事務局便り

伊藤益朗

 

マンディ氏が日本に来ることが出来、多くの有意義な経験をすることが出来ました。これも皆様の息の長い温かいご支援のお陰と感謝しています。

 

<マンディ氏滞在報告>

●東日本大震災 3月11日は来日翌日で、尼崎記念球場のスタンドで長い揺れを感じました。 大震災のニュースはジンバブエでも大きく報道されたようで、友人から多くのメールが届いていました。青山学院訪問も関東地方の混乱の為、断念しました。

 

●来日前にジンバブエからケンコーボールの北原氏とメールで連絡しており、尼崎でお会いすることが出来た事をマンディ氏は大変喜んでいました。ケンコーボールは村井さんの居られた頃から大会のスポンサーになって下さっていましたが、近年は関係が途絶えていました。途上国で使うのに適したローバウンズボールを10ダース寄贈いただき、最大限持ち帰りました。残ったボールも既に船便でジンバブエに郵送しました。今後、各小学校からのボール発注で途上国支援への理解が深い同社との関係を続けたいとのことでした。

 

●身元保証人は正岡氏、宿泊も2003年春にもお願いした正岡氏宅で、マンディ氏の日本の我が家です。

 

●マンディ氏の来日中は、3月中旬から4月上旬と、過しやすい季節と思っていましたが、例年になく寒い日々が多くありました。耐寒衣服も用意しましたが、慣れていないマンディ氏にとっては、さぞきつかったことと思います。 

 

●尼崎産業高校野球部では、マンディ氏にノッカーを務めてもらったり、紅白戦のアンパイア-もしてもらいました。彼の細やかな観察眼で、生徒達は多くのアドバイスももらい、遥か遠くの国から来た野球の先輩との交流を喜んでいました。

 

●マンディの夢 それは、周りの国々を含めて内外の野球指導者をハラレに呼んでクリニックを開き、野球を広めること。一定期間後、第2回目3回目を継続的に繰り返し、互いに地域や国同士が競って、野球レベルを上げていくという夢。そのスーパーバイザー役に日本の青年海外協力隊の野球隊員になって欲しい。今までの隊員やマンディ氏の活動で当初から目指していたジンバブエ人自身による自立、根付きがここまで進んできている為、今後野球隊員派遣が再開された時には、今マンディ氏が取り組み、進めている活動を後方から支えてくれる役割を担ってくれるように希望したいとマンディ氏や元野球隊員は語っています。

 

●リーブスで草野球参加。さすがに38才のナショナルチーム元代表選手。守備と走力で片鱗を披露していました。

 

●ノーランチ ジンバブエでも余り昼食を摂らないらしい。質素な生活、質素な性格に心洗われる思い。

 

●今のマンディ氏の活動で90年代当時の協力隊員の野球普及活動努力が蘇りつつあります。

 

●マンディ氏ら野球協会幹部から、10地域に配したコーディネーターを通して、各地区で野球普及活動を展開している。実に組織的。

 

●春の集い 3月13日(日)にマンディ氏を招いて、尼崎市労働福祉会館で開催しました(16名参加)。黙とう・挨拶・正岡さんによる現状報告を兼ねた紹介の後、マンディ氏の話・懇談会の順で進行しました。言葉の壁があるので、例えペースダウンしても正岡さんの通訳などを通して、全員がよく分かるように心がけて進めました。(政治)まだ安定していないが以前よりはまし。2党体制もうまくいっていない。国から300万人以上が流出した模様。2009年の選挙後3ヶ月間はスポーツができる状況ではなかった。理由は食物と交通。(経済)超インフレで崩壊状態。失業率は94%。一家の一人のみがNGOなどで、交替で4日単位で働くことが出来、食料品パックや衣料品パックをもらって凌いでいる。(社会)「学校をやめてしまうのを防止する事」と「HIV予防教育」という2つの大きな社会問題に野球が役立っている。野球があるから学校に来る。野球に出て来た場でHIVの知識を伝える。家では食べ物がなかったり悲観的であっても、グランドでは空腹を感じないで夢中で楽しむ事ができる。野球をしている間は貧富間でも対等である。近い将来、国が安定し、外国企業が戻ってきた時に進んでスポンサーになってもらえるよう「社会に役立っている野球」「組織がしっかりしている野球」の体制を今しっかり作っておくつもりで活動している。

野球普及のための指導者研修会には、3日間コースもあり、各学校の校長から派遣されて多くの先生が集まって来る。第一日目の1時間目は心の持ち方から始まり、ルール説明・実戦・筆記テスト・実戦テストなど、教室とグランドを有効に使っての3日間に及ぶ整ったカリキュラムに驚かされました。研修は全国から通える、国の中心にあるマシンゴで行う事が多く、研修を終えた指導者には修了証とともに、用意しているスターターキット(バットと軟球)を渡すことにしている。野球はまだマイナースポーツで、サッカーではトップになれない生徒らも野球に関心があるようだ。指導者研修会に何故多くの受講者が集まるのかという質問には、「教育的側面をおろそかにしないようにしている事」と、「受講者が給料をもらっている先生中心で学校から派遣されてきている事」と答えていた。大会へのチーム参加率も、80%あるらしい。一同マンディ氏のエネルギーに感心しきりでした。

 

●元隊員の小澤・鉢呂両氏とマンディ氏の話から

①次に協力隊員が来るなら、マンディ氏の方針の下で地域コーディネーターらを指導する役割をしてほしい。そして彼らの担当地域を順々に交替していろんな隊員の考えを全国のコーディネーターに浸透させたい。

②今後しばらくは、指導者研修に数名を外国に出すより、国内でクリニックやトーナメントをたくさんすることで、より多くの人に野球を広めるようにしたい。

③チームを派遣するチャンスがあれば、国内第二チームを派遣したい。彼らの方がその後国内で頑張るはずである。

 

●マンディ氏は日本語を理解する勘所を心得ているようです。また、私たちのつたない英語を理解する能力もかなりのものです。彼が言うには、そのかわり今までの経験では、日本から帰った直後の会議では、発言する時に、自分の英語がおかしくなっていることに気づくのだそうです。

 

●マンディ氏無事に帰国。限度水増し最大限持ち帰った荷物も無税で入国できました。

 

●尼産高の野球部員から寄せ書きと写真を感謝の言葉を添えてもらっていました。

マンディ氏の的確なアドバイスに、選手達も感謝しており、横で聞いている私もマンディ氏の野球センスと若者への接し方に感心させられました。

 

●帰国後のマンディ氏は、7月に台湾で開催の12才以下世界大会への参加実現のため、資金集めに奔走していました。選手16名の内4人はHIVキャリアーで、3人は通学していても2年間授業料を払えていないらしい。彼らに素敵な贈り物を実現出来る事を祈っていましたが、6月末にこの計画も、スポンサーがなく断念中止されました。間際まで決まらないでバタバタする、これがアフリカ流。彼はそれに代わる南ア遠征を考え、もう行動を始めました。

 

●大変残念な事ですが、この3年間最大の目標にしてきた、今秋、モザンビークのマプトで開催されるオールアフリカゲームから「野球種目」が突然削除されたと連絡がありました。

 

●今後の支援活動は、ジンバブエ野球協会のマンディ氏に向けて通常活動支援送金を定期的に続け、特別活動については逐次判断して進めますので、ご理解の程お願いいたします。