変わったこと 変わらないこと

井上竜二(元青年海外協力隊野球隊員)

 

 僕が青年海外協力隊の任期を終了したのが2001年3月。それから4年半後の昨年9月、再びジンバブエを訪れました。

 この4年半の間、ジンバブエの話で明るい話はあまりありませんでした。食糧不足・ガソリン不足・ジンバブエドルの暴落・恐怖の大統領選・民家大破壊計画などなど。そんな中での旅行であり、野球選手たちのことを考えると不安もありました。しかし、中部新国際空港を出発し、ホンコン・ヨハネスブルグを経てハラレ空港に近づくと、そんな不安など忘れてしまい、なんともいえない興奮と感動に包まれました。

 まずは「変わってないな」でした。飛行機の上から、乾いた大地に花を咲かせている少し気の早いジャカランダが見えました。ジャカランダは僕にこう言いました。「太陽が昇って沈んで、雨季になり乾季がきて、暑くなったら花を咲かせる。」それだけのことだよ。昔から何も変わっとらん。」

 ジンバブエの大地・太陽・空気・風。それらにそっと触れるだけで、また人間の小ささ・弱さ・愚かさを感じることができました。

 かなり良い気分で飛行機を降りるが、空港を出ると、昔はたくさんあったはずのタクシーがいない。どうしたものかと思っていると、偶然JICA職員のムニョララさんに会い、JICAの車で街まで行くことができましたが、今思えば奇跡的な幸運でした。タクシーのことなど、「変わったこと」もたくさんありました。食料や砂糖・油などはやはり不足しているようで行列がよくできていました。バス待ちの行列もよく見ました。それからやはり一番驚いたのは物価でした。5年前の何と1000倍です。為替レートは2週間の旅行の間に、1US$=50000から70000に変動。両替はミクルズホテルの警備員とエレベータの中に隠れて行いました。ヤクザ映画のように「こっちの束が1000万でこれが残りの200万だ。また頼むぜ、兄貴。」という感じでやってきました。

 その他に街の様子が激変したというようなことはありませんが、不景気のせいか街全体の活力は下がっているように感じました。

 ハラレ周辺だけですが、当然ハイデンシティエリア(人口過密区)にも行ってきました。一番困ったことはずっと水が止まっていたことでした。また小さな売店はすべて閉店していてコーラもなかなか買えませんでした。ただ子供たちの笑顔は相変わらずでとても輝いていました。民家大破壊でめちゃくちゃになった家があちこちにある中、子供たちの笑顔がまぶしくて、ジンバブエの将来を考えると複雑な思いでした。学校もいくつか訪問して先生たちにも会うことができました。野球の運営も何とかやっているようでしたが、小学校の野球関係の委員長であるチゼロ氏は、僕を見ると、「サカモト、久しぶり。」とあいさつして、そのあと何か必死に全国大会の準備が遅れている言い訳をしていました。

 ドリームパークの様子も報告しましょう。村井さんや野球隊員がいない中、どうなっているか不安でしたが、日曜日の朝行ってみると、ちゃんとやっていました。毎週日曜日、午前がソフトボール・午後が野球で、試合の予定表もありましたが、バス代が高くて人数がそろわないので、毎週来れる人は来てみんなで試合や練習をするということでした。レベルはやはり下がっています。ナショナルレベルの選手もレベルの低い選手に合わせてプレイしてしまうようでした。ただ、日本人なしですべてやっているので、よくやっていると言えると思います。また、僕たちが隊員だったころ小学生だった選手でナショナルチーム入りを目指す選手も多く、多くの日本人コーチの残したものが光っていました。

 野球の方は何とかやっていましたが、この先ジンバブエという国はどうなってしまうのでしょうか。政治・経済・医療、どれも大変な状況でお先まっ暗です。そんな状況にもかかわらず人々の表情は昔と変わっていませんでした。歌って踊って笑って、日本人にはない輝きを失っていませんでした。ジンバブエはこの先どうなってしまうかわかりませんが、人々のあのまぶしい笑顔はきっといつまでも変わらないでしょう。ジンバブエの太陽や風が、そしてジャカランダがいつまでも変わらないのと同じように。