Zimbabwe Baseball

事務局だより

伊藤益朗

 

 皆様にはいつも温かいご支援を頂きまして、感謝しております。この野球会が6年間続いていることに驚いています。いずれ野球場建設時の興奮は冷め、次第に協力者は減り、いつかなくなることになっても、ジンバブエで野球を楽しむ彼らと、もう少しの間でも繋がっていたいという思いで始めたものでした。しかし始めてみると予想もしない展開が生まれるものです。13回を数えるニュースレター、素敵な出会いの場となった夏と冬の集い、25人のジンバブエツアー、ジンバブエ国内最大のドリームカップ開催、1ヶ月間の日本野球研修、何度かの南ア遠征、オールアフリカゲーム銅メダル、今回の日本遠征など。それらを皆様と共に見届けられたことも、またもしそれらが皆様にも何らかの語りかけになっているなら望外の喜びであります。これからもゆったり気長にジンバブエ・アフリカの人たちと野球を通して繋がっていきたいと思いますので、何卒宜しくお付き合いの程、お願い申し上げます。

 

 痛ましい事件が内外から報じられる度、私はお互いにあいさつをすることと、よく聴くことの大切さを思います。これは「あなたは大切な人」というメッセージ。実際、街で人がうずくまっていたら、寄って行って様子を確かめるでしょうか。行動や表情が気になるあの人、あの子に声をかける、聞いてみる。このような小さな行為が今までにどれほどの自殺や事件を未然に防いできたことでしょう。怖い場面に出て行かなくても普段の時の温かい働きかけで、その人は認められていると感じ、事件を起こす必要がなくなるのです。不器用な私たちでも、特別な人でなくても充分なのです。私たちなりのスタイルで、温かい世界になることを願って目の前の一人に自分の出来ることをする。市井の一人の小さな、しかし実際は一番大きな働きに気付いてほしいものです。

 

●2003年のジンバブエスポーツアワード(映画のアカデミー賞みたいなもののジンバブエ国内スポーツ版)で、スポーツチーム賞部門でジンバブエ野球チームが銀メダル、新人賞部門でエマニュエル(セカンド)が金メダルを獲得しました。野球が賞を獲るのはジンバブエスポーツの歴史の中で多分初めての快挙です。昨秋のオールアフリカゲームで銅メダルを頂いたことが今回の受賞に結びついたものと思います。決してメジャーなスポーツでない野球に取り組んできた若者の努力が、ジンバブエで認められたのです。後に続く選手や児童にも励みになるに違いありません。92年、村井氏が野球を小学生に伝え始めて以来の関係各位の地道な歩みが、実を結びつつあるということでしょう。これも皆様の温かい応援あってのことです。共に喜んで頂ければ嬉しく思います。

 

●関西学院が創設者ランバス先生生誕150周年記念事業の一環として、ジンバブエナショナルチームを招待します。ジンバブエからの一行は選手14名の他、今ツアーの団長のピーター氏(国際スポーツ研究所アフリカ代表)、お馴染みのマンディ監督、村井洋介コーチの計17名。別にアメリカからフレッドソローズ氏(ナイジェリアのオールアフリカゲームでもコーチ参加)が来訪、伊藤もコーチとしてついて回ります。

 

●関西学院とは、昨春、三選手が約一ヶ月にわたって練習参加させて頂いた縁もありましたが、このような形で関西学院がその記念行事に招待して下さったことに、感謝しております。今回の来日で、学生をはじめ多くの日本の人達がジンバブエの選手を身近に感じ、お互いの将来に更なる交流が生まれることを期待しています。

 

●招待に先立ち、関西学院大学の平松一夫学長が7月にジンバブエを訪れ、村井氏や野球関係者とお会いになる予定です。できれば野球場も訪問して頂ければ嬉しいと思っています。

 

●アメリカから同時来日予定のフレッドソローズ氏は、永年アフリカなどへ野球の普及と障害者スポーツのサポートを続けている人です。ピーター団長はジンバブエ在住で、その活動のアフリカ担当者です。

 

●わたしは現役時代、ショートを守っていました。昨秋ナショナルチームのコーチとして数週間過ごした時、ショートを守っていたジョージとはプレーのことなどでよく話をしました。当時17歳の彼はいずれ日本に来て阪神タイガースに入るのだ、と言っていました。そんなジョージが南アに行ったきり、ビザが切れているにも拘らず帰国していません。経済崩壊状態のジンバブエで生まれ育ったジョージ。生活のためにでしょうか、こうした行動に出た彼は今ごろ、どこでどんなことを考えて暮らしているのでしょうか。また、5月に交通事故で突然無くなったウィズダム選手とともに、彼らが日本に来るメンバーから外れざるを得なかった事を残念に思っています。

