ジンバブエ人の最近の生活

ジンバブエ野球協会会長 マンディショナ ムタサ

 

ショナ語での新年のご挨拶 MAKOROKOTO EGORE IDZVA! (マコロコト イゴレ イッザ)

 

社会・経済面

 

 ジンバブエ経済は、急速なインフレによる困難な局面の中にあります。街を歩く普通の人々は、やりくりをするのに苦労しています。基本的な生活用品の価格は毎日上昇しています。闇市に行けば、たいていの品物は手に入りますが、値段は非現実的な値段が付いています。 

 

 現在、政府は、土地再配分計画(一人に一つの農地)を推進していますが、一人で複数の農地を所有している白人たちはこれに反対しています。その結果、白人農場主を支持する欧米の国々は、ジンバブエ政府が人権侵害をしていると非難し、一般的なジンバブエ人の生活にマイナスの影響を与えるような「ずるがしこい」制裁措置をとっています。

 

 これらの制裁措置の影響が現れるにつれて、多くの企業が再編し、経費を抑えるために従業員を削減し、また閉鎖された企業もあります。貧困が国内に広がり、ジンバブエ・ドルの貨幣価値が下がったために、職を求めて、イギリスやオーストラリアのような国に移住する人もあります。これによって、家族の絆や価値観にもマイナスの影響が明らかに現れています。

 

ジンバブエとアフリカのスポーツと人々の生活

 

 経済が停滞するにつれて、多くの人々が職を失い、学生は学校を辞め、家では何もすることがありません。このような人々がスポーツをしに来るのですが、彼らは貧しく、スポーツを上達することもできません。彼らは、スポーツ施設がないため、正しいトレーニングを受けることができず、練習や試合会場まで移動するお金もありません。食事の内容や、スポーツ用品も、国際的な水準に達していません。ほとんどのスポンサーは撤退してしまっています。

 

 植民地時代、そして独立後も数年間は、ほとんどのスポーツは白人のためのものでした。最近になってようやく、様々なスポーツ種目の協会が、黒人もスポーツに融合する計画を始めました。

 

 この状況は、ジンバブエの野球にも当てはまります。現在は、野球という競技も確立されました。12年間の促進計画の成果は、90年には全員が白人選手だったジンバブエ代表チームが、96年には、半分が黒人選手になり、現在では、全員が黒人選手になっているところに現れています。ただアフリカ全体の野球の発展は、各国の政府の支援が少ないために非常にゆっくりしたものになっています。アフリカには野球競技の参加リストに載っている国が、23カ国ありますが、実際には、12カ国で競技が行われています。これら

 

12カ国は、アフリカ全土に散らばっており、定期的に集まって国際試合をすることが難しい状況です。アフリカ各国のチームは、国内に試合相手が少ないため、少なくとも1年に1度は、アフリカ大陸全体の試合をする必要がありますが、実際には4年に1度、オールアフリカゲームでしか顔を合わすことができていません。これもスポンサーの不足と政府の支援不足のせいですが、各参加国の競技人口は急激に増えています。  

 

野球と人生

 

 私が強く信じているのは、野球は完全に人生の一部であるということです。私が望むことは、世界中の人々が野球というスポーツを通じてよい影響を受けることです。ある人が選手として野球を楽しむには、野球というスポーツがどのように進行するか知る必要があります。90度のグランドの中に、丸いボールを打つためには、丸いバットが必要で、バッターは、技術を習得してボールをフェアーエリアに、走者の後ろに、野手のいない所に、またはホームランを打てるようにならなくてはいけません。打った後は、速く走り、動きながら素早く考え、次の指示を聞くポジションをとらなくてはいけません。

 

 このような野球の特徴を見ると、野球選手は、どんな国の人でもよい市民であることが求められているのがわかります。人生において、私たちは様々な状況に遭遇しますが、バッティングと同じで、その状況に対処する決まった公式のようなものはありません。打者は、違ったイニングに、違った投手の違った投球に向き合います。試合やシーズンも違えば、走者がいる、いないの違いがあり、チームが負けている勝っているの違いもあれば、その試合や大会に何がかかっているかの違いもあります。打者は、前回の打席で空振り三振していても次の打席に向かわなくてはいけません。人生も同じで、順調に進んでいる時や、その反対の時もあります。でも人は、先が見えない時もあきらめてはいけません。人はまた、自分が食べ物を食べることができる時に、世界のどこかで誰かが飢えていることを忘れてはいけません。試合に勝った時、それは敗者がいることを意味するのです。もし人が、毎日十分に食べるためには、普段の生活で、グランドで、一生懸命努力しなければなりません。人生は、野球のゲームそのものです。

 

 野手は、ゴロのボールを追い、そのボールをとり、最終的には送球して1つのプレイが完成します。それは、人が経験する孤独な時間の1つでもあります。その人は、心の雑念を消し去り、100パーセント集中しなくてはいけません。その時間は、長くかかることもあります。チームに加わるのはその後です。野手は、この一連のプレイをする技術を身につけなくてはいけません。またそのプレイを、ある時間内にしなくてはいけません。このように、その人は、何をするにも最大限の集中力を持って、時間内にしなければ、望ましい結果が生まれないことを教えられるのです。

 

  私は、世界中の野球の指導者が、野球という素晴らしい競技を通じて、多くの人々の生き方に、間違いなく影響を与えていることを知ってほしいと心から願っています。

 

日本の皆さんへのメッセージ

 

 2004年が皆様方にとってよき年になりますように願っています。また長年にわたるジンバブエの野球振興のための御支援を感謝します。私たちは、日本人の皆さんから多くのことを学びました。このよき関係がこれからも継続し、スポーツと平和の促進に役立つことを願っています。日本が様々な機関を通じて行ってきた、多くの国に対する支援を継続されることが、私の願いであり祈りです。希望のメッセージは多くの国々に届くでしょう。湾岸戦争やイラクでの戦争なども、避けられるかもしれません。またエイズの問題も抑えられるかもしれません。

 

 もし日本人が、英語やフランス語などの主要な言語を話すことができれば、これらの支援を行うことが更に容易になるでしょう。

 

 日本の国民は世界の平和に貢献することができます。世界には、多くの憎しみや争いがありますが、もし日本が平和の促進のために、人間の生命と権利を尊重しながら、もうあと一歩踏み出せば、これらの問題を小さくすることが可能でしょう。

 

 私は、日本がこれまで、自国の文化を守り、人間の生命を尊重してきたことに尊敬の念を持っています。

 

 ジンバブエに関する私の祈りは、経済が回復し、神様が雨を降らせ、飢餓の苦しみが繰り返されないことです。またエイズのワクチンが見つかり、エイズの蔓延が抑制されることです。またイラクの人々にも平和が訪れることを祈っています。

 

  この場をお借りして、日本、ジンバブエ、また世界中の人々にとって、2004年が平和な年になりますように、神様の祝福とお導きをお祈りいたします。

 

(翻訳 村上英樹)