<事務局だより>

伊藤益朗

 

 私は昨秋、オールアフリカゲームのあったナイジェリアでジンバブエチームの選手たちと別れるときに、彼らの厳しい生活環境を思い「永く幸せな人生を」と言って別れました。再び会える保証もなかったのです。それがわずか1年後にこうして日本で再会できたことは大きな喜びでした。しかしそれもやはり全員とではありませんでした。4名は選から漏れました。他の1人はバスの事故で亡くなりました。もう1人は南アへ行ったきり消息が途絶えてしまいました。今回はそこへ4名の選手とピーター団長を加えたチームでした。

 今回のナショナルチームの訪日(11月2日~11日)は関西学院創立者ランバス先生生誕150周年記念事業の一環として実現しました。村井氏から始まって12年のジンバブエ野球、私たちの野球場を造るという夢が村井氏と出会って以来ジンバブエ野球を応援してきた野球会の歩み、ランバス先生生誕から150年目まで脈々と連なる関西学院と創立から130年の歴史を刻む青山学院の記念の年。また、昨年の3選手の関学野球研修。それらそれぞれの歴史がここに合流して実現したもので、実に偉大で感動的な出来事と感じています。

 鎖国状態にあるジンバブエの野球界にとっては殊更貴重な経験でした。150キロの速球や鋭いスライダー、変則投手や頭脳的配球、工夫した作戦やけん制球など、ジンバブエ国内にそれらを使う選手やチームがいないと、それへの対応策も生まれようがありません。何しろ隣の南アを除けば他のナイジェリアをはじめ各国とは前回のオールアフリカゲーム以来4年ぶりの対戦だったのです。実際昨年のオールアフリカゲームでもナイジェリア投手の一塁けん制に初戦では全員?がアウトになっていました。そんなけん制はジンバブエにはなかったのです。いろいろなチームのいろいろなプレーや作戦と出会って勝ったり負けたりしながらお互いのレベルは上がっていくものだと気づかされました。世の競争賞賛もこのことを指しているのならよいのですが。

 そしてジンバブエ野球会は、それ自身は拡大していなくても、継続してきたことがその時々に出会った人たちに影響を与え、役割を果たしていると感じています。例えば、今回マラウィから報告を送って下さった溝畑智子さんは01年の25人ジンバブエツアーでの孤児院訪問などをきっかけとして青年海外協力隊に挑戦されたものでした。また、同じく原稿を下さった岡田子路氏は今回の交流会で甲子園大会などの審判員、藤野氏と出会って審判員への道を歩む決心をされました。今回の訪日も同様のことが作用していると感じています。

 自身は大きくならなくとも目の前の小さなことを実行することで、世界が変わると信じています。世界は何かを変革してその効果が出た後初めて、且つ永遠によくなるものとは私には思えないのです。小さなことをはじめた瞬間からすでに世界が変わっているものと感じています。その方向性、ベクトルこそが大切なのだと思います。いつも現状に気づき、調整機能を生かして実行することの繰り返しかと思います。私なりにマザーテレサから学んだことでした。自分を含む誰もが、この世に生まれ落ちたからには意味ある人生を生きたい、生きてほしい、とは私の切なる願いです。

 ナショナルチームメンバーは11月11日、貴重な経験と思い出を手土産に成田空港から帰国して行きました。私は再び「永く幸せな人生を」と祈って彼らを見送りました。

 

今回のスマトラ島沖大地震と津波をはじめとする災害や犯罪、戦争、テロ、自殺などにより沢山の方が辛い思いをされています。このような様々な厳しいことが起こりうる世界を生きる私たちは、普段から互いに助け合っていきたいと願わずにおれません。しかし片方で、取り残されるのを恐れて出し惜しみをし、目の前の利益に汲々としている自分があります。自分がこの世に生まれてきたことを意味あるものと思えるためには、自分の中で思いを統合し、動く勇気が必要と思います。温かい世界を見据え、進んで行く一年に出来ますよう協力して行きましょう。よろしくお願い致します。

