ドリームカップ2

~ゾーン6 オールアフリカゲームズ予選~

村井洋介 (ジンバブエナショナルチームコーチ)

 

 1999年からスタートしたドリームカップも今年で4回目を迎えた。ジンバブエ国内のクラブチーム対抗全国大会でもある本大会は、今回に限り2003年にナイジェリアの首都アブジャで開催される「オールアフリカゲームズ」の南部アフリカ地区「ゾーン6」予選を兼ねた国際大会となった。

 

ゾーン6内で野球協会を持つ国は南アフリカ、モザンビーク、ザンビア、レソト、アンゴラ、ナミビア、ジンバブエの7ヶ国あり(アフリカ全体の40%、ボツワナは男子もソフトボール)、その内、南アフリカ、ザンビア、レソト、モザンビーク、ナミビア、ジンバブエの6ヶ国が今大会に参加の予定であったが、11月になって、ナミビアがナショナルチームを編成できず、モザンビークがナショナルチームジンバブエ派遣の資金不足の理由で参加を取り止めた。

 

更に残念な事にザンビアは参加を表明したにもかかわらず、結局大会当日になっても現れず、南アフリカ、レソト、ジンバブエの3ヶ国による予選となった。但し、南アフリカからはナショナルチームと19歳以下全国学生選抜チーム(USSASA)の2チームが参加し、大会は4チームで行なわれた。

 

オールアフリカゲームズには先のアフリカ野球ソフトボール協会会議(11月、レソトで開催)で承認された通り、ゾーン6には2ヶ国の野球の参加枠が割り当てられており、今大会の上位2ヶ国が出場権を得る(但し、2チーム参加している南アフリカは2チームの内の上位チームのみが国代表として出場権を得る)。

 

1999年からドリームカップは雨期の真っ只中に開催されていたものの、過去3年間は雨による中止が一度も無い。但し、

 

今年に限っては、ジンバブエは凄まじい勢いで経済崩壊が進み、更に泣きっ面に蜂の如く11月の雨期に入ってからも一向に雨が降らず、1992年来の旱魃に襲われる危機に面しており、既に一部地域では食糧不足による死者が出ているといった状況から、複雑な思いで大会を待つ事になった。

 

大会開催は例年より約10日遅れの12月15日から4日間、ジンバブエチームは12月8日からこの大会に向けてキャンプに入る事になっていたが、11月から始まったガソリン不足は日に日に深刻さを増し、12月には各ガソリンスタンドに長蛇の列が出来あがっていた(6~8時間待ち)。それに伴い市場のインフレは進む一方で、大袈裟ではなく、昨日の価格が今日は倍になっているという物も出始めた。

 

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12月8日、予定通り、ジンバブエチームはキャンプを開始した。キャンプ突入の2日目からは連日の雨(ジンバブエの場合、雷を伴った集中豪雨)に見舞われキャンプは思うように進まず、大会さえ危ぶまれる状況になっていた。

 

12月13日からは、過去何度もジンバブエを訪問し、野球の発展に貢献しているアメリカ人コーチのバート・ブラッチャ-氏(テキサス州の高校野球監督で、2000年には州のコーチオブザイヤーを受賞)がキャンプに合流、大会に向け、コーチ陣は青年海外協力隊野球隊員の三浦隊員、天野隊員、小澤隊員と小員の5人体制となった。

 

12月13日、南アフリカ、レソトチームの到着予定を明日に控え、奇跡的に天候が回復に向かう中でトラブル発生。既に南アフリカ2チームは国境を越えたとの連絡を受けていた13日深夜、レソトチームの12名のパスポートが期限切れでジンバブエ入国管理局から入国を拒否され国境に立ち往生との連絡が入った。

 

14日朝、協会として入国管理局に事情説明と優遇措置を願う事2時間、5時間後に今回に限り特別措置としてレソトチームの入国が認められた。トラブルはまだ続く、到着予定時刻になっても南アフリカチームが一向に到着せず、探す事数時間。実は南アフリカチームが乗って来たバスが、国境で給油を怠り、更に国境通過後に道を間違えて引き返す途中で燃料切れとなった事が判明。14日夜はハラレから700km離れた所で立ち往生しているバスにこの燃料不足の中、どうやって燃料を届けるかという手配に奔走させられた(レソトチームは14日午後11時にハラレ到着)。

