事務局だより

伊藤益朗

 

 いよいよ厳しい経済状況になって来たようですね。その結果、人が単なる経費のように扱われる現実が連日報道されています。働く側から見れば、自分は代わりの人がいくらでもいると見られていて、給与は単なる削減対象のように感じてしまうことがありそうです。本来、給与額は「この金額でも人は来る」という最低額を探るものではなく、基礎に「この金額で生活できる」という基準が必要と感じます。経営する側も苦労が多いと思われますが、何卒お互いに協力調整への努力をお願いしたいと思います。

 ほとんどの人は生まれた時には、小さくてかわいいと周りから祝福され、喜ばれたことと思います。そんな人が大人になって生きていくのに、充分な場を与えられない社会は悲しいですね。そんな困っているわが子を老いた親が見るのを想像するのも実に悲しい。せめて、わが子が「周りから大切にしてもらっている」「生きていて楽しい」「自分は周りの人に対して役に立てている」と感じて生きていて欲しいと、親は願うものではないでしょうか。

 頻発する犯罪や自殺。犯罪や自殺をする人には、多くの場合返す当てのない多額の借金があるとか、家庭や職場や学校生活でうまく行っていない問題が存在するようです。考えてみれば、本来何も不満がないのにわざわざ犯罪などを起こす必要はありません。個人が「経済的に困らない力を持つこと」、「困っていても我慢する力を持つこと」、そして何よりも「私は一人ぼっちではないと感じる社会」、「その人なりにまじめに生きようとする人が受け入れてもらえる社会にすること」などが、住みやすい社会を作る手立てではないでしょうか。突っ張っている人にも温かい一声が有効です。そんな働きができる私でいたいと願っています。

 

報告<主な登場人物>

マンディショナ・ムタサ:ジンバブエ野球協会会長・代表監督・ジンバブエ野球のキーマン・村井氏の元カウンターパート

シェパード・シバンダ:昨年までの3年間日本の独立リーグでプレーし、日本野球を学んだ経験で、今後のジンバブエ野球の力になれる人

村井洋介:ジンバブエ初代野球隊員・その後もジンバブエと南アで仕事と野球普及に努めているジンバブエ野球会アフリカ滞在幹部

正岡夫妻:来日ジンバブエ野球関係者のホストペアレンツ

 

●シェパードは、福井ミラクルエレファンツをシーズン途中の9月はじめに解雇されました。レギュラーを外れて、約一ヵ月後のことでした。そのあと、9月末に帰国するまで、正岡さん宅で過ごしました。その間、2009年春から始まる関西独立リーグの明石レッドソルジャーズのテストを個人的に受けました。その日の前後2週間余りを私(伊藤)と毎日武庫川へ行って、キャッチボール、ノック、ティーバッティングなどの練習をしました。テストが終わってからの練習では私も気づいたことをアドバイスしました。不合格なら彼とは二度と会えないかもしれないので、最後のチャンスだと思ったわけです。その練習でずいぶんうまくなったのではないかと思いました。しかし、11月に頂いたテスト結果は不合格。私としては帰国前の感じでプレーするとどうなるのか、試してもらいたかったと残念でなりませんでした。今後シェパードは、10月はじめに生まれたベイビーと奥さんとの家庭を築いていくために、新年から南アに働きに出る予定でしたが、今は義父の農場で働いているようです。

 

●シェパードが日本での現役選手生活という貴重な経験に一区切りをつけたのと入れ替わりに、ジンバブエで村井さんの最初からのパートナーで、現ジンバブエ野球協会会長・ナショナルチーム監督のマンディショナ・ムタサ氏(マンディ氏)を指導者研修に招くことになりました。今も混乱の続くジンバブエで信じられないと言っても良いのですが、野球大会やコーチングクリニックなどが開催されているのです。そこには彼の貢献が大きく関わっていると見られます。そこで、今後の発展の担い手と言える彼に、日本でコーチングを学ぶ機会を提供しようと考えました。私が今回の研修を考えたきっかけは、530日のマンディ氏からのメールです。そこには08年の目標が11項目並べてありました。その9つ目に、「コーチとしての研修を外国でしたい(私の夢)」と、ありました。人が夢を表明するには勇気が要ります。自身の中である程度以上熟成されている必要があります。そのように表明された夢に対しては、誰かが反応する必要があると思ったのです。2004年秋に関西学院が創設者生誕150周年記念事業でジンバブエナショナルチームを招待して下さった折、創立130周年であった青山学院大学とも対戦する機会を頂きました。その縁もあり、今回青山学院大学野球部にマンディ氏の受入れをお願い致しましたところ、快く了承して頂きました。2月から4月半ばまでの長期にわたり活動に帯同させて頂くということは、最高レベルのプレーのみならず、そのマネージメント、コーチング、采配、練習法など、すべてを肌から吸収させていただける好機であります。マンディ氏はジンバブエ人としては抜群によく野球を知っている人ですが、このチャンスを与えてくださった青山学院の皆さんの心に応える為にも、また、ジンバブエで野球を志すみんなの為にも精一杯の姿勢を貫いてもらいたいと願っています。

