今年2月、約3年ぶりにジンバブエを訪問しました

大阪大学大学院人間科学研究科 岡田千あき

 

 今日はその報告をさせていただきます。久々のジンバブエ・・・といっても、私はハラレには数えるほどしか行ったことがなく、高原のような気候に驚きました。治安が悪くなっていると聞いていましたが、人々はフレンドリーで食べ物は美味しく、楽しい滞在になりました。皆さんが「ハラレはいい!」と言うのが分かる気がしました。今回、サッカーに関する調査が目的だったのですが、ジンバブエ野球協会会長のモーリス氏の計らいで、訪問に合わせてドリームカップを開催してもらい、最終日に見学することができました。

 市内の高校で行われたドリームカップでは、日本に来ていたメンバーやかつて協力隊の教え子であった若者たちがモーリスを助けながら大会を運営していました。皆さんのお手元に届いたジンバブエからのハガキは、モーリスがデザイン・作成し、ドリームカップに出場していた選手たちが遠い日本に思いをはせながらメッセージを書いたものです。丁度、JICAのスポーツ関係の調査団が来訪予定でしたが、私自身は予定が遅れて会うことができませんでした。調査団の中にはかつての体育隊員がみえたのですが、ジンバブエで再会!とならず残念でした。

 今回、ハラレを訪問したのは、YASD(Youth Achievement Sport for Development)という団体の活動に関する調査を行うためです。YASDは、2008年にハラレ郊外のハットクリフ地区で活動を開始しました。サッカーを通じて青少年を育成し、ハットクリフ地区全体が活性化することを目指しています。日常的に地域の子ども達、若者にサッカーの機会を提供し、年に1回の「ホームレスワールドカップ」に選手を派遣しています。ホームレスワールドカップは、文字通りホームレスの人々のみが参加することができるフットサルの世界大会です。年1回、毎年異なる国で開催され、約64カ国500名超のホームレスの人々が一堂に会します。

 ホームレスと一言に言っても、国や地域によってその有り様は異なります。16歳以上の選手が各国8人まで参加できますが、日本のように路上で生活をする人々は世界的には多くはなく(また日本チームが世界一、平均年齢が高いです)、民間のシェルターで生活していたり、公的援助を受けている者、NPOや国連関係の支援を受けて薬物やアルコール中毒の治療を受けている者が大半を占めます。ホームレスワールドカップの主催団体の参加基準もありますが、主として各国の連携団体がその国に応じたホームレスの定義に従って選手を選抜し、国内での活動を行った上で大会に出場しています。

 皆さんは2005年の‘Murambatsvina’をご存知でしょうか。日本でも少し報道されましたが、ジンバブエ政府がハラレ郊外のハットクリフ地区の村を(不法占拠であるとして)一夜にして消滅させたものです。学校や保健所、農地や住居、職場などが、あっという間にブルドーザーで破壊され、住民は村を追われました。政府は5kmほど離れた荒れ地を移住先として提供しましたが、電気や上下水道はもちろん、道路さえもないただのブッシュでした。YASDはハットクリフ地区の若者たちが中心となり、村人が移り住んだ直後から活動を開始しました。

 家や家族、仕事や住居を失った人々は、途方に暮れながらもNPOや国連機関から支給されたビニールシートで簡易な住居を作り生活を始めました。調査の中で、当時の人々の虚無感や先が見えない苛立ち、政府はもちろん、新しい近隣住民や自分自身を信じることができず希望が持てなかった状況について話を聞きました。YASDは、まず村の子供たちを集めて草むらでボールを蹴らせる活動を始めました。当時は団体を作ってホームレスワールドカップを目指す、ということは考えてられていませんでしたが、活動を続けるにつれて、サッカーが人々の生活再建に様々な理由で役に立つことが分かってきました。

 今では、YASDはサッカーを中心に様々な活動を行っています。村の中に小学校を作り、中学生からは奨学金を支給し、子供たちの放課後の居場所として図書館も作りました。YASDで育った若者の中から議員やジャーナリストが誕生し、今でもほとんど改善されていないハットクリフ地区の開発に尽力する人が増えてきました。今回は、このハットクリフ地区でサッカーがどのような役割を果たしてきたのかについて、野球協会の会長でもあり、ブラワヨの国立大学に勤めているモーリス氏を共同研究者として2人で調査を行いました。

 モーリス氏は研究者としての能力もとても高く、もちろんジンバブエの事はよく知っており、スムーズなコミュニケーションの助けになってくれたことに加えて、当時のジンバブエの状況を詳しく解説してくれました。そんなモーリス氏でも、2005年にハットクリフ地区で起こった出来事については、ニュースで見聞きするのみであり、実際に村を訪れて驚いたと言います。モーリス氏は、「ジンバブエにこんな場所があったのか、他のアフリカの国かと思った」と言っていました。ハットクリフ地区の人々は、今でもジンバブエの一般的な生活水準と比較して遥かに困難な環境下で生活しています。今回の調査結果について、7月にロンドンで行われる国際学会でモーリス氏と共に研究発表行う予定にしています。

 野球の話はあまり多くできませんでしたが、以上が2月のジンバブエ訪問の報告です。私事ですが、現在、勤務先の大阪大学で高大連携の担当者になっています。上記のような話、あるいはスポーツを通じた国際協力、ボランティア、国際理解などについて中学や高校で講演をさせていただく機会がありそうでしたら、(様々な制約や条件はあるのですが)一度、お声かけをいただけるとありがたいです