事務局だより

伊藤益朗

 

●野球場建設からずっと野球会の担い手になって頂いている村井洋介氏は、1992年の青年海外協力隊野球隊員としてジンバブエに渡られて以来、20年以上海外生活を続けて来られましたが、昨秋、ロンドンからご家族で帰国され、日本での新しい生活を構想されています。今後も何かとご協力をお願いするつもりです。

 

●ジンバブエでは、マンディ氏を中心に熱心な野球普及活動が成果を挙げ、多くの若者が野球の楽しさに出会っているようです。またスポーツと並行して進めるHIV/エイズ啓蒙活動が効果的であることも実証されて来ました。そんな活動を続ける彼らを日本から応援できることに幸せを感じています。これらも全てご理解ご支援頂いている皆様のおかげと深く感謝致しております。ありがとうございます。

 

●前回の「夏の集い」は、昨年8月10日に塚口さんさんタウン住宅集会室で22名の参加を頂き、開催しました。昨年7月23日から8月3日の間、ジンバブエを訪問された正岡さんご夫妻のお話を聴く会でした。当日の7,140円の黒字分は、野球会の会計に入れておきました。

 

 

●前回の「夏の集い」☆正岡さんご夫妻のお話より。

<訪問の目的>

①野球道具を届ける。

②ドリームパークを見る。

③我が家に泊まったジンバブエの4人と会う。

④野球普及活動を見る。

⑤南アでカート氏と会う。

⑥岡田さんより依頼されたHIVインタビューをし

てくる。

今回のツアーで、通訳、関税交渉、サザを作る、HIVインタビューをするなど、最大の貢献者は正岡夫人。選挙で危険が及ぶのが懸念されていましたので、首都ハラレを避けて第二の都市ブラワヨ中心に視察地を変更しました。選挙は5種類の選挙が一挙に行われていました。ハラレ空港で入国するのに3時間もかかりました。2003年に来日して正岡家でホームステイしたマンディ氏、ジョン氏、スチュワート氏に会えました。また、2006年から3年間日本の独立リーグに在籍ししばしば正岡家に泊まっていたシェパード氏にもブラワヨで会えました。HIVのサッカー選手へのインタビュー。マンディ氏宅近くの広場。ドリームパークの現状視察に行きましたが、旧ゲートは使ってなくて入れず、今、管理担当しているスポーツクラブオーナーからも入場を拒否されました。マンディ氏が言うには、スポーツクラブはお金ある人しか使えないと言うことらしい。今後も再び使用できるように交渉は続けるとマンディ氏は言っていました。

 

<ブラワヨ野球クリニック>

第一日:選抜チーム。コーチも育っていました。選手の中に7人の女子選手。裸足でプレーする人も多くいたので、日本から体育館シューズを送りたいと思いました。モリス氏も来ていました。宿泊はブラワヨのロッジで、自炊でした。一泊15ドル。

第二日:一日目より二日目は人数減でした。シェパードが参加。彼の帰国以来のマンディ氏とのわだかまりが解け始めたことは嬉しいことでした。3人のナショナルチームメンバーが入って練習。モリス氏邸でバーベキュー。

第三日:ラインとベースを整え、ゲーム形式で、高校生チーム対ナショナルチーム。午前のみ。ゲーム終了時に両チームが挨拶することを提案。シェパード氏はこの日も参加。この後、用具贈呈式。

 

<ゲーム後の講評>正岡夫人「ボールを大切にして探してくれて感動しました」

 

<コーチ会議>(ハミルトン高校にて)会議の後お祈りをされていました。野球としては日本より50年は後れていると思われますが、彼らの情熱には頭が下がる思い。

 

<生活参考>先生の給料:400ドル/月。6年勤続で450ドル/月。物価は高い。普段の食事は、サザと菜っ葉。

 

<観光>ビクトリアの滝。

 

<手土産>1000ドルと野球道具を持参しました。これらは、8月下旬開催の大会(4~6チーム参加)の運営費と賞品に使うとのことで感謝されました。

 

<7月31日南アへ移動>最後にカートさんに会うために入国した南アは格差が大きく危険な所と言われていました。選挙当日に南アへ無事出国。2010年招待しましたカート氏と会う。アパルトヘイト博物館、ライオンパークなど訪問。南アの野球の要人、カラードのボス的存在のエドウィン氏と、白人秘書のマーク氏を紹介して頂く。彼らが言うには「マンディ氏は非常に良く頑張っているが若いね」「手打ち野球を小学校の正課にするよう働きかけたい」「日本のケンコー製ボールを使いたい」とのことでした。

