事務局だより

伊藤益朗

  

●「冬の集い」は、今年1月15日に尼崎市労働福

祉会館で29名の参加を頂き、開催しました。昨年

7月末から約2週間、ジンバブエを訪問された九鬼

奈津美さんと小坂亮太君の大阪大生お二人のお話を

聴く会でした。当日の7,324円の黒字分は、野球会

の会計に入れておきました。

●「冬の集い」

☆九鬼奈津美さんのお話より。

<風呂>着いた次の日から断水。水の大切さを痛感

した。広場の井戸の濁った水で生活をしていた。ト

イレでは大便時以外は流さない。風呂はなかった。キッチンに湯を沸かして持っていって水タンクの水と混ぜて適温にして体にかける。シャワーと湯舟があった家もあった。

<電気>夕方5時から8時は停電。キャンプファイアーのような生活。火をおこしたり・歯で栓を抜いたりなど何があっても自分達でどうにかする力を持っている。

<車で地方へ>乗って行った軽トラがガス欠になった時、運転手はポリタンクを持ってどこかへ。2時間後にガソリンを持って帰って来た。

<共生>マンディ氏の家に、知らない男性、隣の人らが、勝手に入ってくる。皆で助け合って生きている。やさしい。

<食事>とうもろこしの粉を蒸かした主食のサザは手で食べる。スパゲッティなどはフォークで食べる。どれも単純な料理だったが美味しかった。

<運ぶ>重いものは頭の上にのせて運ぶ。

<ジンバブエ人の魅力>おしゃべりで、シャイで、温かい。

<裏の庭>キャッチボールをした。シャイな女の子だったがゼスチャーでキャッチボールしようと言ってくれた。走って来てくれてハグしてくれたのは嬉しい経験だった。記憶力がよく、私(九鬼さん)のことを「クッキー」と呼んでくれた。

<地方での野球教室>「クッキーのもの何か頂戴、私はスパゲッティを作るから」と言っていた24才の女の子、翌日は遅刻して来た。理由を聞くと、約束したスパゲッティを作っていたからとのこと。遅れてでも約束を守ってくれて嬉しかった。帰り際に自分の持っていたメダル(100M走の1等賞メダル)をくれた。その温かさに感激した。海外だからこそ余計に人の温かさが心にしみた。

☆小坂亮太君のお話より。

<初の海外>アフリカやジンバブエのイメージは、「野蛮、貧しい」だった。

<野球>

<小学校へ>

普段から野球をしている様子。いつも1チームが9人以上でも多人数のままやっているようで「9人でやりたい」と言ってきた。それでも皆楽しんでくれていた。

<高校へ>

硬球を使っていた。グランドは穴ぼこだったが、マンディ氏が投手をして、コーチと上手い選手が守備について、シートバッティング(実戦的打撃練習)をした。その他、5人1列の中継練習もした。練習は男女混ざってやっていた。声はよく出ていて元気があったが、上級のコーチが不足していると感じた。

<第2の都市ブラワヨに移動>

夕食に外出した間に泥棒が入った。日本から持参した野球道具を盗られ泣きました。ジャージなど必要なものを買って、その後はブルーなテンションで過ごした。

<大人のチーム>

プレーが粗っぽかったので、キャッチボールやゴロ捕りなど基本から指導した。私(小坂君)としてはただの遊びとしてやって欲しくなかった。野球をする時にヘラヘラするのは嫌いだが彼らにどこまで言ってよいか迷った。選手たちは練習よりゲームをしたがっていた。彼らが野球をする意味とは何か考えさせられた。

<マンディ氏と語った>

マンディ氏は野球の教育的側面に注目していた。今はしっかり教えられるのはマンディ氏一人だけ。日本人コーチが必要と感じた。マンディ氏の活動で野球人口は増えている。それを支える協力隊員の派遣が欲しいと感じた。コーチを増やしたい。

<ジンバブエの印象などについて質問>

小坂君:驚かなかった。

九鬼さん:もっと田舎かと思っていたが発達していて、住めると思った。近所など、人が繋がっているのが印象的だった。

<マンディ氏の家庭生活>中の下か。住んでいる地域も同じくらいのレベルと感じた。

<HIV>最近は秘密にしなくなってきている模様。対応策も進みつつある様子。

●今回の「夏の集い」は、8月10日(土)に開催します。来る7月23日から8月3日まで、ジンバブエ訪問をされる正岡さんご夫妻のお話を聴きます。ジンバブエを発つ7月31日は同国の歴史を左右するかもしれない大統領選挙当日です。帰国ほやほやのお話になります。どうぞ皆様お出かけ下さい。詳細は最終ページをご覧下さい。

●ジンバブエから体育隊員の要請がJICAに出されたようで、日本で応募・選考などが進んでいるはずです。野球指導と繋がればと期待も膨らみます。