事務局からのご報告

伊藤益朗

 

●この所、私たちとジンバブエを結ぶ窓口のマンディ氏が何も要求して来なくなり、その後「マンディ氏がジンバブエ野球協会会長を退任し、南アに居て帰国していない」という情報が伝わって来ました。

また、10月1日に村井さんからアメリカのブラッチャーさんからのメールを転送して頂きました。ブラッチャーさんは長年折に触れジンバブエに渡ってコーチや支援をして下さっている方です。それによると、ブラッチャーさんの組織からの支援金の内の大きな金額が、使途不明になっていて、しかもマンディ氏が彼のジンバブエ滞在中に説明しに来ないというものでした。今後はジンバブエの野球支援をするにしてもマンディ氏を通してするのは変更した方が良いというご意見でした。8月に来日していた南アのカート氏も同じことを言って来られました。

私たちはマンディ氏とメールでコンタクトを取ろうと試みましたが、現在までのところ満足な連絡は果たせていません。連絡を担って下さっている正岡さんご夫妻や村井さんと相談しながら自分たちの立場としての判断をし、今後の進め方を探っていくつもりです。

 

●その一方でふたつの動きがありました。

ひとつは連絡が取りにくくなっているマンディ氏に代わって、ジョン・マジロー氏が12月上旬南アで開かれたアメリカ大リーグ主催コーチング研修会に交通費自費負担で参加したということです。彼は2003年に日本に野球の勉強に来た3人のうちの一人で、2004年の来日ナショナルチーム主将でもありました。マンディ氏の後を継いでジンバブエ野球界のリーダーになるという決心をしてくれたのならうれしいことです。

もうひとつは11月にジンバブエの青年海外協力隊野球隊員が復活したことです。報徳学園高校、立命館大学出身の田澤佑太郎さんです。彼はマンディ氏が会長をしていたジンバブエ野球協会ではなく、首都のハラレメトロポリタン野球協会への派遣となっています。ここはジンバブエ野球協会の下部組織と思います。

 

●今後私たちはジンバブエでの普及活動において、野球協会やジョン・マジロー氏、田澤隊員らと協力し、適切な人や組織を通してジンバブエの野球少年・野球少女達を支援していくつもりです。由って皆様からの年会費によるご支援の受け入れは当面、継続させて頂こうと考えています。1998年にジンバブエ野球会を発足以来、途中で超インフレなどの社会不安で現地支援ができない時期が数年間ありましたが、選手の日本の独立リーグ参加など我々にできる方法で気長に応援するというスタンスでいたため、近年普及活動が蘇ってきた時に、応援を再開することができました。このように様々な制約がある、困難な状況下の国での野球支援ということをご理解頂き、ご無理なき範囲でのご協力を引き続きお願い申し上げます。