ジンバブエにやすらぎのある笑顔が訪れるとき

山本肇 (元青年海外協力隊 ジンバブエ隊員)

     

12月1日、エイズデーであると共に映画の日でもあると聞き、陰と陽が同居している「日本」を感じました。娯楽の象徴である映画と、知らず知らずに広がりつつあるエイズ。

 

そんな晩、NHKでエイズの特集をしているのを観ていると、南部アフリカの国の一つ「ボツワナ」(昨年国債の世界評価では日本を抜いたことでも有名)がレポートされました。大人の4割がHIVに感染しており、一人あたり年間400万円のエイズの進行を抑える抗レトロウイルス薬が、国際協力により百分の一の4万円ほどで手に入れることができます。しかし、ほとんどの人は入手しがたく、貧困とエイズによる差別に苦しむ姿がありました。

 

隣国「ジンバブエ」も同じ重荷を背負わされていました。私が在任中に専門家に聞いたところでは、ある中学校のエイズ検査での感染率は80パーセントで、2020年には人口が半分になるという予測もたてられ、大きなショックでした。

 

赴任当時、確かに予防策として、エイズに関する正しい知識を与えるポスターもいたるところで見られたし、無償で避妊具なども配られていました。また、近所のアマイ(お母さん)も子供を産んだ後に夫と別居してまで、その魔の手から逃れようとする姿もありました。

 

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その後、私自身「小さなハートプロジェクト」という制度で、エイズ孤児と呼ばれている子供たちのために施設を造るお手伝いをしていた時に、その触手がかなりのスピードで広がり、ポテンシャルは今や計り知れないということを知りました。なぜならエイズ検査のコストが、低賃金の労働者にとっては一ヶ月分ぐらいに相当したため、発病してから分かる人がほとんどだったのです。抗レトロウイルス薬の存在さえも知られていませんでした。

 

青年海外協力隊の訓練中のマニュアル的な指導でも、血液感染する病気だから、ケガをした者の血液には触れず、水ですぐに洗い流させなさいという解答があったのを覚えています。どんなスポーツをする時でも感染の可能性は無いとは言えないでしょう。「だからスポーツは何もしない」という人は、差別が無知や恐怖からくるものであることを証明しています。

 

聖書にある善きサマリア人の話をご存知でしょうか。道すがらに行き倒れたユダヤ人を、普段偉そうな事を言っている祭司をはじめ、ほとんどの人が見て見ぬふりをして通り過ぎていきました。そこにただ一人、助け、看病した人がいたのです。それは何と、ユダヤ人が差別していたサマリア人だったのです。イエスキリストは、この「隣人愛」を神の国に最も近い行為だと称えました。逆に、明日はわが身かもしれないということも分からない人が多かったという事です。エイズという病気は人間の傲慢さが造りだしたものなのかもしれません。

 

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この同じ地球上にいて無関心のままではいられなくなっています。自分の家族を救うのと同じ気持ちでしなければいけないことがまだまだあるようです。

 

先の南アフリカでの環境サミットひとつ見ても、アメリカは話にならないとして、他の国も危機感はあるにせよ、主張は自国のエゴを踏まえてでしかなく、残念でなりませんでした。日本は湿潤なところです。「情」を大切にしてきた人々なのです。やがて西洋のような乾いた考え方は合わなくなるように私は思います。

 

ジンバブエは白人と黒人が共生しています。私の住んでいたところでは白人の子供は黒人を恐れ、黒人の子供は白人を恐れていました。白人の農場を黒人が襲うということもとうとう現実になりました。ショナ人をバカにして話をしていた白人の若者たちに「なぜ一緒にやらないのか?」と問うと、「文化や食べ物が違うから」。そんな答えが返ってきました。大変残念でしたが、もちろんそんな人達ばかりではありません。

 

 ジンバブエの子供達の「やすらぎのある笑顔」が街や村に満ち溢れ、たとえ物がなくても幸福感が得られる日々が訪れるを祈るばかりです。