「ジンバブエ野球会の皆様へ」

今を生きるネパールの子ども達とともに

アジア友好ネットワーク 代表世話人 石丸雄次郎

 

 新しい気持ちで新年を迎えられたこととお慶び申し上げます。(平成22年1月記)

また、昨年は多額のご寄付をいただき心より感謝申し上げます。

ネパールへの支援ははや15年目を迎え新たな支援活動へと拡大しつつあります。

 

<ネパールへ開かれた道>

 ネパールへの道は生後8ヶ月の胆道閉鎖症児の子どもの来日(1994年)であり、ネパールの医療に対する関心を引き起こしました。

 子どもの難病「胆道閉鎖症」(子どもの肝臓疾病)は生後3ヶ月以内の手術が不可欠のものです。

 

<どうなっているのか>

 阪神淡路大震災の一年後の1996年、初めて訪ねたネパールは峠の向こうに連なる白く輝くヒマラヤの尾根、マナスル(8156m)ヒマルチュリ(7893m)そしてその向こうに聳えるエヴェレスト(8848m)マカルー(8481m)などヒマラヤ連峰に抱かれ、豊かな自然とともにゆっくりとした時の流れの中で生活している姿が強く印象に残るものでした。

 しかし、電気もなく、水道もなく、風呂もない村の日々の生活は震災以上のものであり、その日の食を維持することが精一杯のものでした。それでもそれを苦にすることもなく、人々や子どもには笑顔があふれるものでした。

 

<学校建設へ>

 ネパールという国の現状が理解できるとともに、“医療よりまず教育”をという現地の人の意見に沿って、学校建設の支援を始めたのが1997年のことです。

 1校40万円で学校ができるということを聞き、初めて建設したダンソール小学校は2棟、180㎡の校舎でした。

 竣工式は文部大臣をはじめ、市長、教育長、地元の有力者そして児童や保護者など500人近い多くの人が参加するものでした。喜びに笑顔があふれる表情に大きく心は動かされました。

 たどたどしいネパール語の挨拶は暖かい笑い声に包まれました。

 40万円の学校建設でこんなに多くの人々が喜んでくれることに、驚きと共に責任感が体の中に刻みこまれていきました。この時の鮮烈な印象が“一年1校を目標に”を超えて、14年で20校の建設を可能とし、今もエネルギーを生み出しているといえるでしょう。

 そこにはまた、多くの人々の暖かい支援(寄付)があったことが継続を可能としたといってよいでしょう。

 

<さらに新たな課題―ケアハウスそして専門学校建設へ>

 一年一年、山の中へ、村の中へ入るにつれ、この国の経済的な貧しさ、厳しさがよく理解できるとともに、学校以外の課題、医療や福祉に対する問題が見え始めた時でもありました。

 図書館の建設(50万円)、病院の建設、(360万円)そしてストリートチルドレンのケアハウス(500万円)さらに専門学校の建設(2200万円)そして児童労働問題、障害児・者問題へと歩み始めています。

今回の支援ツアー(2009年10月から11月)は学校建設のほか、病院の建設、ケアハウスの建設などの現地確認、専門学校の建設に関する協議など課題が多いツアーでありました。朝の5時から夜11時まで走り続けるという過酷なものでありましたが、子ども達の輝く笑顔に励まされ続けた日々でもありました。

 

<自立への道を探る>

 支援活動を継続しつつ、国そして個人の「自立」をどう育んでいくのかを中心の課題に据えて、政府首脳との協議も始めていますが壁は厚く高いものがあります。

「ともに生きる」ということを実践の中でつかみ取っていく途上といえるのでしょう。

 “世界全体が 幸福にならないうちは 個人の幸福はありえない”(宮澤賢治)。心に刻む言葉です。

今後とも暖かいご支援とご協力をお願いいたします。

 

<追伸>

 是非一度ネパールという大地に足を運んでください。新たな人生の一頁がきり開かれると思います。

 

<参考図書>

是非ご一読ください。

 「定年後」(岩波書店)-「命のネットワークづくり」(石丸雄次郎)

 「60才のラブレター」(NHK出版)-「もういいかい、まぁだだよ」(石丸雄次郎)

壁をとばされたラストリア小学校の子ども達

建設中のチルドレン・ケアハウス