 

トラブルは更に続く、15日午前10時、南アフリカチームがハラレに到着。大会予定の変更を大会役員とコーチ陣で最終打ち合わせの為、ドリームパークに向かったが、今度は球場敷地内に駐車しておいた小員車の窓ガラスが何者かに割られ、車内に置いてあったブラッチャ-氏の鞄(パスポート、航空券、財布、等の全ての貴重品)が盗難にあってしまった。車を停めてからほんの10分ほどの間の出来事で、その後、警察、アメリカ大使館、航空会社と数時間に渡って時間を取られてしまい、ブラッチャー氏と小員は試合の15分前に球場入り、大切な第1試合の対レソト戦を迎える事になった。

 

第1試合、選手、コーチ陣共にプレッシャーの中で試合に臨む。先発のスチワートは上々の立ち上がりで初回のレソトの攻撃を押さえたその裏、ジンバブエはいきなり先頭打者のホームランが飛び出し、終始試合を優勢に進めて6対1で初日の緒戦を飾った。

 

明けて16日。勢いに乗ったジンバブエチームではあったが、第1試合の対南アフリカで完敗。と言ってもここで是が非でも勝つ必要は無いゲームであり、出場2ヶ国枠に入る事が目的である訳で、今のところは大した問題ではない。ここで、コーチ陣は一つの山場を迎えた。第2試合は南アフリカ学生選抜である。

 

やり方によっては充分勝機がある。このゲームに全力を注いで勝っておけば、今後の展開は非常に楽になる。ただ、その為にはもう一人の投手ウイリアムを使う事になり、明日17日のレソトとの第2戦にはウイリアムは使えない。如何せんジンバブエには現在のところスチワートとウイリアムの二人しか先発完投可能で勝ちを計算できるピッチャーがいないのである。中1日で昨日完投したスチワートが第1戦と同じレベルのピッチングができる保証は無いのも実情である。これまでの経緯から集中力、体力ともに今一つ自信の無いこの新しく若いチームが今日の2試合、2連敗後の明日のゲームで絶対に勝てる保証は無いし、怪我も考えられる。レソトも1999年のオールアフリカゲームズから比べると格段に強くなっている。やはり精神的に優位にする為にもここは勝負に出ることにした。

 

キツイ試合だった。7点を先行され前半を終わり、中盤に2点を返すもそれ以上にチャンスを潰していた。ところが、日没迫る8回表に一挙6点を挙げるとその裏の攻撃を辛くもしのぎ、8対7で逆転勝利を飾った。前半を2勝1敗で折り返す事が出来た。

 

17日、これに勝てば自力でのオールアフリカゲームズ出場を手にする事ができる大事なゲーム対レソト第2戦。中盤を終わって何とか4対3で試合を進めるが7回裏に4点を奪われそのまま逆転負け。南アフリカ4戦4勝、ジンバブエ2勝2敗、南アフリカ学生選抜2勝2敗、レソト1勝3敗。明日最終日第1試合で学生選抜に勝つか、2試合目にレソトが負けるまで、オールアフリカゲームズ出場は判らなくなった。

 

18日、ピッチャーが底を尽いたジンバブエは第1試合、試合を優位に進める事が出来ず、9対4で南アフリカ学生選抜に破れた。第2試合、同じくレソトも選手不足で南アフリカ学生選抜に18対0で完敗、他力ながらジンバブエのオールアフリカゲームズ出場が決まった。最終戦となった対南アフリカ戦は3回に一挙7点を奪われたものの、常に押せ押せで4点を返し南アフリカチームを慌てさせた。これからというところで遂に雨が降り出し、結局既に順位も決まっているということから試合を中止、大会が終了した。

 

オールアフリカゲームズまでにはまだまだ沢山の課題が残るが、少しずつ前進していきたい。

 

最後に、今回大会に参加した南アフリカ、レソトの選手、監督全てが「ハラレドリームパーク」を絶賛し、素晴らしい球場とコンディションで野球が出来た事に感謝の言葉を戴いた。