夏の集い03を振り返って

森 文彦

 

7月27日の夏の集いは案内のタイトル通り「ゆったりタイム」を存分に味わい、いつものあわただしい時の流れとは違うひと時を会の皆さんと過ごす事が出来ました。時間が足りなくなって、帰りに数人の方とお茶してしまう事になってしまいました。私自身も会の集いには毎回なかなかいけず、本当にしばらく振りの参加でしたが、以前に会でお会いした方々が結構いらっしゃったのと初めて国際協力事業団兵庫国際センターが会場になったせいか、懇親会でも会の方とすぐに打ち解けて入っていけました。それに忘れてならないのは料理の方もなかなかのボリュームがあり、懇親会を盛り上げるのに一役買っていました。

 

*難波さんの講演 中国野球観戦記

 

SARSの警戒が厳しくなり始めた4月中旬にガラガラ空きの便でお母さんと一緒に北京へ野球観戦にわざわざいかれ、向こうの人にもよくまあ、、、、、、、、?と驚かれたエピソードから始まり、野球では素人という観点からの中国野球土産話を聞いていると、発展途上の中国野球の何かほほえましい素朴さが感じられました。でも難波さんから配られた豊富な資料に目を通していると、北京オリンピックに向けて中国が国を挙げて動き出した感がします。いよいよ眠れる獅子が起き上がったという感じです。2002年にプロリーグ開催にこぎつけ、平行して其の底辺にいわゆるエリート教育を取り入れたりして組織化しようとする動きは、何か大きな可能性を秘めて不気味な感じさえしないでもありません。面白かったのは手榴弾などの投擲型小型兵器の使用訓練のために(当時は内戦中)、人民解放軍に取り入れられたことと、1972年から始まった一人っ子政策で育った世代が往々にして自己中心的で責任感に欠ける所が有り、社会的な問題にもなってきて、其の是正の為の教育効果として野球も見直されている点が指摘されていて、非常に現実的で興味深く思いました。

 

*正岡さんの講演 ジンバブエ野球会5周年を迎えて

 

何故、この会が野球好きな人ばかりではなく、全然そうでない人達までをも包み込んでここまで至っているかの一つのヒントが正岡さんの素朴な語りの中にも見られるような気がしました。会の代表者伊藤益朗さんとの幼い頃からの出会い。

 

田んぼで暗くなるまでボールを追いかけ一緒に遊んだ幼い頃。その時から育んできた絆のようなものが、こんな形でずっと長く続いているのは驚きです。田んぼでの野球は本当になつかしいものがありました。家の前の公園で近所のガキ友達と暗くなるまでボールを追いかけ、お母の「ご飯できたよ。早よ帰っといでよ」という声まで聞こえてくる、自分の幼少時代の光景を思い出しました。あの時代、同じような光景が夕方全国あちこちで繰り広げられていたのではないかと思うと不思議な感じがします。

 

正岡さんが「勝ちあり、負けあり、雨有り」或いは「ワンポイントリリーフ」と言うキーワードを使って語るとき、そこには大上段に振りかざし、歯を食いしばっていくような姿勢ではなく、むしろ淡々と与えられた役割を全うしていく姿勢を強く感じ、こういう行き方こそ組織が直ぐにポシャルことなく、長く続いていく要素となりうるのではと思ったりします。いわゆるビジネスの先端を行く企業戦士から見ると、そんな優柔不断な組織?では直ぐにつぶれてしまうというかもしれませんが…。 でもこの会のあり方がジンバブエに野球場を作るというフィールド・オブ・ドリームを実現させ、或いは二度のジンバブエ訪問まで生み出したのではないでしょうか。そしてひいてはマンディ、スチュアート、ジョンさんの野球留学まで可能になったのではないでしょうか。新聞記事などをとおしての感想ですが、特に今回のジンバブエからの野球留学に来た三人にとっては、かけがえのない貴重な人生経験になった事はもちろん言うまでもありませんが、オーバーに言うと地球に生きる者同士が何かを共有しあう出会いの場が生み出され、そしてその輪が静かに広がっていったのではないでしょうか。そのために

 

どれだけ多くの人が善意で動いてくださっているのかを考えると、頭が下がる思いがします。正直言って一緒にお手伝いしてこの体験を共有できなかった事が、非常に残念です。

 

正岡さんは「ゆったりと気長に」とおっしゃっていますが、其の中でやはり思いのこもった情熱が皆さんに在るがゆえに、いろいろな苦労困難をも、別に苦労困難と思わずに進んでいけるのではないでしょうか。これからもこの姿勢で進んでいかれ、一つの込められた思いが徐々にまた輪のように広がっていきますように祈っています。

 

最後にこの報告を書いていて頭に浮かんできたのが次の言葉でした。

 

「たかが野球されど野球」