●2014年6月1日から2015年5月31日までの会計報告です。

 

●今年度もジンバブエ野球の状況が不安定だったため、ジンバブエへの送金は見送りました。そのため、今期中に残高が約60万円増えていますが、今後も新体制のジンバブエ野球協会などを通してジンバブエ野球をゆったり気長に応援して、野球の楽しさをアフリカの人たちと共有できればと思っています。なにとぞご理解のほど、よろしくお願い申し上げます。

 

●支出の内訳は、ニュースレターの印刷代(65,340円)と郵送料(43,195円)のほか、航空運賃往復は自己負担でしたがモーリス氏の日本国内での移動費、観光、食費などの一部(78,790円)と、ジンバブエ野球協会に贈呈したノートパソコン(42,888円)でした。

 

●夏と冬の集いは、講師交通滞在費などを含め、トータルで黒字も赤字もなしとなりました。

 

●2014年6月1日から2015年5月31日までの会計監査を、7月5日に河西秀和氏にお願いし、承認して頂きました。

 

●私が最後にジンバブエに行ったのが、2003年9月、ナイジェリアの首都アブジャで開催されたオールアフリカゲーム前にハラレドリームパークで行われたナショナルチーム合宿でした。ずいぶん前のことになりました。当時20歳の選手なら今は32歳。22歳で結婚したとすると8歳くらいの子供がいてもおかしくありません。ハラレドリームパークが健在なら、私たちが野球場建設当初描いていた、映画「フィールドオブドリームズ」のような「親子のキャッチボール」が、今頃「元ナショナルチーム選手とその子供」というペアーで実現していたのではないでしょうか。それを思うと野球場が使えなくなっていることが残念です。

 

●京都での関西学生野球、関大対京大戦終了後のエール交換での光景が私の心に焼きついた。この日京大は学校行事でもあったのか、応援団員一人のみの応援であった。まず、勝った一塁側関大応援団が校歌斉唱した後、関大と京大の順にエール。それを受けて今度は京大の番。一人で応援のその団員は、関大応援団に厳かにお辞儀をした後、おもむろに無人の三塁側スタンドに向き直り大きく両手を広げ校歌斉唱を訴え、自ら腕を振りながら大きな声で校歌を自分で歌い始めた。時に声はかすれて途切れ、音程もはずれながらも最後まで堂々と歌い切った。続いて京大へのエール、振りむいて一礼後関大にエールを送った。最後に再度一礼してエール交換すべてを立派にやり終えると、スタンドから一斉に拍手が沸き起こった。みんな感動していたのに違いない。一人でも私はちゃんとやるぞという決心が伝わってきた。大学にも校歌にも関大にも自分にも敬意と誇りをもっての所作であったと私には見えた。胸にこみ上げるものがあった。