シェパード・ジバンダ選手ってどんな人?

ジンバブエ第2の都市、ブラワヨ出身の20歳。192cmというジンバブエ人には珍しい長身内野手(主に一塁手)。04年日本遠征時、全関学大戦での本塁打には観ている者みんなが驚き、歓喜した。

以下は、彼にゆかりの深い4人の方々による横顔紹介です。

 

★伊東英治(元ブラワヨ野球隊員)

「ついにやったか!」伊藤さんと村井さんからいただいたメールで、シェパードのトライアウト合格を知った。思いっきり興奮した。

彼が日本でプレーする。それも全国からプロ入りを目標としたすごいやつらが集う四国アイランドリーグでプレーする。ジンバブエ人のプレーヤーがついに・・・。

今から8年程前、私の任地であったブラワヨで、愛敬のある瞳をくるくるさせながらグラウンドにやってきたシェパードと出会った。当時、彼はまだ12歳。プライマリースクール(日本の小学校にあたる)に通っていた。「クリケットならやったことがある」はじめてグラウンドにやってきた彼は言った。ボールを打たせてみると思いっきりクリケット打ちだった。しかし一言アドバイスするとすぐ修正できる。プレーにも性格にもクセがなく本当にまっすぐなやつだった。その後も短期間でメキメキと頭角をあらわし、Under13の代表メンバー入りし大活躍した。口数が多い男ではないがいつもニコニコしていて、彼を中心にいつも大勢の友達の輪ができていた。彼なら日本という異文化の中でもだいじょうぶだと思う。昨年の日本遠征で、当時より身長が30㎝以上伸びた190㎝超のシェパードと再会できた。握手したときジンときた。青学の凄いピッチャーから打ったセンターライナーは熱かった。今度は日本でどんな凄いプレーを見せてくれるのだろう。

ジンバブエ野球会のみなさまといっしょに彼をガッチリとサポートしていきたい。

 

★松本裕一(元ブラワヨ野球隊員)

私がシェパードと関わったのは彼が小学校高学年の時から中学1年までの約3年間でした。当時は彼も特に何かがズバ抜けていたわけでもなく、ただ他の誰もがそうだったようにバッティングはとにかく大好きで、体が人よりも大きかった分当たれば打球もよく飛んでいた気がします。当時の彼は一見、背が高く大人しくボ~っとした感じでしたが、野球(特にバッティング)となると一転して積極的で活発なヤンチャ坊主に変身していました。学校の巡回指導で「今からバッティングするから一列に並べ!」と私が切り出すと、30人を超える子ども達の群れから「マ~ツ!ボクが一番最初だぁ~!」と雄たけびを上げながら一人猛ダッシュでいつも列の一番前を陣取っていたのがシェパードでした。あのシェパードが今回ジンバブエ初のプロ野球選手になるとは夢にも思いませんでしたが、ぜひ当時のような野球に対する純粋な気持ちを忘れることなくジンバブエにいる野球少年たちのためにもアフリカ野球のためにもとにかく精一杯頑張ってもらいたいものです。

 

★根岸勇二(1999年4月~2001年4月 元ブラワヨ野球隊員)

<シェパードからのメール(無断掲載)>

Please send me any baseball equipment especially balls.

<どんな野球用品でもいいから、特にボールを送ってもらえないか>

2005年3月14日、シェパードからこんなメールをもらいました。普通、代表選手レベルになるとリストバンドだとかバッティンググローブなどのいわばカッコつけ品がほしくなるものなのに、ボールを要求してきた彼には驚きました。思わず、「まだ練習してんのか?」と聞き返してしまいました。そりゃボクだって彼らには野球を続けていてほしいですが、ジンバブエの経済状況を考えるとそんなことは言えないからです。そして5月、

We are trying bring Baseball alive again because a lot of players have left to some other countries, so we really need some help because we all love baseball inside and doing for the future of baseball and other players to come after us and our children. I know it’s difficult for you but any of your assistance that you can help us with will greatly appreciated.

<私たちは野球をもう一度生き返らせようとしています。なぜなら、多くの選手が他国へ去ってしまったからです。私たちは援助を必要としています。なぜなら、私たちはジンバブエ国内の野球を愛していますし、野球の将来や後続の選手たちや私たちの子供たちのために何かしたいと思っています。難しいお願いであることは分かっていますが、どんな援助であっても大変ありがたいです。>

野球の将来、特に彼らの子どもの代のことも考えたこのメールは、まさに「野球は親から子へ伝えるもの。最初のキャッチボール相手は親父であるもの」というボクの協力隊活動のゴールそのものでした。

今回、シェパードが四国アイランドリーグに合格し、アフリカ野球に小さな光が見えたことをとても嬉しく思います。それと同じくらい、ジンバブエ野球の将来を考えてくれている彼を誇りに思います。

最後に、こんなメールを送ってくれるシェパードも大好きです。

I want to come to Japan, find me a girlfriend if you can.

<日本に行きたいです。出来れば僕に彼女を見つけてください。>

彼女は自分で探しなさい。がんばれ。

(村上英樹:訳)

 

★正岡康子(日本でのホストマザー)

10月29日朝8時JR尼崎駅でリムジンバスに乗り込んだシェパードと伊藤さんを見送った。帰宅後、彼の布団を干していた時、関空の伊藤さんから電話、南アの通過ビザが無いので飛行機に乗れず、帰ってくると。そして11月3日滞在ビザ期限一杯まで再び我家に。東京の南ア大使館でビザを取得するため伊藤さんが奔走され、やっと目途が立ち、待つこと3日。我家にあったアメリカ映画のビデオ/DVDを10本余り見終え、TSUTAYAにてビデオレンタル。映画は普段からよく見るとか!夜は私と娘に「ンデベレ語」講座を開いてくれた(笑)

香港の空港から乗り継ぎ時間を利用してe-mailをくれた。“I miss you and Japan!” 11月2日奈良東大寺にて彼が寄進瓦に書いたメッセージ;May all poverty be wiped in the world!(貧困が世界からなくなるように)

「自分がテストに合格するように」と書くのではないかと予想していた私は、彼の優しさに胸がキュンとなった。May God bless him