ガーナ野球の発展を願って 

はちやちえこ

 

 私がこの国に定住するようになり6年が経ちます。3年程前、テレビ番組の取材現地コーディネーターを引き受けていた関係で、ガーナ野球とかかわりを持つことになりました。

 

 昨年末、同番組から“ガーナ野球の現状”の現地取材の依頼を受け、2代目野球隊員の松本氏に連れられて、ガーナ人コーチたちが巡回する学校を訪問しました。久々に出会う彼らの姿・・・・。大きな声で、何度も同じことを言いつづけ、子供達に熱心に指導をするガーナ人コーチ。数年で野球ができるようになった子供達。たくさんの日本人の方々からの協力により、ここまで発展した現場の熱さに心が打たれました。

 

 現在のガーナ野球では、野球の発展に向けてそれぞれがいろいろなことを考え、努力をしているのですが、運営側と現場側とが理解しあおうとしていません。お互いにあら捜しをし、相手の非ばかりを責め、感情論・水掛論でしか話が進まないということが、この国での野球の発展の妨げになっているのです。どちらも、相手側が必要としていること、そして、それが発展性のあるものか、マイナス要因が多いものなのかなどを考慮し、バランスを考えて物事を判断することをしないのです。自尊心が先に立ち、さりとて、自発的に何かをすることもしない他力本願な彼ら。野球の基本である“チームワーク”はどこへやら・・・。協会と現場との相互理解もなく、発展に繋がっていかないのが現状です。

 

 協力とは、読んで字のごとく、個々の努力を集結して、一つの大きな力を作り上げるものだと思うのですが、個人の努力により、ある程度の技術や知識が身につき、地位が上がりかけると、妬み、嫉みによる足の引っ張り合いが始まるのです。できる人間はやる気がなくなり、まったく発展性がありません。

 

 今年の1月には、初代ガーナ野球隊員の堤氏の企画により、沖縄で行われたアナハイムエンジェルスの入団試験に2名のガーナ選手が参加するというすばらしいチャンスに恵まれ、私もガーナ選手のアテンドとして同行いたしました。試験の結果はさておき、沖縄の専門学校の野球部との合同練習に参加させていただきました。環境の違う二つの国の野球選手が、学びあい、励ましあい、お互いを高めるために皆が協力しあうという、日々の練習から通い合った彼らの心、野球を通じて実現した国際交流はすばらしいものでした。そして、それを経験した彼らには、努力と協力によって実る発展という図式がわかっているのです。妬みや嫉みからのプレッシャーにより、これらのすばらしい経験やチャンスを活用することが出来ないこの国の風潮・・・。

 

 私は、この野球が単なるスポーツではなく、道徳心や協調性、想像力・判断力などを無理なく自然に身につけることができる総合的なカリキュラムとして、野球の発展を望んでいます。野球を通じて、彼らに欠けている“チームワーク”の必要性を感じて欲しいものです。その時こそ目標に向かってみんなが一丸となれるときなのではないかと思っています。

 

 が、しかし、理想と現実は違います。どれだけこちらの思いがあっても、この国の人たちが私達の協力をどこまで望んでいるものなのか、もしくは、望んでいないかもしれない協力は必要があるのかなど、少々複雑な思いが毎日頭の中をよぎります。

 

 そんなことに悩んでいる私に、ある日、ガーナ人コーチの一人が「いい物を見せてあげるから、1日付き合ってくれ。」と言ってきました。

 

 ちょっとした街角で大人のまねをして、野球をしていた子供達。その辺に捨ててあった“ダンボール箱”を切り取って、上手に手にはめてグローブをつくり、バットはこれまたその辺から拾ってきたであろう角材。ボールは中身を啜り終えたオレンジ・・・。道具がないから、お金がないから、環境が整っていないから野球が出来ないという大人とは違い、子供達のこの純粋さ。そして、一丁前に‘マイグローブ(?)’を持っている彼ら。

 

 想像力と可能性を秘めたこの子供達。子供達の姿を見ていると、つまらないことに悩んでいる自分がなんだかとても、程度の低い人間であるような気がしてしまいました。

 

 6月3日には、念願の長期リーグ戦“トヨタ・ベースボール・チャンピオンシップ”(10月まで)が開幕いたしました。トヨタガーナからのスポンサーにより、ジュニアクラブ8チーム・シニアクラブ6チーム、それぞれ隔週で試合が行われます。

 

