ザンジバルと白球

JICA青年海外協力隊 平成26年度一次隊

タンザニア・ザンジバル

体育 上原拓

 

 3年前、先輩教師が話してくれた青年海外協力隊員時代の体験談を聴いて、「途上国の子どもたちと??…楽しそうだな」という単純な動機から私の夢は始まりました。

 先輩の話を聴いた翌日、インターネットで調べてみると、現職教員が辞職せずに参加できる現職教員特別参加制度があるとのこと、すぐに申し込み用紙を仕上げて応募しました。沖縄県教育庁の面接をクリアし、東京で行われる二次試験に進みました。語学試験では英検3級程度を求められましたが、それくらいの語学力も無かった私は点数不足のため不合格、大変悔しい思いをしました。

 ちょうどその頃、”アフリカと白球”(友成晋也著) という一冊の本と出逢いました。ガーナで勤務する友成氏が、野球を通して現地の人々と心を一つにするエピソードが綴られています。この本を読むにつれて、野球というスポーツが持つ可能性とは、役割とは、アフリカの地で野球が普及することでアフリカの未来にどのような道が開かれるのか、などと考えるようになり、「野球…これなら私にも出来るかもしれない」と思考が具体化されました。読み終えた時、それまで漠然としていた私の夢は明確なものとなり、自身の経験を国際協力の現場で最大限に活かすことの出来る一つの目標を捉えました。それは「アフリカ野球の普及・発展に寄与する」ということです。

 その目標を果たすためには、どうしても語学力が必要でした。必死で勉強した私は約半年をかけて英検準2級を取得。これでやっと夢が叶うと信じて応募した翌年の募集、どういう訳か県教育庁の面接で「否」という通知結果、二次試験にも進めず終わりました。今では、県教育庁にはもちろん他応募者との兼ね合いがあって総合的に判断されたのだと理解していますが、当時は自身の感情の整理に時間がかかりました。

 翌々年、3度目の募集に挑むことになります。この時、私は一つの決意をしていました。それは、「もし今回ダメだったら休職してアフリカへ行く」ということ。私は協力隊員になりたいわけではなく、アフリカの子どもたちと野球がしたいのだという想いゆえの決意でした。これが叶うならNPOの活動でも、単身飛んで広場を歩き回る活動でも、方法は何でも良かったのです。ただ、現職教員特別参加制度を利用できることや要請が明確なこと、何よりもJICAの全面サポートにより活動に専念できることが私にとって魅力だったので協力隊の募集を待っていただけです。そんな想いで応募した3度目の募集、無事に県教育庁とJICAの両方から了承を頂き、2014年7月より、タンザニア・ザンジバル島に派遣(職種:体育)されています。

 

 ここザンジバルは、どこを見ても手作りのサッカーゴールしか見当たらない野球の全く無い島。3年前、「楽しそう」から始まった私の夢がだんだんと現実味を帯びてきました。

 赴任してすぐ、島岡強氏(ザンジバルに土着し、住民の経済自立に向けた支援活動を約30年前から続けられている革命家)に出逢いました。ある食事会での席、ここの子どもたちに野球を教えたいのですが…と何気なく相談してみたところ、ザンジバルスポーツ局長も野球を始めたいと言っていたと島岡氏。「その方に逢わせてもらえませんか」私はすぐにお願いしました。後日、ハッサン局長を紹介してもらい話を聴くと、野球に興味を示している子どもたちとグラウンドは用意できているが、道具が全く無いとのこと。この道具問題を解決するため、NPO法人アフリカ野球友の会代表の友成晋也氏(JICAタンザニア事務所)に相談してみたところ、有難いことに試合が出来るだけの道具を揃えて提供してくれました。野球の導入を考えていたスポーツ局、それを相談されていた島岡氏、タイミングよく派遣された私、このような有難いご縁に恵まれてザンジバルで野球はスタートすることになったのです。

 そして2014年9月21日、オリンピックアフリカトレーニングセンターにて、ザンジバル島で初めて野球が行われました。野球と言っても、ボールの握り方やグラブのはめ方も知らない子どもたち、すべてが初体験です。左手用のグラブを右手にはめたり、右足を上げたまま右手で投げたりする彼らに、一つひとつを説明しながら5mのキャッチボールをするのが精一杯でした。その後のバッティング練習では私がピッチャーを務め、皆がバッターに立ちましたが、三振も四球も分からない彼ら、来た球を思い切り打つだけ、これが野球の原点だと感じました。その日、「捕れた‼」「当たった‼」と一球一球に一喜一憂する彼らの笑顔を私は一生忘れないと思います。

現在2チームが活動しているザンジバル野球。ルールの複雑な野球を伝えるのは容易なことではありません。しかし、諦めなければいつの日かここに野球が根付き、野球を通して多くのことを学ぶ子どもたちが、将来、この島のリーダーとして活躍してくれるはずです。その先に、国の発展も見据えることが出来るのではないでしょうか。国づくりは人づくり、野球が持つ可能性の大きさを私は信じています。話は飛躍しますが、オリンピック競技への復活が東京だけのものになるのか、東京以降も継続されるのか、それについてもアフリカへの普及が無関係だとは思えません。先日、首都のダルエスサラームで行われた第2回タンザニア甲子園(タンザニア全土から全6チームが集った野球大会)のために、日本から自費で駆けつけてくださった日本野球連盟国際審判員、小山克仁氏と座間邦夫氏は「WBC優勝経験のある日本。日本の野球が世界一なら、野球の普及に向けて世界一の貢献をするべきだ」と語られました。そのような志ある方々のご支援を賜り、微力ながら私も出来ることを続けます。