ジンバブエの風に吹かれて

青年海外協力隊OB 木戸孝太郎

 

 私は、平成7年7月から約3年間ジンバブエ国内の野球普及に携わってきました。そして平成10年8月無事帰国し、久しぶりの日本の美しい秋に感動しております。3年の間色々なかたにお世話になりました。協力隊関係者、現地の人々、現地でお勤めされている方、そして日本から支援して下さった皆様と、色々な方の声援で無事やりぬく事が出来ました。本当にありがとうございました。紙面をお借りして、お礼申し上げます。これから私が、ジンバブエの野球に携わって来て感じたことを少々述べたいと思います。

(1)日本でのジンバブエのイメージ

(2)ジンバブエ人と日本人

(3)日本の子供たち

(1)私が出国する以前、日本で描いていたジンバブエのイメージは、かわいそうなアフリカ、いつも新聞やテレビで取り上げる貧しいアフリカと言うものでした。ところがジンバブエに到着後、アフリカに対するそのイメージはすぐに一掃されました。町にはビルが建ち並び、コンビニや携帯電話、朝の通勤ラッシュまであり、私の持っていた裸足の人々、貧しいアフリカ(ジンバブエ)との予想が全く外れました。特別アフリカについて、調べたり話を聞いたりした事はありませんでしたが、日本で得た情報が片寄ったものであることに気付きました。私のアフリカに対するイメージは、新聞や雑誌、テレビから得た情報によって作られたものだと思います。マスメデイアというものは、それらを売るために話題となる情報のみを突出して報道します。つまり人々が興味をひく報道にのみ情報が片寄るのです。長野のサリン事件で感じたように(犯人でない人があたかも犯人であるように報道した事件)テレビや新聞だけで全てを判断するのは少し危険な気がしました。マスメデイアというのは私たちが情報を得る一つの手段であって、絶対信仰は危険であると思います。とりあえずジンバブエはそんな危険な国ではなく、日本と同じように素晴らしい国でありました。

(2)ジンバブエ人と日本人を自分なりに比較すると まず同じ人間が暮らしているのだから基本的なこと、子供を産み育て、1日に2・3度食事をとり、語らい笑い、喜び怒り嘆き悲しみ、そして死ぬ・・・ほとんどのこと(人間として生きてゆくこと)は同じであると感じました。ただ細かな所が違うようです。それを文化や習慣と呼ぶのかもしれません。しかしこの細かなところが、そこで一生生活をしたり、長期滞在したりする時に摩擦を生む原因となります。自分の物差し(日本での価値観)を他国で隠す事には限界があり、物差しを変えられるか、似た物差しの人や場所を探して自分をリラックスさせるかしなければ海外生活は難しいでしょう。

私が言った細かな違いである文化や習慣について日本とジンバブエを本能的・理性的という事で比較しますと、自分の生活を楽しむことに天才で日本人よりも自由気ままに見えるジンバブエ人は本能的寄り、規律正しく日々を過ごし公共の利益を追求する日本人は理性的寄りと言えそうです。どちらが良いとか悪いとか言うのではなく、そういった違いが互いにありそれぞれに学ぶところがあると思います。自分の物差しの大きさや方向を把握し、他の物と冷静に比較出来るなら素晴らしいだろう。それならばもっと人類は優しくなれるし解り合えます。しかし現代は、自給自足の世界ではなく物を作って人に売る時代、人と競争して勝つ事が課せられている時代です。先進国の価値観を受け入れないと途上国はおいてきぼりを食らうのです。一方的な価値観のみに世界のシステムが有利に働いているように思えてなりません。

 (3)日本の子供達。日本に帰って来て最近の子供は変わったと言うことを良く耳にします。一方で親御さんは最近の先生は頼りない、いじめ一つ解決できないということを言います。先生達も最近の親は子供を管理できていないと言っておられます。全くもってどの関係にも信頼がありません。

 

 日本の社会構造が、核家族化、少子化、共働き、テレビ・ゲーム等の普及で、人との触れ合いがとても少ない時代になりました。子供達を含め人との交流の場が減少してきたのです。良くも悪くもそんな時代の中、真っ先に影響を受けるのが柔らかい頭を持った子供達です。もちろん大人達も変化はするのですが、子供達の速度にはついてゆけません。しかし大人達は一方的に最近の子供は変わったと言 うのです。子供達もそんな時代の中、簡単に夢は語れません。満員電車に乗って毎日疲れた表情の大人達を見て、家に帰れば疲れたを連発する大人を見て、将来に不安を抱く・・・。大人って素晴らしいものなのだろうか?逆にジンバブエの子供達は将来に大きな希望を抱いていたような気がします。理由はわかりませんが、それが本来の子供の姿でしょう。私も彼らに負けないようこれから日本で頑張ろうと思っています。