 

<報告事項>

●日本遠征の航空運賃と関西滞在費は関西学院のお世話になっています。東京遠征は青山学院にお世話になりました。関西学院、青山学院のご好意にあらためて感謝を申し上げます。

●今回の訪日に関して、特別に寄付して下さった会員の皆様に感謝します。

●野球会から供与したものは一人あたり次のとおり。来日中に使用するアンダーシャツ2枚(投手には3枚)、ソックス2足、滞在中の小遣いとしての5000円。選手たちは使い捨てカメラやスポーツバッグや靴などを買っていたようです。

●チームがプレゼントを受けたものは、フレッドコーチからビジター用ユニフォーム上着、日本高等学校野球連盟とスポーツショップ「ベースマン」から野球道具、日本ハムファイターズの中野さんからウィンドブレーカーなどです。選手たちは大変喜んでいました。感謝。

●キャッチャー道具、ヘルメット、ノックバット、練習球、マシンなどを関西学院や青山学院、西宮北高から借用、また滞在中、関学高等部3年生の野球部員から借りたコートを着用しました。

●04年7月に関西学院大学平松学長はハラレドリームパークを訪問され、1塁側ダグアウトに掛かる野球場建設記念プレートの協力者名の中に、関西学院関係者の名前も多くあることを確認されました。因みにこの名前は欧文でなく漢字(日本語)で記されていますが、それは600余りの協力者の正確な読み方を調べなおすのが当時不可能だったということも一つの理由です。

●11月7日にジンバブエチームメンバーと野球会との交流会を関西学院会館で開催しました。会員や元の協力隊員ら60名余りの温かい集いになり、参加者にとって思い出深いものとなりました。

●ピーター団長は車椅子バスケットのリーダー、マンディ監督は村井氏の初期からの協力者でジンバブエ野球のリーダー、フレッドコーチはアフリカを中心に障害者スポーツと野球振興に力を注いで来た方、村井氏はジンバブエ野球の父。

●ジンバブエの風編集をボランティアで手伝って下さる方がいらっしゃいましたら、ご連絡ください。

●今年2月ごろに村井氏はご家族と共に日本へ帰国される予定です。12年以上の永きをジンバブエの地で野球に献身されたことは信じられないほどの大きな貢献と考えます。そこで村井氏記念プレート(P12)を作り、野球場の建設記念プレートに並べて掲示してもらえるようジンバブエ野球協会会長のマンディ氏に託しました。5年後、10年後に野球をするジンバブエの若い選手たちにもミスター村井という人物がいたこと、ジンバブエの野球を育てたことを知ってほしいと思い、末永く村井さんの貢献と魂が語り継がれるよう願ってのものです。

●永年、村井氏と協力してジンバブエ野球の発展に寄与されたマンディ氏に野球会から感謝の野球Tシャツを贈りました。胸に「ありがとうマンディ」と記してあります。

●冬の集いのご案内を別掲していますので、ご検討の上、是非ご参加ください。

●ドリームカップが昨年も12月に開催され、表彰選手はやはり来日メンバーでした。今年は海外からの参加チームはありませんでした。

●夏の集いは去る7月31日に開催し、前島関西学院教授に感動的なお話をして頂きました。また、前島先生最終講義が1月11日にありました。

●2004年6月から12月までの会計。詳しくは期の区切りに次号で。

(ジンバブエでの主な支出)

 日本遠征のための手土産、強化合宿費など。

(日本での主な支出) 

 ニュースレターとクリスマスカード発送代、交流会案内連絡代、ニュースレター印刷代、滞在中の小遣いおよびシャツやソックス代、移動費(タクシー代)、交流会費チームメンバー分補助、村井氏記念プレート作成代、マンディ氏感謝Tシャツ代、通信費など。