<ジンバブエ野球会、5年の歩み>

 

1994年8月 「海外に野球場を作りたい」

 

1995年3月 村井洋介氏と電話連絡、ジンバブエに野球場建設で合意

 

1995年6月 村井氏再渡航 野球協会と協議を重ねる

 

1996年5月 野球場建設用地決定

 

1996年6月 伊藤益朗、建設予定地視察の為ジンバブエ初訪問

 

1996年7月 伊藤帰国後ジンバブエFOD委員会発足 募金開始、1000万円集まる

 

アフリカ事情で工事遅れるも、ついに、 

 

1998年4月 夢の野球場、ハラレドリームパーク完成 翌日から、小学生の国際大会で柿落とし

 

1998年5月 野球場を視察の為のツアーに、9名参加 マウンド作り、親善野球に感激

 

1998年5月 関西学院高等部より選抜大会出場時の余剰金の一部300万円を寄付され、野球場更衣室やファールグランドの芝生などに使用する

 

1998年6月 ジンバブエ野球会創設 ジンバブエFOD委員会の野球場完成報告書送付と共に、「ジンバブエの風」創刊号を送付(その後1年に2回発刊) ジンバブエの野球をゆったり気長に応援する本会が発足 応援する者同士の出会いも大切にする。年会費制、1口3000円 

 

1998年12月 ジンバブエの選手達から、クリスマスカードを協力者に送る(その後、毎年続けている)

 

1999年2月 講演会、堤尚彦氏「ジンバブエそしてジンバブエ野球事情」ムビラ演奏、川野和佳子さん

 

1999年4月 堤氏ガーナへ出発 ジンバブエ野球がガーナに飛び火。後に元ジンバブエ隊員松本裕一氏も続く

 

1999年9月 オールアフリカゲーム(南アにて)出場、銅メダル

 

1999年12月 ジンバブエ野球会主催、第一回ドリームカップ(その後、毎年開催)をクラブチーム全国大会として開く ディーゼル不足など、経済不安始まる

 

2000年9月 ホームページを開く

 

2001年2月 講演会、トーマス・C・カンサ氏「南アフリカの子供達と私の見た日本」

 

アフリカの曲演奏、吉田京子さん、原万紀子さん、三木まさよさん

 

2001年7月 村井洋介氏「ジンバブエ事情を語る会(ツアーを前にして)」

 

2001年8月 ジンバブエツアー25名参加。ビクトリアの滝、ボツワナのチョベサファリ、野球場、孤児院視察など

 

2001年9月 村井氏、野球ナショナルチーム監督、ジゼラさんソフトボール協会会長就任

 

2002年2月 村井氏、ジンバブエ野球協会の副会長と技術顧問に就任

 

2002年2月 講演会、西川潤氏「豊かさと貧しさ(共生の世界は可能か)」

 

2002年5月 伊藤、ジンバブエナショナルチームが特別参加した南アの州選抜全国大会を視察 ジンバブエチームは全敗も大健闘

 

2002年8月 講演会、織田美夜子さん「ジンバブエ大統領選挙に監視団として参加して」

 

2002年12月 ドリームカップがオールアフリカゲームの南部アフリカゾーン予選として開催され、ジンバブエは予選を通過、今年開催の本大会に出場決定 ハラレドリームパークで初の本格的国際ゲーム

 

2003年2月23日 青年海外協力隊員OVによるアカペラグループ「音紀行」コンサート開催予定

 

2003年10月 野球、ソフトボール共、ナイジェリアで開催のオールアフリカゲーム(兼アテネオリンピック予選)出場予定

 

2003年4月13日 ハラレドリームパーク完成5周年

 

2003年6月1日 ジンバブエ野球会設立5周年

 

・・・2100年にも、2200年にも、ハラレドリームパークで、ジンバブエで、アフリカで、野球が愛され、続けられていますように・・・