事務局だより
伊藤益朗
●今回の「夏の集い」は、1992年以来22年ぶりに日本で生活されることになりました村井洋介さんをお招きして、8月3日(日)に開催します。ぜひご参加下さい。お待ちしています。詳細は最終ページをご覧下さい。
●前回の「冬の集い」は、2月15日に塚口さんさんタウン住宅集会室で27名の参加を頂き、開催しました。結成36年、今も着実に歩み続けている、草野球チーム「リーブス球団」代表の山下雅之さんのお話でした。当日会計の黒字分9,160円は、野球会の会計に入れておきました。
●「冬の集い」☆山下雅之さんのお話より。
「野球を人生の糧に!結成36年リーブス球団」
野球と歩み続ける家族の物語
はじめにリーブス球団の36年間の歩みを、ビデオで紹介していただいたあと、山下さんのお話。
草野球チーム「リーブス球団」。歴代メンバーは
延べ98名、1015勝417敗100分。93球場使用。
主会場の小田南球場で889ゲーム。
山下雅之さんは1435ゲーム参加、343三振。
① なぜ続いたか:長崎県五島列島の上五島で生まれ育った山下さん。小学生時からきちんと野球をしたことがなかった。中学でもいじめや厳しさを見て野球部に入れなかった。でも大好きな長嶋の背番号3をつけたかった。野球の空白感を埋めるため、家ではカレンダーの3を貼り続けていた。お父さんが簑島高校の校医だったという奥さんの協力が大きかった。選手集めで、「助っ人」の存在は綱渡りの運営を助けてくれました。草野球で相互依存関係にある彼らには、来てくれたその日には「好きなだけ試合に出てください」と言ってきました。「好きこそ続ける原動力」「好きに理由はいらない」
② 年間活動:3月~11月の土曜日にゲームをし、会費は、年2万円。12月の納会は、年棒査定の場でもある。成績、コメント、感想、年俸査定を記した20頁の資料が配られ、年俸の1000分の1の現金が渡される楽しい場でもある。
③ 山下語録:「野球を人生の糧にしよう」
「野球をしたいから元気でいよう」健康のために野球をするのではない。
「だらけたゲームはしない」正味の野球時間を増やすため、交替・中断の時間を減らす努力を。
「楽しき中にも緊張感ある野球を」点差や結果だけでは質の判断はできない。
「草野球の紳士であろう」常に見本でありたい。
④ 記録:最初からの記録がきちっとのこっていることに驚く。奥さんがスコアのつけ方を覚えてくださったことから始まった。後には相手チームのデータも作戦に活用するようになった。
⑤ よもやま話:・集い当日、山下さんの提供で、
故郷上五島名産「アゴ出汁うどん」をジャンケン
で勝った人3人に持ち帰ってもらうことに。
・珍事件「グラブなしでライトに守りに行った」
・「雨でも必ずグランドへ行く」暗黙のルール。
・「(グランド取得の1単位の)2時間が長く感じるようになってきたが引退はまだしたくないなあ」
・メンバーMさん(65)の納会でのここ数年の発言の変遷
2010年「健康のため来年も投げ続ける」
2011年「来年もマウンドで投げて倒れて死ぬ」
2012年「来年も投げて最年長完封記録を伸ばしたい」
2013年「あと2勝で100勝、来年はMVPももらう」
伊藤:『たくさんの人の野球をしたいという思いが重なりあって、「リーブス球団36年」が実現していたことに、私は尊敬と喜びを感じました。親子2代でのゲーム出場やメンバーのご家族をも巻き込んだリーブス球団の未来に幸多かれと祈っています。』
●マンディ氏から要望のあった次の3点について。
① 野球普及におけるテキスト冊子作成のためのコピー代を支援してほしい。
提示された予算が非常に高かったので、それならデータを送ってもらってこちらで安くコピーして郵送する案を打診したところ、ジンバブエでコピーし、有料で配布するように変更したと連絡があった。その方がテキストを大切にするだろうという考えとのことです。
② 野球普及に協力してくれるシニアボランティアを希望。
主導するのではなくマンディ氏らの活動をサイドからサポートしてくれる人を望んでいます。この手続きのスタートはジンバブエから現地JICA事務所に申請することになるが、今のところできていません。
③ グローブの自国生産を目指すための技術支援を要望する。
ジンバブエに日本からグローブ職人さんを指導に派遣するか、ジンバブエから日本に研修に行かせてほしいというものでした。
この件について、日本のメーカーに問い合わせる一方、元野球隊員で在任中にグローブの現地生産に取り組んだことのある堤尚彦氏に電話で聞いてみました。氏によると、野球道具を自力で作れるようになることは、野球定着には必須である。実際、在任中にグローブのサンプルをジンバブエの靴屋さんに持ち込み、作ってもらったところ、充分良いものができたし、今もそれはできるはずなのでこちらからの派遣も日本に修業に来る必要もないとの見解でした。紙型から作り、バザーなどのイベントで儲けたお金で学校が10個程度買ってくれたことがあった。購買意欲に結びつくビジネスにするには、野球を楽しいと感じてもらうことが必要。また、現地生産する一方で、日本からグローブのプレゼントがあると、選手が自国製のグローブを使いたがらなくなり問題となったことも。堤氏は次のような意見も伝えてくれました。「サッカーは道具が少ないから普及しやすいというが、野球は道具が要るからこそビジネス振興にも貢献できる。そしてジンバブエでの野球の普及と自立が軌道に乗るまでの外国からの支援はあってよい」ということでした。これら意見を基にジンバブエで話し合った結果、もう少し野球が根付いてからにしようとのことで一旦棚上げになりました。
●6月になって本当に久しぶりにマンディからメールがきました。元気そうで何よりでした。
それによると、「長期計画を画策中で、ひっそりとしていたところです。野球に関する計画が上手くいきそう、と自信が持てればすぐに報告します」とのことでした。
今後もまたしっかり、連絡を取りたいと思います。
●昨年末に送った野球道具4箱を4月上旬に受け取ったと連絡がありました。とても喜んでもらえました。