しばらくこの話題で持ちきりになり、交流試合などが盛んに行われるようになりました。

この時、赴任間もない上田隊員は、「スポーツを通じて得られる感動はこんなにも人の心を明るくし、活き活きさせるものか」と、とても感動したそうです。それと同時に、「シリアには女性のスポーツ大会がまだ1度も開催された事がないのでは? 」と1つの疑問が生まれ、それが、今回のソフトボール普及プロジェクトのきっかけでした。折しも、2012年のロンドン五輪から野球とソフトボールが除外される時期と重なり、逆風の中、このプロジェクトがスタートしました。

 

道具が届いた。

シリアでは、米国ブランドであるコカコーラやマクドナルド等は承認されておらず、過去にKFCとありましたが、クウェート・フード・センターと読み、いつの間にか閉鎖となっていまいた。そんな所で、ソフトボール道具をどうするかが大きな問題でした。隣国ヨルダンにはスポーツ店の数十軒に1軒程度で、おもちゃのような道具を見たことはありましたが、シリアではまったくありません。上田隊員と話し合い、私たちがジンバブエで行った活動と同じように、上田隊員の地元に中古の野球道具収集の支援依頼を行った結果、立山町民、富山ベースボールクラブの皆様の他から、予想を大幅に上回る道具が集まり、2ヵ月後にはシリアにて第2の人生を歩みはじめることになりました。

 

救世主、中野亜紀さん登場!。

さて、道具の次は、どうやってソフトボールを普及していくかです。私の隊員時代の経験など上田隊員や派遣中のほかの体育隊員(5名)とシリア政府側と一緒に議論していくうちに、一度大きなソフトボールのワークショップを開催し、ソフトボール専門の人に指導してもらう企画を立ち上げました。すぐに要請書を取り付け、日本でのリクルートが始まりました。蓋を置けてみると、なんとジンバブエ野球会とゆかりのある人たちが応募してくれています。私がジンバブエ時代に立ち上げたクラブチーム(97年には黒人チーム初のジンバブエ全国優勝達成!)を99年に日本に招待してくれた岐阜県のFUKUJUSOチームからは2名の応募。そして、記憶に新しいジンバブエソフトボール隊員OGの中野亜紀さん。今回の中野さんは、10日間の短期プロジェクトリーダーとして、精力的に活動を行ってくれました。それ以外からの応募もあり、合計5名の短期ソフトボール隊員がソフトボール普及と第1回全国大会 に向けて、シリアで熱血指導を行ってくれことになりました。

私個人としては中野さんとは初対面でしたが、ジンバブエ・伊藤さんという共通の接点があり、同じ釜の飯を食った同志として、最新のジンバブエの様子や教え子のその後など、時間を忘れて語ることができ、楽しく過ごすことが出来ました。また、隊員時代以来7年ぶりに白球を追いかけることも出来ました。中野さん、ありがとうございました。 

 

世界平和を目指して。

さて、シリアでソフトボールを根付かせるには、莫大な労力と情熱が必要です。また、時には経済的な支援も必要かと思います。私たちが目指す本プロジェクトは、ただソフトボールを普及するだけではありません。ソフトボールを通して、学校教育・情操教育の向上、女性の地位向上、パレスティナ難民支援も含めて、ソフトボールがこの国に根付くことを目標に支援して行きます。最終的には、反米の国にソフトボールが根付いた時こそ、真の世界平和が訪れるのではないかとも願っています。

最後に、ジンバブエを応援していただいている皆様には、シリアでのソフトボール普及プロジェクトも、ジンバブエ支援の片隅で応援していただければ幸いです。いつか、ジンバブエの子供たちと交流戦が出来ることを夢見て、古都ダマスカスから皆様のご健康とご活躍を祈願いたします。

以上