これは、現野球隊員の宍倉氏の構想により、試合数を増やし、試合経験と野球技術の向上を図ろうと言う目的と、純粋に野球を楽しめる環境を作りたいというみんなの願いなどを考慮し、始まったリーグ戦です。この機会に、ガーナ野球の大々的なプロモートにつなげようという思いから、開幕前には毎日のように野球協会へ足を運び、協会メンバーの責任を分担し、準備を進めてきました。毎日同じことを言いつづけていた結果、仕事をしなかった無責任なメンバーや、足を引っ張っている関係者などが否応なしに鼻についてきました。開幕式は80%成功と思ったのですが、やはりなにもしなかった協会メンバーから、「このオガナイズはなっていない。」などともいわれました。力量不足の部分は文句を言っているその本人の担当の仕事だということが一目瞭然なのです。残念ながら、矛盾だらけのこじつけたお咎めに一部の協会メンバーは、少しずつ私達に協力体制で動き始めました。まだまだ完璧なものではありませんが、このまま、ガーナ野球協会が、いい方向に向かっていくことを期待したいと思います。_

 

 

 

 

 

ジンバブエ野球会入金者お名前

 

2000年度(2000.6.1~2001.5.31)にご入金いただいた方々は下記のとおり。敬称略

 

ありがとうございました

 

明石正治 赤松一朗 朝田 誠 吾妻 智 阿部俊彦 天春 淳 網野勝史 網野裕美子 荒川俊雄 荒川 健 

荒木 潔 有馬宏昌 粟田浩史 飯尾明郎 飯田守彦 石原一興 石森四郎 石割 徹 伊藤和子 伊藤卓朗 

伊東 登 伊藤博文  伊藤益朗 伊藤征人 井上 通 井上久雄 今本 斉 岩崎広貴 岩田章一 上田博司 

宇都宮年夫 海野典子 梅崎道夫  浦谷行信 浦谷喜八郎 右柳好博 衛藤譲二 江野村 和哉 遠藤靖夫

大阪特販グループ 大嶋 脩 太田昌孝 大谷育弘 大塚恵美 大塚美幸 大塚眞貴 大西 充 大野昭博 

大橋 登 大橋 瞳 岡崎朝絵 岡崎誠吾 岡田千あき 岡田経子 岡田子路 岡本征夫 荻野祐男 尾崎泰輔 

小澤 託 小原正浩 角杉源太郎 梶 正義 金沢泰弘 金光道晴 嘉納 洋 加茂周治 柄谷 桂 仮屋 囲 

川上貴司 神田武男 神田 武 神田治久 喜多泰裕 北畑清誠 木戸孝太郎 木戸朝子 木村 昭 木村二郎 

切貫可一 金 守良 熊谷康夫 栗田裕功 神前俊彦 腰和代 木嶋一黄 五島 浩  小林芳子 小林雅子 

ごはんや 小山誠一 近藤道夫 佐藤江美 澤田眞史 重松るみ 四田勝康 芝川又美 島谷 均  正保富三

須河英博 杉澤俊子 住吉正雄 瀬尾聡司 ZY会有志会 妹尾佳士 田居秀雄 鷹江精一 澤和男 高瀬隆征 

 

谷晋介 橋恭三 林敏子 山 晃 竹内幸雄 竹内利行 竹瀬福次 多田正樹 只政繁広 巽 久一  田辺雅通

谷村友一 田村英夫 蔦 嘉一郎 土屋明生 堤 尚彦 堤 由貴子 出口明子 寺本 徹 天有良祐 東矢高明

時政英之 徳島 浩 徳山銑造 鳥居四郎 中江 惇 中西利一 中西章浩 長沼加代子 中野 明 中村忠史 

中山惠三

 

奈良田美代子 西口 勲 西口幸子 西口 毅 西松凌波 西村 勇 沼野耕三郎 野口由貴子 ノドコ商会 

野橋節子  羽渕 繁 早川正博 林 逸子 原 捨男 桧垣 稔 兵藤輝司 平内 望 平木 覚 広岡正信 

福重雅三 藤井道雄  藤岡敦子 藤下美穂子 藤本正晴 逸見孝太郎 本荘雅章 本多恵子 前島信平 前島宗甫 

増田史郎 増田孝子 

 

待田フミコ 松本商店  松本裕一 三島芳元 水江久代 水島 洋 三瀬和義 光内数喜 宮田典計 村井弘治

 

村井節子 村井達朗 村上晴海/靖子 村上英樹 村川 守 村西康弘 毛利泰子 山尾博人 山形 渡 山口芳子

 

山口吉弘 山下雅之 山田恒治 山田静夫 山村宜之 山本 肇 弓場みね子 ゆめ 吉川美恵子 吉木直也 

吉田京子  吉田貞比古 米田喜和 和田陽之 和田勝行