マンディ氏と愛娘イタイさん

メイド・イン・ジンバブエの木製バット

事務局便り

伊藤益朗

●ジンバブエ帰国後のマンディ氏とは、主に正岡さんを通して、メールでよく連絡をとっています。今春に来日した時に話していた通り、エネルギッシュに野球を紹介しながら全国を駆け回っており、おかげで多くの人が野球を知り、楽しむようになっ

てきているようです。そのことは昨年9月に視察に行かれた岡田千あきさんも確認してこられました。このところ活動が活発化しているのに比例して送金額が多くなり、ジンバブエ野球会の残高も少なくなってきましたが、今後も出来る範囲で支援を続けて

行きたいと考えています。何卒皆様のご理解を頂き、ご無理のない範囲内でのご協力をよろしくお願い申し上げます。

●2011年10月2日のマンディ氏からのメールに添付されていた資料によると、ジンバブエ野球協会登録校数は、小学校の部:399校、高校の部:224校となっていました。

●MLBアフリカンアカデミー(南アで12月に開催)に、ジンバブエから2名参加しました。

●2011年6月1日(今期の期首)現在、前期繰越金は、1,241,139円。12月27日現在の残高は、636,582円です。この間の皆様のご協力に感謝いたします。

●2011年6月からの主な支出内容は、以下の通りです。

◆「ジンバブエに送金又は持参したお金」のご報告とジンバブエでの使い道です。

6月6日:11万円(US$1,264.51)持運び用バックネットなど

8月9日:304,800円(US$3088.00)各学校等で野球を始める為のバットとボールセット

9月6日:5万円(US$625.00)を訪ジンバブエの岡田千あきさんに託す 同上セット

11月7日:237,890円(US$3,000.00)同上セット

11月29日:149,962円(US$1,813)ドリームカップ事前研修と賞品代など

◆「日本国内」では、ジンバブエの風26号の印刷代及び発送代で、64,485円他となっています。詳しい会計報告は、期末でまとめ、次号でご報告いたします。

●「夏の集い」は、8月6日に田舎風懐石料理「ひろ田」で食事会をしました。13名が参加し、和やかなひと時を過しました。この時に、9月に岡田千あきさんがマンディ氏の活動(HIV・エイズ啓蒙と野球普及を結びつけた方法)の視察研究にジンバブエを訪問されることが分かり、野球道具とお金を託すことにしました。

●ジンバブエ訪問に際し岡田さんに託しました野球道具は、金澤泰弘氏、矢野亮氏、清須賢氏、杉浦氏・北田氏らから提供して頂いたものです。無事に無税でマンディ氏に手渡すことができ、大変喜んでもらいましたことをここにご報告申し上げます。ご協力に感謝します。

●ジンバブエでは木製バットも作れるようになっているようです。自国内で道具が作れることは大きな強みになると考えています。

●岡田さん滞在中の写真に、一昨年三菱神戸チームから提供して頂き、ジンバブエに送っていたヘルメットなどが写っていました。

●世界野球連盟からジンバブエ野球協会に、U15世界大会参加への打診がありましたが、(経済的に)その状況にないとの理由で、今回は

参加を見送りました。

●現在のジンバブエ野球協会は普及活動を支えてくれる日本からの本部担当のゼネラルマネージャー的存在の協力隊員かシニアボランティアを求めています。しかしJICAによると、派遣を復活したとはいえ、今すぐスポーツ関係の人材を派遣できる状況にはなっていないそうです。

●道具が不足していることが分かりましたので、どのように送れるか、検討します。

●マンディ氏の活動は、失業率94%の国で行われています。彼は、「HIV・エイズ啓蒙を一緒に回ろう」と、看護師の資格はあるが職につけず引きこもっていたA子さんを誘った。「家に引きこもらずボランティアででも出て行くと人と接することが出来るだけでなく、食と宿は確保できるよ」と彼女を励ますと共に、人生を導いています。そして元牧師のB君はHIV・エイズ啓蒙について深い知識をもっているが、人前で話をするのが苦手。そんなB君を連れ出し、多くの参加者に向って話をする機会を提供して、彼の才能を引き出しています。

