●ジンバブエのマンディ氏から届いた要望が、結局実現されなかったこともあり、今季の後半はジンバブエへの送金はありませんでした。そのため、期末の残高が、期首より34万円余り増えました。今後の支援に充てていくつもりです。

 

●2013年6月から2014年5月までの会計監査を河西秀和氏にお願いし、6月27日に承認をいただきましたことを、ご報告いたします。

 

●その年も酷暑であった2010年夏に招待した南ア・ヨハネスブルグ在住のカートさんが、再び夏真っ盛りの8月に今度はプライベート旅行でご夫妻で来られます。あの暑さを忘れたのでしょうか。昨年ジンバブエ訪問された正岡さんたち一行はその後、ヨハネスブルグのカートさんを訪ねてこられました。

今年3月に送ってきた日本滞在予定では以下のようになっていました。

それにしても野球、野球の強行日程です。今後も何かの時にジンバブエ野球会やジンバブエ野球に力を貸していただければと願っています。

8月13日 夕刻、関空着

8月14日 観光、鳴門、徳島阿波踊り見物

8月15日 京都か奈良観光 夜:京セラドームにて

 オリックス対ソフトバンク試合観戦

8月16日 奈良か京都観光 夕方 広島へ

8月17日 宮島観光? 夜:広島対阪神 試合観戦

8月18日 大阪へ戻り 甲子園にて 高校野球観戦

(8月13日~18日夜まで 正岡さん宅泊)

8月19日 東京へ向け出発(名古屋で村井氏と会う?) 夜:野球?

8月20日 野球

8月21日 野球

8月22日 成田より帰国の途へ

 

●昨年ジンバブエを訪問された正岡さんご夫妻は滞在中に裸足で野球をしている多くの子供たちに遭遇されました。お二人はその姿が忘れられず、帰国後お知り合いに働きかけ、立花幼稚園、武庫小学校から今春寄贈してもらった子供用靴107足を、軟式ボールと一緒に第二の都市ブラワヨのワシントン先生宛てに送られました。これはジンバブエ野球会の事業ではありませんが、役に立ってくれることを祈っています。クリスマス時期に届くかな…、と期待しています。

 

●私が最後にアフリカを訪れたのは、まだ村井さんがジンバブエに住んでいた2003年で、それから早くも11年がたっています。それまではよく行きました。2001年には25名のツアーを組んでビクトリアの滝見学やハラレドリームパークでジンバブエの選手たちとプレーをしてきました。2002年は南アのプレトリアであった南ア国内の州選抜チームの全国大会にジンバブエ代表チームが招待されたのを選手兼任で見てきました。2003年にはナイジェリアの首都アブジャであったオールアフリカゲームに参加したジンバブエ代表チームのコーチとしてベンチ入りしてきました。アブジャは今、危険な事件が起こり、よくニュースで流れているところです。今回、正岡さんの誘いもあり、今年の冬には久々と言いますか、生きている内にもう一度ジンバブエで野球をしたい思いから、行ってこようかと検討を始めています。

 

●2001年の25人ツアー後、「またこのメンバーで行きましょうね」という言葉も頂きましたが、残念ながら同じことが繰り返されることはまずありえません。日々状況は変わるもの。味わうべきは「今、ここ」。目の前で起こっている「人生で一度きりのこと」なのでしょう。

 

●指導者と選手の関係の原点というと、私には「大松監督と東洋の魔女」が浮かんできます。大学野球部でも、そんな「お前と俺」、「無理なことでもお前が言うなら仕方がない、やりましょう」という「究める」関係を私は胸に描いています。部員一人一人に熱く思いを伝え、また聴きたいのですが、情報自体に湿り気を持たさない今のシステムで生きている若い人たちは、携帯・スマホなど情報の伝わり方が違うので人間の果たすべき機能が違ってきているように感じます。情報の納めどころが違っているようにも感じます。一方、若者たちが夢中になっているスマホのゲームを画面のこちらから見たり操作する立場ではなく、一人一人が登場人物そのものになって参加しているのが野球などスポーツということでしょうか。それぞれが心技体で特色や限界を持ち合わせながらも、そんな自分を最大に生かし、生身の人間として目的のために協力貢献しようとするところにスポーツの面白さがあるように感じます。

 

●次世代の人たちやジンバブエの人たちに野球を伝える意味は何なのでしょうか。勝つか負けるかだけにこだわる人を増やすためでしょうか。「のんびり人生」から「せかせか人生」に変わってもらうためでしょうか。いつも自問しつつ行う必要があるように思います。