事務局だより

伊藤益朗

 

●1ページの「事務局からのご報告」もお読みください。

 

●今回の「冬の集い」は、京都産業大学助教授 マイケル・ホールズワース氏に「ライフ イン ジャパン=教・旅・学」と題してお話し頂きます。10年以上、日本におられる氏の視点からの日本観をお聞きします。2月8日(日)に開催しますのでどうぞ気軽にご参加下さい。お待ちしています。詳細は最終ページをご覧下さい。

 

●前回の「夏の集い」は、8月3日に塚口さんさんタウン住宅集会室で30名の参加を頂き、開催しました。22年ぶりに日本で生活をされて半年余り。村井さんの新鮮な目で見る日本と海外の違いを語って頂いた中から質疑応答に進み、会場は大変盛り上がっていました。

 

●「夏の集い」☆村井洋介さんのお話より。              

「22年の海外生活みやげ話」平成26年8月3日

アフリカで18年、ジンバブエの旧宗主国イギリスで4年8か月暮らしました。

私のアフリカでの家は、平屋庭付きの大きな家でしたが、これはイギリス風の家です。アフリカ諸国はヨーロッパやイギリスのスポーツが強く、多くの人がイギリス留学をし、イギリスから見れば、「アフリカは我々の庭」という感覚で、互いの結びつきは強いのです。今後ますます影響を受け、格差が原因の犯罪も増えると思います。

アフリカで安心できるホテルに泊まるには1泊3万円要りますが、今の日本では4500円程で泊まれます。日本ではどこで何を頼んでも品質的にまず心配いりませんが、世界で当り前ではありません。パリやロンドンは建物の色が揃えてあるので街がきれいで、博物館なども無料で、文化面を大切にしていました。サービス面では、日本は入国検査から実に親切です。私の子供たちは日本のコンビニが大好き。教育面では、日本の塾の存在が特徴的です。ロンドンでは公文式の塾があり進学競争が気になるアジア人が多く通っていました。学校はロンドンで「毛じらみ」発生のためシャンプーして下さいという通達がありました。ロンドンでは週に1回しか風呂に入らない人が多いのです。家族のきずなはヨーロッパの方が強いと感じました。招かれる時も家族ごと招かれました。日本では日本語が読めない外国人は処方箋などいろいろなものが各国語で書かれていないので不便を感じ、住みにくい面があると思います。ただ、私の住んでいる春日井市のように、ごみ袋に5カ国語で書いてあるところもあります。ただ、子供は安全で、安心して暮らせます。南アでもイギリスでも親が送迎する必要があります。日本の電車バスは綺麗で、時間通りに来ます。物価は様々で、アンゴラではピザ・コーラが5~6千円でした。野球は私の下の子が野球を始めましたが、小中に野球部がないので、学外のチームに入りました。それにしても、日本はこんなに暑かったですか。そのため練習は休憩が非常に多いのに驚きました。私はイギリスで仕事をしていた時、プロジェクトがすべき地域支援として、モザンビークの教育支援を担当しました。5年間の5人分の授業料を支援する予算を取りましたが、テストで全員落ちました。地方と首都の教育格差が大きすぎたのです。小学校修了者は2割でそのうち半分が中学へ行きますが、先生が不足していました。地位の高い人は自分の子をヨーロッパに出しますので地元は発展しません。

以上を始め様々な彼我の違いを村井さんに紹介して頂きました。そのあと多くの質疑応答があり、アフリカの様子やアフリカと日本の違いなどに、皆さん関心を示しておられました。

その後、元ジンバブエ野球隊員の木戸幸太郎氏がクイズを出して下さり、ご持参のじゃがいもを賞品として提供して下さいました。彼が感じている今の日本で残念なことは、挨拶をしないこと、子供に声をかけると不審者扱いをされること、反応しない大人などだそうです。

 

●「夏の集い」に伊藤の鐘淵化学野球部時代の先輩、池田周弘氏が大阪うつぼロータリークラブを代表して出席して下さり、ご寄付を頂きました。すべての会員の皆様からのご厚意とともに大切に使わせて頂きます。ここに改めてすべての皆様に感謝いたします。

