Zimbabwe Baseball

ジンバブエ野球会 冬の集い報告

髙林敏子

 

立春も過ぎ春も間近と予感させる2月14日、午後2時から尼崎市労働福祉会館にて、2004年冬の集いが催されました。 今回はジンバブエ野球会の代表、伊藤益朗さんの「インド・アフリカ・野球・私」と題された話でした。手許にカラーコピーのインド・カルカッタのマザーテレサ修道会施設に行った時の写真と、2003年10月にナイジェリアで催された第8回オールアフリカゲームでのジンバブエチームや選手村、会場の写真が配られました。

 伊藤さんは10年前にマザーテレサ修道会の死を待つ人の家を訪れ、世界中から集まって来るボランティアと共に入所者を世話されました。施設では、膨大な量の洗濯物も、洗濯機は使用せず全て手作業で片付けて行くので、シーツを絞るのも2人が各端を持ち、向かい合って力一杯捻じるのです。相手が大柄の男性だと伊藤さんでも大変でした。洗濯も食器洗いも分業方式で進められていました。ある時入所者の方が手を握り沈黙の中に語りかけてこられた時、伊藤さんはそれに対し沈黙で応えたのですが、その時間が大変長いと感じたそうです。三度ここを訪問したのですが、留守勝ちでなかなかお会い出来ないマザーテレサに毎回会うことが出来ました。厳しい非日常的な体験の中では、シスターの微笑みが大きな救いになったそうです。

2003年10月にナイジェリアで開かれたオールアフリカゲームにジンバブエチームのコーチとして行き、銅メダルを獲得したというホットなニュースをお聞きしました。会場に置かれている輝かしい銅メダルと手製のプレートも手にとって拝見しました。

各国選手の集まる選手村の食堂では、食後のテーブルに食べ残しの料理が一杯。開会式後のサブグランドでは水のペットボトル空容器の散乱等にビックリされました。アフリカ内では距離とお金の都合で、普段は野球チームの国際試合が無く、今大会も4年間互いに隔離されたチーム同士が戦うことになりました。審判も一貫したルールの徹底に欠けていて、心配しましたが、ジンバブエチームは良い試合をしたようです。チームで一番若く大会ひと月前に急きょ参加したルーキー君の小さくなっている様子に、伊藤さんが「君は次代の中心選手だよ」と励ましの声をかけた処、彼の表情が明るくなりました。三位決定戦で勝利が確実になった処で、伊藤さんは彼を出場させてはどうかと村井監督に進言、監督も彼を起用した処、その素晴らしいプレーで、チームが大いに盛り上がりました。そして彼は12月の国内大会でMVP賞に輝いたそうです。このようなことがあると大変嬉しいと伊藤さんは語っていました。

 少し休憩があって、ムビラというジンバブエのショナの人々に古くから伝わる楽器演奏がありました。ムビラデュオ「クザナイ」の中村由紀子さんと三木まさよさんの演奏と歌です。金属板を指で弾く楽器で、丁度菅笠の様な形(元来は瓢箪だが今はファイバーで作る)の中に納めて私達には楽器は見えないようになっています。奏でると笠の円周につけているビンの王冠が震え、更に美しく響きます。2台のムビラで合奏したり追いかけて奏でたりと、お二人の歌声と共に素朴な懐かしく美しい音色を聴かせて頂きました。私達もリズムに合わせて手をたたいたり、歌ったり、全員の演奏会となりました。「目を閉じてアフリカの平原にいると想像して下さい」の声と演奏に導かれて、丘に登り壮大なジンバブエの沈み行く太陽を見、アフリカの一日を体験しました。まさにジンバブエの風、空気、光に接した様で、それは澄んでいて爽やかでした。

 演奏後、全員でビールとお茶の乾杯でご馳走を頂きながら懇親会が催されました。初対面の方ばかりでしたが、ムビラ演奏のことやジンバブエの旅のことなどを話題に、和やかな輪の中に入れて頂きました。結果ではなく行うことの大切さを伝える伊藤さんに賛同して集う人々の和やかな集まりに、春も近い折、軽やかな心になって帰途につきました。