ジンバブエにいらっしゃった伊藤和子さんへ(返信)

村井洋介

   

 1998年5月2日早朝、大型スーツケース2個、それぞれの手荷物と一家でアフリカはジンバブエへ向けて出発された伊藤さんご一家。これが普通である。しかし私の場合最近日本に帰るときは、出来る限りの物をジンバブエに持ち帰ろうと、空の大型スーツケースと1日分の下着を入れた手荷物で出発し、日本の税関で不審に思われる。シンガポール航空の客室乗務員が、ウットリするほどの美しさならば、シンガポールで8時間のトランジットを有意義なものにする為にも何とかお近づきになろうとあの手この手と作戦を練る(ほとんど成功しない)。南アフリカ航空の禁煙フライトにびっくりし、イライラ気分で飛ぶ。計32時間で目的地へ。「やったー!メチャメチャ長かった!」「さあ一服!」

 

 太陽が顔を覗かせると人々は動き出し、バス待ちの人が。これがまた長蛇の列で、バスもなかなか出発しないし、やっと出発したと思った矢先に故障して、何でこんな早起きしてしまったのかと後悔したりします。星が出ると人々は家の中、星はこれが又ものすごい数、天の川はあまりの星の数に白い霞が掛かったように見え、空飛ぶ円盤の如く真中のあたりが膨らんでいて、銀河系ってこんな形だよと言っている。地球は端っこにあることがよく判る。なーんて感傷に浸っている場合ではない。また停電だ。これじゃあ、飯も食えなきゃ、風呂も入れない。(ジンバブエでは湯沸し機、調理器は電気製品が主流です)

 

 メーターのないタクシー。1992年頃は床のないタクシーも走っていた。シェラトンホテルのタクシーのメーターの速いこと。まるで秒針。でも上がっている金額は1回毎2円程。その車のスピードの速いこと。確かに速い。しかもスピードメーターが壊れていて動いていないのでより一層スリリング。そして歩行者無視の怖い国、まるでひかれ損。だからたまに日本に帰った時、横断歩道が怖くて渡れない私。ちなみにジンバブエで一般人が車に轢かれた場合、轢いた相手が貧乏だったら目も当てられません。コワイ!実感。

 

陽気な乗合タクシーの中のでっかい音楽、ボリュームが大きいのがサービスと思っているのか、すごい。これはもうむかつく域に達しています。しかも独特のあのサウンド(我々はそれをシャマリミュージックと呼ぶ *シャマリ=友達の意。但し初対面でも、友達じゃなくても人々が使う不思議語)。ボリュームが大きいのはただ単にボリュームの調節が壊れているからが殆ど。みんなスリムな体型だからたくさん乗れる。これは正解ではございません。殆どのおばちゃんは強烈にでっかいオシリ。日本でいう「でっかい」とは訳が違うおおきさ。余談になりますが、日本でいう「巨乳」というのもこちらでは標準もしくはそれ以下。しかもたくさん乗るのは、運転手が少しでも多く稼ぎたいから。

 

次列へジャンプ

 

   女の人はとてもオシャレできれい。赤の服を着ている人が多い。確かに。でも日本の赤と違う。単に染色が悪いだけのような気もする。緑色の服もきれい。確かに何色でも似合う。みんな暑苦しい感じがしない。不思議。

