ジンバブエ野球協会への期待

村井洋介

 

 モーリス・バンダに会う機会を得た。少なくとも私がジンバブエを離れた2005年以来なので10年ぶりの再会である。彼は先般「ジンバブエ野球協会」の第4代目会長に就任している。90年代後半からジンバブエ第二の都市であるブラワヨでの野球の普及と発展に尽力してきた人物で、ブラワヨに派遣された協力隊隊員のカウンターパートを長く務めた経験を持つことから、日本や日本人のことも理解できる人物でもある。また南アフリカの大学を出ているインテリで、そのような人物の会長就任はこれからのジンバブエ野球界にとってプラスなことであると思われる。

実は私も1993年に約3ヶ月に亘りブラワヨでの野球の普及活動に携わった経験がある。その際の現地サポートとなるカウンターパートは当時モーリスではなくオジアスとザーという青年で彼等と共に7校の小学校を巡回指導した。そこで私はそれまでの人生で経験したことのない「部族」の違いというものを知ります。今回はその辺りを少しお話したいと思います。

 19世紀から20世紀中期までエジプト、エチオピアを除くほぼ全域が欧州列強の植民地であったアフリカの現在の国境は、ご存知の通り現地のアフリカ人には全く関係のないところで決められたもので、以前は違う部族(=外国人・対立関係)であった者たちが同じ国民となったり、同じ部族の者たちが違う国の国民になってしまったりしたのです。

 ジンバブエの場合も、国内の部族数は非常に少ないものの、これ迄は同胞ではなかった部族同士が同じ国民となっていました。それが首都ハラレ側(マショナランド)のショナ族と、旧首都ブラワヨ側(マタベレランド)のンデベレ族です。その主要2大部族を簡単に分類するとショナ族は農耕民族系、ンデベレ族は狩猟民族系となります。そして当然ながら顔も違えば生活習慣や言語が違う。鰻の焼き方の違いや、関西弁と名古屋弁との違いの比ではないのです。

(主要部族がたった2部族のジンバブエでも色々とあるのに数十、数百部族の共存する国はそれこそとんでもなく大変なことが容易に想像できる。これもアフリカの発展が進まない原因の一つなのかもしれない。)

 では、私が最初に体験した違い…それはこんなものでした。

 当時、小学校の巡回指導には、バット、グローブ、ボールといった野球道具を持って行くのですが、「さあ、野球をしましょう」と道具を広げると、ショナ族の子供達がグローブとボールを持つのに対し、ンデベレ族の子供達はバットを持ちます。勿論、全部が全部というわけではありませんが…。

 また、こんなこともありました。オールアフリカゲームズのためにナショナルチームの選手を選抜したのですが、国のスポーツ局から選抜された選手の部族比率や出身地の比率がよろしくないという御達しが来たこともありました。正直、私には理解に苦しむ出来事でした。

大会期間中もなにかにつけやはりどうしても同じ出身地、同じ部族のもの同士が一緒にという状況になりがちでした。

そして、ナイジェリアのナショナルチームのコーチの際はジンバブエチームの比ではない難しさが存在していました。特に野球協会の役員、チームコーチと選手に多くの部族が入り乱れて…というとってもセンシティブな難しい状況のチームだったことを思い出します。

さて、これからジンバブエ野球協会は新会長モーリスの下で一丸となって再建と発展を必要としています。その辺りについて先般モーリスと話が出来たことは、今後の支援の観点からもとても良かったと思っています。是非、頑張って欲しいものです。

 ちなみにモーリス・バンダの「バンダ」姓のルーツは同じバンツー族でもマラウイです。まとめ役としては吉と出る事を期待して止みません。