ジンバブエ野球の希望

村井洋介

 

私がジンバブエを離れる今年4月頃は、確か闇為替レート(対米ドル)が最高額紙幣の20000ドルを超えるのではないか・・・また一昨年のような貨幣不足が起こるのではないか・・・といった状況でした。そして7ヵ月後の現在、対米ドルの闇為替レートは1:120000。当然ながら2004年年末には170%まで下がったインフレ率もまた450%を超えてしまった。

そして、戦争、内戦にない状況で最大の経済衰退をした国といわれている。残念ながら現状では経済の回復は期待できない状態であるどころか、更に悪化していくと懸念されている。人材の流出も深刻で、現在、海外で暮らすジンバブエ人が350万人に上るという。

ご存知の通り、ジンバブエの野球選手のほとんどは裕福な家庭の出身ではなく、更に高給の取れる職業に就いてもいない。しかしこの現状の中で生きていかなければならない現実があり、以前のように野球に取り組むことができなくなっている。野球に限らず、マイナースポーツの普及と発展には、やはりある程度の経済の安定、政情の安定は不可欠なのだが、今のジンバブエではそれどころではない。それは私にも充分理解できる。 しかし、「希望」の灯りを消さない為には・・・

9月、伊藤益朗代表と相談し、大きなチャレンジをすることにした。それは、ジンバブエナショナルチームの中心選手であるシェパード・シバンダを「四国アイランドリーグ」トライアウトに挑戦させるというものでした。これは、私にとっても大きな賭けでしたが、これまで14年、伊藤さんはじめ野球会の多くの方々の支えで、様々なチャレンジをしてきた事が、この挑戦を実行しようという心の支えになりましたし、正直なところ、成功すれば、現状では先が見えないジンバブエ野球の一つの「希望」の灯りになると考えられたことから挑戦を決意しました。

10月、またまた日本では皆様に多大なご支援を頂き、シェパードは「四国アイランドリーグ」に挑戦。今回私は同行できませんでしたが、ご同行頂いた伊藤代表の話では、「トライアウトでは、それなりにアピールできたはず。」とのお墨付きを頂いておりました。

11月、待つ・・・。

12月、シェパード合格!の電話が伊藤代表から入りました。正直なところ、日本の野球から離れて14年、日本の野球レベルというものに対し、曖昧な感覚になっていた私は果たしてシェパードが合格に値する選手であるか?に、私の中で確固とした自信が無かったので非常に不安でしたが・・・とにかく良かった。すぐにシェパードを捜索、彼は電話もないので彼とコンタクトの取れる携帯電話を持った人間(モーリス)に連絡、午後4時、ようやく本人に合格を告げることができました。

今の状況では、シェパードがジンバブエ野球の灯を保ってくれる一つの大きな「希望」だと思います。私自身、今後も、どのような形でジンバブエ野球の普及と発展に関わっていくべきかを考えなければなりません。先にも述べました通り、経済と政情の安定なくしてスポーツ振興の進展は有り得ません。今、ジンバブエは冬の時代なのかもしれません。その冬がどれだけ続くのかも判りません。しかし、いずれ訪れるであろう「春」の為にどうすべきかを考えていく所存です。

シェパードが咲かせる花が、ジンバブエ野球という花を開花させる大きなきっかけになることを期待して止みません。(05年12月記)