<モリス・バンダ氏から>Facebookにて受信 2013.12.9

 

初めまして、モリス・バンダです。1977年5月ブラワヨで生まれ、高校卒業後、1999年~2004年ブラワヨ科学技術専門学校で大工・建具コースを履修しました。2005年~2008年国立科学技術大学(NUST)で学び、スポーツ科学とコーチ学の学位を取得、2009年はマラウィで体育教師をしました。その後ジンバブエに戻り、国立科学技術大学スポーツ科学・コーチ学部に所属、現在もまだNUSTに勤めています。現在はスポーツ科学の修士号を取るため、2年間の予定で南アの西ケープ県にあるStellenbosch大学で学んでいます。

高校時代スポーツに目覚め、ランニングとサッカーに熱中しました。Ozia Moyoのような先輩や村井氏から野球を教わり、試合の面白さに魅せられました。高校卒業後は堤氏、松本氏、楠木氏他、多くの青年海外協力隊メンバーやJICAの方々とともにボランティアコーチをしました。マンディやジンバブエ野球・ソフトボール協会から多くの支援を受け、私の進む道が決まったのです。

多くの困難にもめげず、私たちはブラワヨの小学校、中等学校、教員大学等100校以上に野球を紹介し、大きな成功を収めました。ブラワヨはナショナルチームに多くの選手を送り出し、地区対抗選手権でも全ての年齢層で優勝しています。私は、ラブジョイ、シェパード、モーガンなど多くの選手のコーチを務めました。2007-8の経済崩壊は、野球普及活動に大きな停滞をもたらしました。多くの有望な選手やコーチたちが生活のため南アやボツワナなどへ出国し、私たちは何年も働いて得た財産をすべて失いました。野球活動は頓挫し、私たちは2008年に再出発しなければなりませんでした。

現在、なんとか活動を再開し、基本的な用具の不足にもかかわらず、学校側から支援を受けています。ナショナルチームとテクニカルチームの再構築を目指しています。テクニカルチームは多くの支援とトレーニングを必要とします。国内外で多くの試合を実施し、メンバーが技術的研修を受けられ、ナショナルチームと交流する機会を増やさなければなりません。過去にオールアフリカゲームやゾーン6(南部アフリカの6カ国)で銅メダルを獲得したことは、大きな動機付けになると共に、ジンバブエが将来アフリカ代表として世界大会に進出する可能性へとつながります。外国からの寄付を待ち、外国製用具を購入するより、国内で用具を製造できるようにしなければなりません。そのためには適正な用具を製作できる人間を育てることが重要です。1999年堤氏と、国内で入手可能な材料を用いてグローブやキャッチャーセット(マスク、胸当て)、ユニフォーム、バットを工夫して作ったことを思い出します。この経験はすばらしく、こうあるべきだと私は信じています。私は野球を愛していて、スポーツの素晴らしさを経験するのも野球です。今日の私があるのは野球のおかげです。この機会を頂き、ジンバブエ野球会の皆様のご支援とジンバブエへの愛に対し、心からお礼申し上げます。皆様の寛容な心に感謝し、今後とも私たちの努力を見守ってくださるようお願いします。個人的には、長年にわたり私を鼓舞してくださる、私の偉大な友人、兄でもある堤氏に深く感謝しています。堤氏は私に、どんな逆境においてもくじけず、強い心を持つよう教えてくれました。短い間でしたが大きな友情を育み、何年も前からの知り合いのように親密になれました。本当にありがとうございました。