ABUJA 2003 オールアフリカゲーム 野球トーナメント  

ナショナルチーム捕手 ラブジョイ(LOVEJOY SAUNGWEME)

 

 

2003オールアフリカゲームは、興奮と楽しさとやりがいのあるイベントとして、多くのアスリートが、多くの競技に参加し、どれくらい自分たちの夢に近づけるかを知るために、技術を競い合いました。特に、日常の生活で野球に対して大きな夢と希望を抱いているすべてのアフリカの野球選手にとって、この大会は、彼らの人生の中での大きな目標となっています。ある人は、彼らの野球を見て、プロの野球をテレビでしか見たことのないアフリカの少年が、野生のガチョウを追いかけているのと同じだと言うかもしれません。しかし彼らは、野球というスポーツに信仰にも近い気持ちを持っており、スポーツといえば、サッカー、クリケットや陸上という国において、野球は彼らの生活の一部となっているのです。

 

興味深いことに、アフリカのほとんどの国では、スポーツは子供が将来よい職業に就き、現状の生活から抜け出るための手段とは、認識されていません。そのような風潮の中で、私たちが野球に誠実な思いを持って打ち込んでいるのは、私たちが野球を心から愛しているからなのです。

 

2003オールアフリカゲームは、ジンバブエチームにとっては2回目の大会参加となり、銅メダルを獲得した前回の99年大会には、今回のチームから6人の選手が参加していました。大会前には、(ジンバブエの野球)協会が、数回の合宿を開催し、大会に備えることができました。スポーツ用品メーカーのMIZUNOのロゴにある通り、「野球は世界を一つにする」という精神が、ジンバブエのチームにはよく現れています。なぜなら、監督兼コーチの村井洋介氏とコーチの伊藤益朗氏は日本人、コーチのフレッド・ヒルトン・ソローズ氏はアメリカ人、そして、我々が大会に出発する日まで、チームと帯同した地元(ジンバブエ)の審判モーリス・バンダ氏は、マラウィ人で、4つの異なる国の人々が混ざり合い、一つになって、チームのそれぞれの部署で働いたことは、野球というスポーツにとっても大きな成果といえるでしょう。また大会参加中に、世界の様々な国から来た人々と出会うことができたのも、もう一つの成果でした。

 

大会に出発する前に、コーチの伊藤益朗氏が、日本のデサント社から寄付していただいたユニフォームと帽子を届けてくださり、私たちのやる気は大いに高まりました。また、コーチのフレッド氏は、大会中に使用した野球用品

 

を、アメリカから手に入れて下さり大変助かりました。チームの士気は大変高まりました。一方、大会は、野球場の整備が間に合わなかったり、ナイジェリアの高温多湿の気候に慣れるのに多くのチームが苦労したりする状態から始まりました。しかし、試合をするにつれて、選手はグランドや気候にも慣れ、普段通りのプレーを見せ始めました。選手も審判も、フェアーに試合をしましたが、残念なことに、審判のミスジャッジも多く見られました。アフリカ野球・ソフトボール協会は、審判のジャッジの水準を調査する必要が、特にオールアフリカゲームのような大きな大会では、あると思います。私が見る限り、審判のミスジャッジは、野球というスポーツの発展を妨げると思います。また、オールアフリカゲームのような大会で、野球の先進国で野球を学ぶための奨学金がもらえる賞があれば、両国の野球の発展と個人の選手にとって大変利益になるでしょう。試合結果については、いくつかエラーや、うまくいかなかった点があったことを除き、ジンバブエチームはよくやったと思います。特に、ナイジェリアと南アフリカ戦では、ねばり強くプレーをしたと思います。

 

もっと海外の野球を学ぶ機会があれば、ジンバブエの多くの選手も高いレベルの野球ができ、日本やアメリカのプロ野球リーグ

 

でも活躍できると思います。

 

最後になりましたが、まだジンバブエの選手に直接会ったことのない日本の皆さんに、財政面で、また野球道具などの物資の面で、そして何よりも精神的な心の面で多くの支援をいただいていることを感謝申し上げます。いつの日にか、私たちジンバブエの選手が、日本のセ・リーグやパ・リーグの選手と競い合って、野球の試合ができることを楽しみにして

 

います。

 

私達ジンバブエ野球選手は日本人の皆様のサポートに大変感謝しています。ありがとうございます。これを励みにこれからも頑張りたいと思いますので今後とも宜しくお願い致します。 (翻訳 村上英樹)

 

(編集者注:ゴシック部分はなぜか初めから日本語になっていました)