ジンバブエ「ハラレドリームパーク」完成にあたり

                        アフリカ野球ソフトボ-ル協会

                           広報渉外顧問 村井洋介

 

 例年と比べると遅い雨季がようやく明けた3月、4月イ-スタ-に開催される第2回「ナガセケンコ-少年野球アフリカ大会」に向けてハラレ夢球場の建設はこれまでの遅々として進まなかったうっぷんを一気に晴らすかのごとく急ピッチで工事が進んでいった。

 計画から2年、数々の困難を一つ一つクリア-し、草むらが漸く野球場らしい姿を現したときの感動は、言葉ではうまく表現できないものでした。建設業界のストライキ、労働賃金値上げ、急激なインフレによる物価高、消費税の値上げ、資材の不足、全国規模での暴動、そして二度目の雨季、予算的な設計の変更、色々なものが様々に絡み合い、多くの方々の夢の上に正に襲いかかっていたこの2年間の激動のジンバブエで南部アフリカ初の本格的野球場が完成したことは、映画とは少し違った意味ではありますが、これもまた一つの「フィ-ルドオブドリ-ムズ」と言えるのではないでしょうか。 

 そして4月13日、予定参加国より2ケ国少ない参加となった少年野球アフリカ大会で、アフリカの野球少年たちの歓喜の声がここ「ハラレドリ-ムパ-ク」に響き渡った。 5月4日、夢球場発起人である伊藤益朗氏、奥様の和子さん、長男尚平君、岡崎誠吾氏、和田有二氏、兵庫コスモスの藤本正晴氏、浅尾和幸氏、神戸コスモスから稲家敏雄氏、そして西村政美さんの総勢9名が「ハラレドリ-ムパ-ク」にたたずんだ。

 この9名の方々のジンバブエ滞在中、国際協力事業団、青年海外協力隊野球指導隊員がご一緒させていただいたが、そこで、私をはじめ野球指導隊員一同多くのことを学ばせていただいた。そして今迄にはなかった新しい、素晴らしい関係を野球を通じて、この球場建設を通じて結ばせていただいたことに感謝しております。また、日本にて、アフリカの野球少年たちに大きな夢を与えていただいた方々に、アフリカ野球協会ジンバブエ野球協会、そして子供達を代表し、あらためて厚く御礼申し上げます。

 

 1994年これもまた日本全国の方々の暖かいご支援でジンバブエの少年野球並びに高校女子ソフトボ-ルチ-ムが訪日しました。その時私は次のような言葉を述べ、実感させていただきました。「一人で見る夢はただの夢、大勢で見る夢は現実となる夢」そしてまたひとつ、大勢で見た夢が現実となったことに感謝しております。