 

●前号で私は「今年の冬には、生きている内にもう一度ジンバブエで野球をしたい思いから、行ってこようかと検討を始めています。」と書きましたが、1ページ記載の事情で、今回はジンバブエ訪問を見送ることにいたしました。

 

●本年1月10日に、東京都新宿区のJICA 地球ひろば 国際会議場で開かれました国際シンポジウム「スポーツ・フォー・トゥモローの未来に向けて」にジンバブエ野球会のブースを東京開催にも拘らず、正岡さんご夫妻が上京して開いてくださいました。当日の様子は冬の集いで報告して頂けると思います。

 

●<会計報告>2014年6月1日期首残高:795,991円、12月末日残高:1,174,337円

その間の主な支出:ジンバブエの風印刷代:31,320円、同郵送料:19,195円など。

また、この間のジンバブエへの送金は、現地受入れ体制不備のため発生しませんでした。

詳しい会計報告は期末(5月末)時点のものを、次号でお知らせいたします。

 

●これはジンバブエ野球会の事業ではありませんが、一昨年ジンバブエを訪問された正岡さんご夫妻は滞在中に裸足で野球をしている多くの子供たちに遭遇し、こちらで寄贈してもらった中古の子供用靴107足などを昨春ブラワヨのワシントン先生宛てに送られたことを前号でお知らせしました。しかし着いた荷物を先方が引き取るのに関税が払えず受け取れなかったので、正岡さんがその費用を送金して、やっと受け取ることができたということです。

 

●私、12月13日までで大学野球部の全体練習が終わると、翌14日から阿蘇山に2泊の一人旅をしてきました。二日目、外輪山ふもとのカルデラ内にあるホテルを9時に出発して徒歩で外輪山のひとつの大観峰に登る。活動中の中岳やカルデラの方向だけでなく四方の雄大な遠景に感動。すでに11時すぎ。売店の人に聞くと自分には厳しすぎる道のりかと思ったが、甘い飲み物のみ買って昼食を摂らずそのまま外輪山頂沿いに歩いて周ってからホテルまで帰ろうと出発する。行けども行けどもカルデラ内に降りる道がない。やっと見つけた降りる道は曲がりくねっていて断崖が上からのしかかっている道。下界は見えているが一向に近づかない。日は傾く。時計は持っていない。もしここで日が暮れたら真っ暗闇になり、65歳の今の私なら遭難もしかねない。いつもグランドで夕日が沈む時刻とその速さを実感していたので、焦るのなら早い目に焦るべきと判断し、下り道とはいえ、ずっと小走りに。近年経験ないほど長い距離を速いペースで、夕日を睨みながらのランでした。4時にやっと民家の所に出て事なきを得ました。結果的には時間的に余裕があったのですが、未知のコースを7時間のぶっ通しの徒歩、その間、車は時々通りましたが、ホテル前以外で歩いている人に一人も出会わなかったのです。久々に必死になっている自分と五感を働かせている自分を発見しました。数年来の不整脈を昨年、カテーテルアブレーションという手術で治して頂いていたことと、普段の通学時に仁川駅から関学、関学から甲東園駅まで毎日走っていたことが助けになったと思いました。久しぶりの達成感でした。

 

●昨年末、私が以前関学高等部の監督をしていた時の選手たちと会う機会を頂きました。彼らは50歳手前。その中のかなりの人が自分の息子さんの縁で少年野球チームの指導をしているということでした。彼らの多くはその指導の中で、彼らが高校生の時に私からさせられた?練習方法を応用しているというのです。私のつたない指導が選手に伝わり、その中の一部が彼らの手によってそのチームの選手たち、私から言うと孫世代に伝わっている。すべてではなくて、選択され、形を変え次世代に伝わっているということを聞いて、大変うれしく思いました。ということは、一人の―――場合によればわずか一人への―――小さな行動でも大きく広がる可能性があるというわけですね。目にははっきり見えないつながりの存在を確信した出来事でした。