 

●ジンバブエで92年から野球の楽しさを伝え続けてこられた村井洋介氏は、妻子を持つ現在、薬も揃わないジンバブエからの引き上げを探っておられます。それに伴い私たちがアフリカの野球を応援するのに、新しいスタイルを考える必要が出てきました。

 

●近年私は、何回かアフリカに渡る機会がありました。考えてみるとそれらは全てその先で村井氏と行動を共にするものでした。村井氏が運転する車の中でいろいろな話を聞かせてもらっている時間はうきうきする時間でした。アフリカのおおらかさ、野球に関する熱い話、時には人生について・・・。村井氏がジンバブエを離れることになりそうな今、もう二度と村井さんと一緒にハラレの街で過ごすことはないのかもしれないなと、感慨にふけっています。

 

●ジンバブエチーム来日期間中、私たち野球会のメンバーと歓迎懇親会を開きたいと思っています。9月か10月に皆様にメールと郵便で案内を出しますので、ご検討ください。

 

●2001年8月にジンバブエツアーに参加した後、青年海外協力隊に合格された溝畑智子さんは7月12日にマラウィに向けて出発し、地域医療で貢献される予定です。わずかでも私たちの活動からこうしたことに繋がったことを喜ぶと共に、溝畑さんのご健康とご活躍を祈ってやみません。

 

●私は6月から尼崎産業高校のコーチをお引き受け致しました。かつての関学高等部監督の時のように毎日は行けませんが、私が大切に思っていることを若い高校生に伝える機会を頂き、感謝しています。何よりも高校生とキャッチボールできることを大切にしたいと思います。

 

今回、日本へ遠征する費用は関西学院が担ってくださいますが、長袖アンダーシャツ、手袋等の野球用品、その他観光やお土産代の補助などに、野球会からも拠出したいと思います。

もしご事情の許す方がいらっしゃいましたら、年会費ご送金の折、合わせてご寄付を少しお送り頂ければ嬉しく思います。(無理はなさらないで下さい)

 

●2003年6月~04年5月までの収支決算は、河西秀和氏に会計監査をお願いし、承認されました事をご報告申し上げます。

 

<主な出費項目>

日本では、ジンバブエの風印刷費、同郵送料、現地活動費(村井氏へ送金)、通信費の他、借受金支払(202,539)は前期経費の一部を立て替えていた事務局伊藤への支払です。今回のクリスマスカードは現地郵便事情により、カードを一括で日本へ送り、日本から皆様に郵送しました。

ジンバブエでは次のとおりです。グランド管理人給与、コーチングクリニック支援、球場維持費(含芝刈り機購入及び修理、倉庫棚設置)、ナショナルチームキャンプ支援、野球インタープロビンシャル大会支援、球場使用税、野球協会用ノート型中古パソコン、オールアフリカゲーム交換用記念バッジ、選手治療費、村井と伊藤ナイジェリア・ジンバブエ帰途航空運賃半額援助、ゾーン6野球ソフト国際会議(ボツワナ)会長出席、日本の支援者へのカード印刷費及び一括DHL輸送費、ドリームカップ開催費(宿泊費、食費、交通費など)、南ア野球大会遠征支援等です。しかし為替換算は単純ではありません。まず、公定レートではなく、闇レート(実際のレート)で両替され、しかも、そのレートが期首の03年6月には1US$が1600Z$であったのに対し、04年5月には5300Z$に下がっています。両替時期によってレートが違い、結果として別表の通りとなります。経済の混乱ぶりは村井氏の「ジンバブエからの報告」を参照して下さい。 尚、当会の直接の目的以外に使われた物として次の2点がありました。村井氏によると、 「<障害者陸上競技選手支援>は、2000年シドニーパラリンピック100m、200mの金メダリスト(世界記録保持者)、エリオットムジャジ選手のアテネパラリンピック向け練習支援です。このような選手にもかかわらず、現地での練習費用が無く、現地練習の費用の一部(交通費、宿泊費一部)を国際スポーツ研究所アフリカ代表で、今回の来日メンバーの団長であるピーター氏からの依頼で援助しました。

<マンディ氏(野球協会会長)の母入院費用貸付>は、返済はしてくれると思いますが、今のところその目処はたっていません。」とのことです。

エリオットムジャジ選手は、昨秋のオールアフリカゲームでもジンバブエでただ一人、金メダルを2つ獲得した選手で、私(伊藤)も応援したくなる方でした。

マンディ氏は、ずっと村井氏と共に野球を通しての両国の交流に尽くして下さっている方で、野球会から貸すのには賛否あるかと思いますが、ジンバブエにはそのようにして差し上げたい事情があると判断しました。以上2点、ご了承いただきますようお願いいたします。