ジンバブエの雲

青年海外協力隊OB 鉢呂哲也

 

 私の印象に残るジンバブエの景色は、ビクトリアの滝でも、バランシングロックでもなく、手で触れることの出来るくらい近くに見える雲です。綿菓子のような入道雲が空を漂っているのです。特にこの雲を見ていた時期というのは、自分の任地(首都ハラレから100キロ離れたチェグツという町です)に赴任してからです。ここで3年間、小学校で体育教員として水泳を中心にスポーツを指導してきました。その中で自分の感じたことを書きたいと思います。

 ジンバブエの魅力というのは、その居心地の良さです。それは自分の居場所があるということです。どういう事かというと、会話を通じて自分の存在を表現出来るからです。一番の娯楽というのは、“話す”ことです。みんな各自意見を持ってそれをぶつけ合います。向こうの会話では、“アイワ(違う)”という言葉を良く使います。人の意見に反対してから自分の意見に入るのです。男は土曜、日曜になると飲み屋やボトルストアー(日本で言う酒屋)に集まり、ビールや地ビールを飲みながら語ります。女は近くにいる親戚や友人を訪ね、そこで近況や噂をネタにおしゃべりするのです。日本のように一人で過ごす娯楽、テレビやコンピューター等は高価で、またテレビに関してはプログラム自体も面白くなく、家も小さくて家族も多いので家に籠っているということはほとんどありません。だから人に対して興味があり、すぐ親しく話しが始まります。特に肌の色が違ったせいでしょうが、外に出ると良く声をかけて貰いました。時には煩わしいこともありましたが、いつもかまってもらい孤独ということがありませんでした。そこに自分の存在を感じました。日本でも地方都市に行けばこのようなことがあると思いますが、都市部ではほとんどないと思います。

 私は、東京に住んでいますが、家族以外の人と話しをする機会は余りありません。挨拶にしても向こうでは見ず知らず同士でも平気で交わせたものが出来ません。私の父の話ですが、ある日、家の前を通る小学生に挨拶をしたところ、変な顔をされ足早に逃げられたということです。最近訳の分からない事件が起きているせいだろうと思いますが、寂しいことです。このようなことから、人と人とのコミュニケーションが希薄になってきているのではと思います。人とコミュニケーションがなければ孤独になります。自分の存在自体分からなくなっているのではないのでしょうか。数々の悲しい事件に、このようなことも要因として関わっていると思います。ジンバブエには、日本ほど物がありませんが、日本が昔持っていた大事なモノが残っていると思います。

 

ジンバブエに4年半いましたが、いざその事を書くとなるとなかなかまとまりません。それはとても広く深く、どうしてもすべて正確に伝えることが出来ないからです。3月に岐阜県の少年野球チームが遠征するという話があります。アフリカは遠いとよく聞きますが、飛行機で僅か20時間です。遠い昔の国内旅行(例えば江戸ー大坂)の方がよっぽど遠いと思います。一人でも多くの方に見て頂きたいと思います。ジンバブエの雲を見てのんびりするのもいいものです。