事務局だより

伊藤益朗

 

 2000年になりました。私たちにとって、1999年は不況や新しい経済の仕組みに変わる動きの中で誰にとっても厳しい年でした。

 一方、ジンバブエでは昨年末の村井さんのお話によるとガソリン価格が4カ月前の2~3倍になっており、その影響でこれからあらゆるものの値上がりが予想されるということでした。厳しいことに変りはありません。

 厳しいときだからとお互いが奪い合って10の宝をものにするより、相手に与え合って8の宝をお互いに持つほうが幸せではと思ったりしています。

 先生に立たされている生徒たちが校庭で踊っている、エンストしたバスをみんなで押している、洗面器一杯の水で体を洗う、床に穴があいているタクシ-が元気に走っている、赤い大地が雨季の終りには一面背丈くらいの草に覆われている。これらは私が今までに協力隊OBの人たちに聞いたジンバブエのシ-ンです。

 貧しくても、厳しくても、心豊かに暮したいものです。

 これからも野球を通してつながっていきたいと願っています。

 <ご報告>

 ハラレドリ-ムパ-クは内野、外野、ファ-ルグランドと芝生が整い、まるで大リ-グの野球場のように美しくなったと聞いています。2、3ペ-ジの写真をご覧ください。行ってプレ-してみたいですね。

 ジンバブエ代表チ-ムは9月9日からヨハネスブルグで開かれたオ-ルアフリカゲ-ムに出場しました。オリンピック予選を兼ねており、日本でいえばあの松坂投手の熱投で日本中が沸いたアジア予選に当たるものですが、内容はかなり差があるようです。

 もう一つうれしいことがありました。12月3日からジンバブエで初めてのクラブチ-ムの全国大会『ドリ-ムカップ』が私たちジンバブエ野球会後援であのハラレドリ-ムパ-クで開催されました。全国から12チ-ム全てが参加し、私たちの会から交通費の半額と宿泊費、食費、優勝カップを補助しました。今のところ出来れば第2回以降も続けたいと思っています。

 一方、日本では昨年7月31日にジンバブエ野球会の夏の集いを開催しました。ジンバブエの主食であるサザ(とうもろこし)を食べながら楽しいひとときをもちました。

 8月1日から横浜でありました世界少年野球フェア-にジンバブエから小学生とコ-チが参加しました。

 8月3日から岐阜県大垣市でありました高校生のソフトボ-ル選抜大会にジンバブエからクラブチ-ム『マッドキャッツ』が多くの方々のご協力で参加することができました。2勝5敗でしたが新鮮な風を届けてくれました。ともに多くを学び、今後の糧にしてくれることと思います。

 9月頃までに入会済の皆様には、前年同様ジンバブエからクリスマスカ-ドを送ってもらいました。今回は差出人の住所氏名を書いてあるものが多いと思います。もしご希望でしたら返事もお出しください。葉書なら70円です。

 会計について。昨年8月、今年度分として50万円を村井洋介さんに送ってあります。その後の現地での主な出費は、①野球場の照明灯工事(コ-ド不足で中断中)、②野球場のメンテナンス(芝刈機の刃の交換、走路の土補充など)、③ドリ-ムカップ補助などです。詳しくは年度の区切りに次号にて。

前号の記事にありました身体障害者野球の世界大会を目指している岩崎廣司さんの呼び掛けに対し、ジンバブエで障害者チ-ム結成への動きが出ているそうです。先行きが楽しみです。又、12月4、5日、但馬ド-ムで開かれた第1回全日本身体障害者野球選手権大会で岩崎さんが監督の神戸コスモスは熱戦の末優勝されました。 「ジンバブエの風」No.4を発刊致しました。多くの皆様のご協力に厚く感謝いたします。

 今回の主な内容は・・・・・

・今まで日本のアマチュア野球界をリ-ドしながら、昨年惜しまれつつ解散した住友金属野球団元監督の四田勝康さんの語るアフリカ野球との接点、又そんな実績ある四田さんが語る敗者への暖かいまなざし

・村井洋介さんのお父さん村井弘治さんと関西学院高等部野球部の芝川又美先生の暖かく見守って下さる視線

・松本裕一さんと村井洋介さんによるオ-ルアフリカゲ-ムと第一回ドリ-ムカップの現地報告

 

・ジンバブエから帰って間がなくジンバブエの香りを伝えてくださった鉢呂哲也さん、隊員として原点を見詰める経験をまとめてくださった協力隊OBの永井隆幸さん 皆様ありがとうございました。