本当に。日本の若い人のほうが暑苦しい。薄汚い感じがする。とてもシンプルなおしゃれをしていてギラギラな人はいない。そういえば、この間日本に帰国した時、街の若い女性を見たが、みんな同じ様な服、能面というか病気のような化粧、馬鹿みたいに高い底の靴、茶色の髪に妙な感じを覚えた。女子高校生のルーズソックスというのがありますが、ここじゃあ天然ルーズソックスだ。(但し、夜の街にはギラギラな方もいらっしゃいます)冬なのに日中はやはりアフリカ、暑い。夜はぐっと寒くなる。薄手のコートかセーターがいる。5月でこの寒さですので、本格的冬の7月は本当に寒いです。日によっては明け方氷点下になることも。ちなみに私の両親が初めてジンバブエに来たのは7月、「寒いよ」という私の忠告を軽く聞き流していた2人は半袖シャツで摂氏2度のヨハネスブルグでトランジットを過ごす羽目になった。凄いスピードの車の間を平然と横切る人達に圧倒され、歩行者用信号機の早さに焦る。あってもなくてもあんまり大差はないこの歩行者用信号機。埃っぽさにまいる。でもみんな平気。埃っぽいにもかかわらず。ここで花粉症という奴に会ったことがない。誤解されては困りますので一言申し上げておきますが、我々のイメージとは全く反対にアフリカ人(ジンバブエ人)は、結構身体が弱い。頭痛、腹痛、扁桃腺、持病、仮病とみんな何かしら(言い訳を含め)お持ちです。お前らみんな揃って元気な時はないのか!銀行に両替に行くと、その出入口にガードマンがビシッ!その目付きもキラリ。でもシャツがズボンからチラリ!靴(靴下でなく靴)に穴がポカリ!なんだか、さだまさしの唄のようになってきた。銀行の手続きの長いこと。なかなか始まり終わらない。「何してんねん!」日本なら絶対に言う。でもみんな平気。だって、ティータイム、ランチタイム、私用電話もしなきゃならないし、子供を学校に迎えに行かなきゃ、3時のティータイム、あ!3時を過ぎたら銀行は閉まる。そんなこと、みーんな知ってることだから。じゃあ、右へ習いましょう。その銀行で12歳くらいの男の子、用もないのに、入ってきて(入口狭い)・・・先出のビシッ!のガードマンは何をしていたのでしょうか?用もないガキが狭い入口をいとも簡単に入ってくるとは。

 

 お土産物を買う商店でも必ず入口にガードマンがいてそこに貴重品以外の手荷物を預け、手ぶらで買物をする。スーパーでもそうだった。袋物などは持って入らない。スーパーでは食材のみで、出来合いの日本でいう「おかず類」はない。日本は便利ですね。コンビニに行けば「お惣菜」から何からいわゆるカーチャン要らずのオンパレード。その他、カレー屋、お好み焼き屋、牛丼屋、ラーメン屋、一人暮らしにゃ天国ですね。

 

次列へジャンプ

 

 

 

牛乳は袋の中に入っている。これが結構飲みにくいし、よく漏れている。おかげで、他のものまで牛乳まみれ。ソーセージ用のお肉(渦巻状になった)を買っている人が多かった。これはソーセージ用ではなく、ソーセージなのです。名前はブルフォースといいます。日本のように山盛り買っている人はいない。確かに。山盛り買うお金がないっていうのもあります。そのくせスーパーの買い物カートがレジの所を通らない程でかかったりする。

 

 ビクトリアフォールズを見に行き泊まったエレファントヒルズホテル、広大なとてもステキな一流ホテル。・・・・籠状になったバッグをホテルで買う。・・・・・雨の日、なぜか持っている手が黒くなる。なんで?持ち手の所に黒く模様が入っているところがある。それが水に濡れると流れ落ちる。職人さんきっとそこらの絵の具か墨汁(アフリカに墨汁はないと思いますが)で塗ったのか、せめて油性の黒マジックにしてほしかった。伊藤さん、それはあなたの負けです。

 

 考えてあるなと思ったお土産物。コーラの瓶、ジュースの瓶の「栓、フタ」これをピアス用にきれいにていねいに色を塗り、絵を描いてイヤリングにしてある。これも500円位だったかな、オモシロイ!日本でも売れる。

 

 考えてないなと思ったもの。ナイキエアーと書いてあるのに、エアーの入っているべきところに水が入っているニセモノのナイキ靴。そこいらのお店(露店)で買物をしますとお釣が出ます。そのお釣の出てくるところは、おばちゃんだったらブラジャーの中から、おっさんだったら靴下の中からちょっと生暖かく湿ったお釣、なんてこともあります。ちょっと興奮。

 

 ゾウの一家の会話が聞こえた。(ちなみにジンバブエの現地語でもゾウはゾウです)サファリへ行き、色々な動物達と会う。(サファリ=スワヒリ語で旅の意。但し、1000キロ旅をするのも、隣の家に行くのも、サファリという)この後続くゾウの一家の話は同じアフリカにて、関西にある某はんこ屋のご夫婦がよく似た感じであった事を付け加えさせて頂きたい。

 

この夢球場建設に当たり、最もご苦労なさったお一人である伊藤和子様。初めてアフリカの地でお会いすることが出来、この感動を共有できましたこと、大変嬉しく思います。ありがとうございました。