ジンバブエを思う

村井洋介

 

 ジンバブエ野球会活動20年おめでとうございます。その20年目の昨年2017年11月21日、独立後から37年間に亘り政権の座に君臨していたロバート・ムガベ大統領が辞任しました。黒人解放運動の英雄から独裁者へ…そして最後は軍のクーデターによる失脚です。

 独立後の約10年は、順調な経済成長、教育水準の向上、医療の改善を成功させて「ジンバブエの奇跡」とまで賞賛された政策を実施させた人物が、最後はこれまでアフリカに多くいた独裁者と同じ道を辿りました。次期リーダーがジンバブエをどう変えて行くか…次の権力闘争が更なる混乱を招かないか…本当に心配です。

 私が青年海外協力隊で赴任した1992年は、協力隊が赴任するアフリカの国では最高に良い国と言われており、実際に首都ハラレだけではなく主要都市は想像していた途上国の生活とは程遠いものでした。都市部では既に小学生の段階から英語と現地語のバイリンガルで、生活用品や食料品に不自由はなく、本当に豊かであり人も街も華やかに輝いていました。

確か赴任当時の為替レートは米ドル1対ジンバブエドル3.2とアフリカの中で最も高いものであったと記憶しています。後の1円=300兆ドルなどは想像もできない状況でした。

 国の経済崩壊が加速的に進んだのは2000年頃で、私が南アフリカに移る決意をしたのは、経済崩壊と共に進んだ人材流出が原因の医者や看護婦が居ないという状況であった事でした。決め手となったのは、当時1歳の長男がロタウイルスに感染した際に、医者を探して何時間も町中を駆け回り、挙句の果てに血液検査や便検査の結果が1週間掛かると言われ、ぐったりしていく我が子を見たことです。私共は血液検査をした病院から直接空港に向かい南アフリカの病院に向かいました。その子が今年は高校受験です…

 経済だけではなく、教育の低下や人材まで不足してしまった国を立て直すには、そのための環境が整った状態であっても何年も掛かると思います。次期リーダーにはとにかくジンバブエがあの華やかで美しい国に戻るように頑張って頂きたいです。

 それには先ずは人であり、その人作りに微力ながらスポーツも役に立てるのではないでしょうか? 引き続きジンバブエ野球会の同国での人作りへの貢献を期待致します。