●今後の活動ボランティア案:1週間でも2週間でも、ジンバブエを訪問し、マンディ氏に帯同して、活動ボランティアとして普及活動を手伝う。こんなこともいつか出来る日が来ることを願っています。

●<マンディ氏からのメールより>彼の一面を知っていただくのに適切なものを抜粋しました。

6月8日:台北行きに備えて、子ども達がパスポートや身の回りの準備をどうすれば良いのかを、校長や保護者に説明するため、今日はムタレ、マスビンゴ、金曜日はByoとグエルへ行きます。

恵まれない(特権階級ではない)家庭・学校の子ども達、このような家庭や子ども達は、いつも、話し手に敬意を払い、真剣に耳を傾けます。伝統的な価値観を尊び、自分達が今所有しているもので満足します。今のところは勝つ見込みが少ない「賭け」ではありますが、そのような人々(子ども達)に広い世界を見せてあげたいと一生懸命努力しています。

6月12日:私としては、ジュニアチームにもっと力を入れたいと思います。投資効果が大きいので。

8月7日:例年のこの時期に比べ少し寒く、天候がよくありません。8箇所の練習場を整備した後、22人で、審判・スコアラー講習会を開き、日本から持ち帰ったシチューの素で作ったシチューを皆で食べました。おいしかった!でも、それでシチューはすべてなくなりました!

オールアフリカゲームと台湾の大会に参加できなかった代わりに、ジンバブエへいくつかのチームを招きたい、というのが私の夢です。 残念ながら、話しが通じたのは、リンポポとプレトリアのチームだけで、それもジンバブエがまず訪問してから、ということで…

 もう一つの夢は、野球用具を扱うスポーツ店を探すことです。ヨハネスブルグ近くに1店あるのみで、ジンバブエの学校が購入するには高価すぎます。シーズン中は、南アの個人商店が扱っていますが、ジンバブエの学校に都合の良い時期にはありません。

9月は、イタイ(長女)の学費やその他支出のため、野球のために使える自分のお金がありません。

8月8日:私はジンバブエ野球会のような友人を持てて本当に幸せです。また野球会の愛情に満ちた人たちと共に野球を通して主に奉仕する強さと機会を与えて下さる神に感謝します。

<伊藤随想>

■以前高校野球の監督をしていた時の野球部員K君が、昨年亡くなりました。50歳だったと思います。初めは中学校の先生をしていたのですが、事情で退職してからは苦労続きでした。そんな中でも何とか自分を励ましながらやっておられたようです。私、昨年末に部屋で探し物をしていると、3年前に彼から頂いた暑中見舞いが出てきました。そこには、彼の幼稚園か小学校に入った頃の写真が短い文章と共にありました。「路地裏の少年」というタイトルのあと、「ビー球・めんこ・銀球鉄砲。貧乏やったけど、毎日楽しかった。(中略)今年は、少年の心ですごしたいと思います。」とありました。確かに写真のランニングシャツの少年は、華奢で素朴でしたが満たされたように見える昭和の愛らしい姿でした。こんな小さくかわいい少年の命が今は既に亡くなっていることに圧倒される思いです。

■長男の所属する関学大応援団総部吹奏楽部は、縁あってつながることが出来たベルギーの世界的作曲家、ヤン・ヴァン=デル=ロースト氏にお願いして、昨秋の定期演奏会で氏の指揮による新曲初演を奇跡的に実現させました。その演奏を聴きに行くと、素人の私の感想に過ぎないのですが、今までになかったそれはそれは素晴らしい演奏でした。きっと、演奏した一人一人も自分たちのしていることに驚いたことでしょう。今までの自分で使ったことのない能力が引き出され表現されているという感動を覚えたことでしょう。私たちがジンバブエの野球を応援しているのは、単にジンバブエチームが国際試合で勝つためというよりも、野球の楽しさをジンバブエの人たちと共有したいということから始まっています。自分や自分たちには、このような力があったのか、協力したら考えられないほど大きな力になるものだなという感動を、野球を通してあちらとこちらで共有できることを祈ってのことなのです。