 

●マンディ氏の滞在中の予定は下記の通りです。

129日(木)関空着

131日(土)冬の集い「ジンバブエの現在」

2月1日(日)新幹線で東上

2月2日(月)~417日(金)青山学院大学野球部の活動に参加

(31日~10日は沖縄合宿)

417日(金)新幹線で関西へ

420日(月)関空から帰国

青山学院大学の野球部は、相模原キャンパスにあります。

マンディ氏も、野球部の寮で生活する予定です。

 

●マンディ氏を招いて、131()に「冬の集い」を開きます。今世界一と言ってよい混乱の中にあるジンバブエで人々はどのように暮らしているのでしょうか。貴重なお話を聞き、そして、彼をみんなで応援しているということを伝える為に、皆様、是非お出かけください。詳しくは別頁の「冬の集い」の案内をご参照ください。

 

●マンディ氏によりますと、ジンバブエの野球場「ハラレドリームパーク」は、現在は使用できない状況になっているそうです。マンディ氏が一時野球協会と首都を離れた時にそのようになってしまいましたが、復帰しましたので、私たちジンバブエ野球会の象徴でもあり、「ジンバブエの甲子園」たる同野球場使用復活に向け、継続努力してもらうようにいたします。

 

●マンディ氏は野球協会会長として、この困難な社会状況の中でも活動を続けています。私はそれだけでも彼の熱意に感動しています。支援の難しい現在だからこそ、私たちのモットーである「ゆったり気長に」が、ものを言うと思っています。昨年910月には、コーチングクリニックや全国高校選手権大会などを、また12月にも、一般の全国大会「ドリームカップ」を開催したとの報告を頂いています。

 

●今後の応援の仕方について。村井氏が053月にジンバブエを離れて以来、ジンバブエの混乱は深まるばかりで、ジンバブエ国内での野球支援が事実上出来なくなっています。そんな中でもできる支援ということで、逆にシェパードが日本に来て、独立リーグ選手として練習やゲームを体験することを試みましたが、3年間を経て、今回一旦終わることになりました。今回マンディ氏の来日中に彼と今後の支援の仕方を話し合って、有効な方法決めて行きたいと思います。今回は振り替え用紙を同封させていただきましたが、次回はマンディ氏との話し合いによって、皆様に方針をお伝えするつもりでいます。よろしくご了承のほど、お願いいたします。

 

野球道具をジンバブエに送る手立てを今回来日しますマンディ氏と相談して、探るつもりです。実際には協力隊もいない現在、大変実現は難しいのですが、お手持ちの新品及び中古野球道具を提供していただけませんか。「やっぱり駄目だった」でも構いませんので、提供して頂ける可能性が少しでもある方は早急に、事務局伊藤(E-mail zykai@hkg.odn.ne.jp  TEL06-6427-495006-6429-1009)まで、まずはご一報のほどお願いいたします。軟式用も必要ですが、できれば硬式用の道具は更に歓迎いたします。野球道具送付が可能となった場合も不可となった場合も、決まり次第、申し出て頂いた方に連絡させて頂くつもりです。よろしくお願いいたします。

 

●昨春、JICAの「世界の笑顔のために」プログラムで野球道具をジンバブエに送る計画が不採択になり、その時提供を申し出て頂いていた道具を昨夏、中国から来日した少年野球チームに贈呈致しました。来日中、京セラドームでのプロ野球観戦の際、オリックス球団と同球団の宮田典計氏に大変お世話になりました。感謝申し上げます。中国からの原稿を別掲しています。

 

●平成206月以降の今期の主な支出は、中国チームへプレゼントする野球道具提供者からの着払い費用、シェパード解雇後の諸経費(福井への出迎え、引き払い、厳しい給与環境のシェパード帰国にあたっての支援金)、ジンバブエの風印刷費及び発送費など。

今期期首残高は2,199,020円、21年3月13日現在残高は2,377,751円。(立替金の未清算を含む)。詳しくは、期末でまとめて、次号にてご報告いたします。