ジンバブエで野球を

伊藤益朗

 

●我々は遠いところにいる人に大きな関心を持つ一方、今生活している個々の場でお世話になっている人など、身近の当たり前のことに鈍感になっていないか、注意が必要です。

 

●今回の訪問では、第2の都市ブラワヨで行われた州対抗の全国大会「ドリームカップ」と同大会で選ばれたナショナルチームメンバーによるキャンプを見てきました。この2活動への支援金として要請のあった3,906ドル(485,515円分)を持参しました。着いた日にモーリス氏に現金を手渡すと、その足で宿舎と食事を作って下さる人らに支払に行かれました。

 

●この大会中、選手たちは近くの高校の施設で宿泊し三食を共にしました。宿舎と食事に関しては提供されましたが、片道の交通費だけは自費での参加を求められました。全額を与えられるのは望ましくないとのモーリス会長の判断があったからでした。そのため参加を見送った人もいたようです。私たちはキャンプ終了後に、ブラワヨから首都ハラレにモーリス氏の車で400キロを時速100~120キロ6時間で送ってもらいましたが、途中のグエル市でもその車で2時間、ずっと遠方から選手が参加していたムタレ市への距離はハラレへの1.5倍で、車より遅い乗り合いバスでやってくる選手たちの困難が少し分かったように思いました。

 

●モーリス会長から「ジンバブエ野球会に行事ごとに支援金を要請し受け取る方法より、あらかじめ受け取った支援金を元手にして自分たちの力で運営資金を捻出して行ける方法を探ってはいけないか」という打診を受けました。(例、家を手に入れて家賃収入を得ていくなど)いつまでも与えられる立場を続けるのでなく、次第に自立して行こうという考えは大いに賛成なのですが、皆様からお預かりしているお金でリスクのある使い方をするのは、十分慎重でなければならないと今は考えています。

 

●前野球協会会長マンディ氏とは会えませんでした。今の私の心情としては、マンディ氏は日本人協力者がいなくなってから永年、云わば一人で引っ張って来た苦労にも拘らず、個人商店的運営の一部の不始末をつかれたことによる、人への不信感、孤独感に絶望して身を引いた可能性があったのではとの思いが浮かんできました。

 

●現野球隊員の田澤佑太郎君の話しぶりや指導する姿だけでなく、車から見えた黙々と道を一人で歩いている姿からも、以前の隊員から感じていたのと同じ匂い、つまり「こんなところまで来て野球を伝えている日本の若者がいるのか」という、エネルギーと孤独の中の頼もしさを感じました。

 

●Mhlanguli Muguti選手は2003年のオールアフリカゲーム、ナショナルチームメンバー中最年少17歳で、仲間から「ルーキー」と呼ばれてかわいがられていました。その彼が今回最年長29歳で代表メンバーに選ばれたことは長い時の流れをつなぐ力と感じ、うれしいことでした。

 

●ジンバブエの野球レベルは2003年前後がピークだったのでしょうか。今は復興期の始まりで、私は今後に期待しています。

 

●選手達をコーチしても、実際にどんなプレーのことを言っているのか伝わりにくいと感じたので、田澤君に投げてもらったゴロやノーバウンドを私が自分で処理して見せました。又、ゲームの中で、ゴロはイレギュラーが多く難しいのかなと見えたので、これも私がノックを受けてみて「グランドが悪くても気持ちを整えて手順通りにボールに向かって行けば捕球できる」と実感しました。それを見ていた選手たちの参考になったのなら嬉しいのですが。

 

●現在、ハラレドリームパークは使用権上の都合と、足首の辺までの草、それにフェンスもなくなっており使える状態ではありませんでしたが、建設時の協力者名と村井氏の貢献を記念するプレート2枚は1塁側ダッグアウトの壁に健在でした。ここで確かに野球ドラマが展開されていたことを物語っていました。

 

●11年以上の歳月を経て再会した人々。(ジョン、シェパード、ウィリアム、アメリコ、ルーキー、スチワート、モーリス、ピーター、ウィンモア、順不同)

 

●ジンバブエの人たちが野球に参加することが楽しさや精神安定のみならず、職業支援やエイズ啓蒙他、学力向上、更には人間的成長にも寄与出来たなら尚良いと痛感しました。

 

●リーダーが職業を持っていることは健全で安定した野球成長に重要な要素と感じました。

 

●モーリス氏のリーダーシップ:ナショナルチームメンバーには充分な自覚を促していました。彼のビジョンがはっきりしているからでしょうか、言葉に力を感じました。

 

●おとぎの国のぬいぐるみのような形の真っ白い雲と明るい青空は、ジンバブエの象徴。

 

●ブラワヨの街の並木道には両側に各2列の大きな木が並び、気品と歴史を感じました。

 

●モーリス家でのホームステイは、大変親切にして頂き、負担をかけたのではないかと心配しましたが、彼は「こういうことができる自分にステージを上げて行きたいと思っていたのです」と話していたそうです。心に残る言葉でした。

 

●寒さに弱い私にとって、日本の冬から30度前後のジンバブエに13日間の逃避が出来たことは有り難いことでした。

 

●今の情勢を考え、私たちのアフリカ行きを心配して下さった方がたくさんおられましたが、幸いにも至極安全に過ごし帰国できました。皆さんに感謝しています。

 

●私は、出会いと久々の再会を喜びましたが、お別れする時には、アフリカに住む彼らとは二度と会えない可能性が多いと気付きました。一生の中で人と人が会う機会はそんなに多くはないのでしょう。翻ると、いつも会っている身近な人との関係も「一期一会」ですね。

 

●今思えば、約20年前、ジンバブエに野球場を作ろうとしていた頃は、映画「フィールド・オブ・ドリームス」、歌「風に立つライオン」、人「マザーテレサ」などが私の原動力になっていました。「この世で、こんな私でも、いやむしろこんな私ならこそできることをすればよい」というようなスタンスでいたことを思い出しました。

 

●ジンバブエ野球は、村井氏から続いた創成期の波と、現在の田澤君からの第2の波、今始動。