「ジンバブエと私」

協力委員 正岡茂明

 先日新聞を見ていて、ジンバブエの記事が目に入った。そんな言い方をして申し訳ないが、ジンバブエの記事が出ているなんて珍しい。海外のコーナーなので、伊藤さんに関することでもなさそうだ。どんな記事かなと思って、しっかり読んでみた。要約すると、社会主義者(新聞にはそうは書いていないが)のムガベ大統領が国民の人気取りの政策として農地改革を断行すると頑張っているということだ。この記事を読みながら、普通なら読み過ごしてしまいそうな国に、私は実は大きな関係があるのだと不思議な感動を覚えた。すべては伊藤さんに始まるのだが、伊藤さんにジンバブエの話を聞いて、そんな国どこやねんとは思わなかった。高校で社会科の教師をしているので、普通の人に比べて地理的な知識も少しは多いといえばそれまでだが、何故かジンバブエの名は伊藤さんに話を聞く以前から知っていた。

 ここで私の基本的な(伊藤さんに話を聞くまでの)知識を簡単に話してみたいと思う。ジンバブエの旧国名はローデシアである。ローデシアの名は、イギリスの植民地時代に活躍した(現地の人にとってはひどいことをした)イギリス人のセシル=ローズにちなんでいる。第2次大戦後、南アフリカと同じように白人少数支配(人種差別政策)を行っていたが、南アフリカより一足早く黒人政権が誕生した。そして国名を植民地時代を思い出させるローデシアから、黒人王国時代の遺跡の名であるジンバブエに改め、首都名もソールズベリー(この名もイギリスの政治家から来ている)からハラレに変更したということである。そして何故か、黒人政権誕生の時のニュースをテレビで見て、その時の首相(今のムガベ大統領のようだが)の演説(英語)が非常に上手(力強くというより、滑らかという感じ)だったことを、不思議に印象深く覚えている。だから伊藤さんから話を聞くまでにも、実はジンバブエと私を結ぶ線はあったのだが、その後にこんな形で展開しようとは夢にも思っていなかった。

 ところで、伊藤さんからジンバブエに野球場を造るという話を聞いた時は、正直に言わせてもらえば、実現できるのかな?という印象だった。でもODA(政府開発援助)なんかよりずっとずっと素晴らしい構想なので、私としても何とか協力したいと思った。ちょうどその頃御影高校に勤めていた関係で、神戸市内の高校野球の指導者の集まり(五日会:毎月五日に集まる)の会員だった私は、伊藤さんにも出席してもらい、そちらの方でも協力をお願いしたりした。球場建設が実現したのは、伊藤さんの人徳の為せる業(協力者の多いこと)であることは言うまでもないが、自分の協力度はさておいて、会員の一人として何かうれしくなってしまう。伊藤さんの現地との連絡を含めて、建設完了までの途中のしんどさは(奥さんを含めて家族の方々のご苦労も)知る由もないが、「案ずるより生むが易し」とか「見る前に跳べ(思い切ってやってみる)に限る」などと自己満足し、思い出してはほくそ笑えんでしまう。

 最後に「ジンバブエに野球場を」の一連の活動は、私に単に完成の喜びを与えてくれただけでなく、その他にも将来へ向けてのいくつかの希望や期待を与えてくれた。一つ目は、青年海外協力隊に参加された皆さんにお会いできて、新鮮な刺激や情報を受けられること(中でも今岡さんとはよく

 

お会いしているが、今回の現地スタッフであり、伊藤さんにひらめきを与えた張本人の村井さんとも今年の夏休みに初めてお会いすることができた)。二つ目は、今回のジンバブエ=ツアーには参加できなかったが、次回のツアーには是非とも参加して、私の貧弱な海外体験を増やしたいということ。三つ目は、自分も英語を勉強して、海外でのボランティア活動に参加してみたいという気持ちが強くなったこと、などなどである。すべての震源地、発進基地は伊藤さんだが、お知り合いになれた皆さん(伊藤さんご一家も含めて)のご多幸とご活躍を願い、今後ともよろしくお願いしますということで、結ばせて頂きます。