そして数々の素晴らしい出会いと思い出を得て、無事に帰国しました。

 

<HIV女子サッカー選手へのインタビュー>「なぜサッカーをしているか」との質問に対して、次のように答えてくれました。

①体を動かす方が薬も効く。

②仲間ができる。

③楽しいし、子育てにも余裕が出来る。

④90分プレーできたら自信になる。

 

●今回の「冬の集い」は、2月15日(土)に開催します。ぜひご参加下さい。お待ちしています。詳細は最終ページをご覧下さい。

 

●ジンバブエでは、昨年7月31日に大統領選挙が行われ、現職のムガベ氏(89)が当選しました。

 

●2013年6月1日から2013年12月31日までの主な出来事と支出は以下の通りです。詳しい会計報告は期末となります5月31日で区切り、次号でご報告致します。

今期首となります2013年6月1日の残高は、455,868円でした。

・㈱デサント、㈱大阪ホーマー、三瀬和義氏、江野村和哉氏、関西大学硬式野球部、姫路アイアンズ(ヤングリーグ所属)の皆様から野球道具をたくさんご寄贈頂きました。

・7月23日、ジンバブエの風発送郵送料22750円。

・7月23日~8月3日の間、正岡さんご夫妻、藤本正晴氏、江野村和哉氏が、ジンバブエを訪問されました。1000US$(102160円)と皆さんに寄贈頂いていた上記野球道具を可能な限り多く持参し、喜ばれました。

・8月1日、封筒印刷代5,775円、ジンバブエの風30号印刷代26,775円支払い。

・8月10日夏の集い開催。会費収入500円×22名=11,000円、支出計3,860円で、7,140円の黒字分は、野球会の会計に入れました。

・8月22日、ジンバブエへ持参できなかった野球道具残った分を郵送。特大紙箱4個購入で1,440円、5箱郵送36,150円、計37,590円。⇒12月中旬にマンディ氏受領済。

・10月2日、ジンバブエ送金。ブラワヨ・ハミルトン高でのシニアチーム練習支援。送金784US$(8万円)+送金手数料3,000円。

・10月15日、ジンバブエ送金。興味深く好意的な勧めのあった地区での野球活動開始へのマンディ氏からの支援要請に応じて、1,514.95US$(155,000円)送金+送金手数料5,000円。

・12月8日、阪本悦治様から頂いた軟式ボール、ユニフォーム、バット、キャッチャー防具他発送。特大紙箱4個購入で1,440円、4箱郵送27,150円、計28,590円。

・12月末日現在残高:397,541円

 

●私が昨春ヘッドコーチに就任した関西学院大学硬式野球部は、幸いにも秋季リーグ戦で優勝し、関西選手権で勝ち抜き、明治神宮大会に初出場することができました。毎日接している選手たちにとっては、耳にタコができるくらい私から聞かされたことの一つが「結果はええねん。そやけどみんなの姿勢だけは見てるで」ということ。「結果がすべて」という言葉が氾濫する中、あえて強調してきた言葉でした。結果は相手との力関係やその時の運不運で必ずしも思うようになりません。しかし、自分の側がどのように取り組むか(戦うか)は、自分で決めることができるので、それを見つめようと提案していたのです。上手く行かなかった時は、結果は結果として厳粛に受け留め、チーム150人全部員共通の課題として取り組む訳です。それによって全部員が思いを一つに進んで行ける力が湧いたのではと感じています。

社会人野球で現役を終えた私は、11年間務めた関学高等部の監督を36歳の時に退任しました。そのあと、私は世の野球にはいろいろなステージがあることを経験しました。野球好きの思いから家から出掛けて行って体を動かす勇気を引き出す身体障害者チーム、社会人の楽しみのための草野球、各自仕事を持ちながら硬式野球への夢を捨てられない人たちのクラブチーム、ジンバブエなど遠い世界の途上国で野球を広めている若い人たちの存在、それらの国で未知の野球に引き込まれ、中にはそこに生きる力を得る人たちも。同じ高校野球でも関学とは違う環境の人もいる公立高校野球部、そして、さまざまな事情の中ででも大学で野球が出来る環境の選手たち。野球も各スポーツ競技も、実に上手くできていて、それぞれのスタンスに合わせて応え、時に力を授けてくれる巾の広さを持っているように感じます。