夢のない世界

竹中清 (南アフリカ共和国在住 スポーツライター)

 

ドリームカップに参加した南アフリカナショナルチーム

 

 野球を捨てた男の話をする。しかし、彼らは野球を嫌いになったわけじゃない。グラヴやバットは子供のときから付き合ってきた相棒だし、ベッド・ルームの鏡の前に立ち、模擬野球をするのは今でも好きだ。それでも、フィールドにはサヨナラを告げた。

 

 ブッチ・ジェームス、23歳。ファッション雑誌の表紙を飾ることもあり、南アフリカでは絶大な人気を誇る若大将。野球が盛んな土地、ダーバンで育ち、子供の頃は何よりも野球を愛した。

 

 しかし、手にした小さな白球をいつまでも眺めてみるが、そこに夢の世界が透けて見えることは一度もなかった。やがてブッチは少年から青年になり、手には楕円球を持って歩くようになった。楕円球を透視しなくても、この国でプロのラグビー選手になれば、名誉、地位、金、羨望の眼差し、喝采……、あらゆるモノが手に入ることを彼は知っていた。

 

 現在、ブッチはプロのラガーマンになり、世界最強軍団のひとつとして畏れられるスプリングボックス(ラグビー南アフリカ代表の別称)の司令塔を務めている。

 

 ブッチがマイナースポーツである野球を捨てた選択は正しかった、というつもりはない。もし野球を続けていたら……、という贔屓目の仮想話は、世界トップクラスの運動能力を持つアスリートを前にして、現実味がないとはいい難い。

 

 ただし、これだけはいる。100年を越す歴史の中で、野球界はラグビー界よりも不遇をかこち、その上にあぐらをかいたまま、発展への努力、改革を怠ってきたということだ。

 

 野球少年が将来を考えるようになった思春期のある日、野球に魅力がないように思えたのは、野球そのものではなく、環境がそう思わせたのだ。

 

 それを一生懸命やれば食っていけるのか? 国内にプロのリーグは存在するか? TVや新聞、雑誌には取り上げられるか? オリンピックを目指せるか? ワールドカップのような夢舞台はあるか……? フィールド(グラウンド)で楽しければ結構なことだ。しかし夢の多い世界なら、心はさらに躍る。

 

 プロのラガーマンとなった若き男は、スプリングボックスの重責に潰されぬよう、トレーニングと研究の日々に明け暮れている。「夢のために努力することは楽しく素晴らしい人生だ」、と彼はいった。

 

 ブッチがベースボールパークに姿を見せることは、いまはない。

 

 クリス・キャンベルの部屋には所狭しと写真やポスターが飾られてある。マーク・マグワイア、ミッキー・マルトン、ロジャー・スミス……。棚にビッシリと並べられたメダルやトロフィーは、子供の頃から今まで、野球とソフトボールで獲得した宝物だ。

 

 

 

 父と兄は元野球選手、母と妹と義姉は元ソフトボール選手だが野球が大好きで、12歳の姪は少年野球で一塁手として活躍中だ。クリスはまさに野球一家に生まれ育った。

 

 ナショナルチームにも選ばれたことのあるクリスは、さらに高いレベルを求めて、トレーニングはもちろん、野球の勉強にはことさら熱心だった。

 

 野球発展途上国の南アフリカで、野球の雑誌や書籍を見つけることは奇跡的に近いが、クリスは世界中から観光客が集まるケープタウンの街の古本屋を頻繁に訪れ、メイド・イン・USAの野球技術書を見つけては買い集めた。また、彼の住むコミュニティーが発行する新聞に載った野球記事は、すべてスクラップ・ノートに貼り付けており、父や兄から譲り受けたものを合わせると、約20年間で十数冊の野球資料を完成させている。国立図書館も敵わないそのスクラップ・ノートには、いつも憧れていたのであろうか、“ミズノ”や“SSK”のロゴが眩しいバットやグラヴの雑誌広告でさえ、キレイに貼り付けられていた。

 

「とにかく、野球というものに浸っていたかったんです」

 

 そういいながら、クリスは鍵つきの白い木製の箱を見せてくれた。箱の中には、大リーガーのベースボール・カードが約200枚以上も大切に保管されていた。ドイツで野球修行をしていた兄が必死に買い漁ってくれたカード、自分が海外遠征の際にやっとの思いで手に入れたカード……。

 

「引退する日が来たら、息子にこの箱をあげるつもりでした。彼にも、夢の中でヒーローとキャッチボールをして欲しい、そう思っていたんです。でも、ボクはまだ独身ですし、弟もいませんから……、姪にでもプレゼントしようかと思っているところです」

 

 27歳のクリスは、今シーズンは野球をしていない。

 

 一年前、ミルウォーキー・ブリューワーズの1Aで奮闘するカール・マイケルがオフシーズンで南アフリカに帰ってきたとき、最も信頼できる女房役としてクリスとトレーニングをしていたが、もうその光景は見られない。

 

「結局、人種差別というガン細胞にボクは抗しきれなかった、ということです。マイナースポーツである野球は世間の注目もなく、人種問題とは無縁の世界だと信じていました。しかし、上の世界に行けば行くほど、ボクの黒い肌を気にする人が多いように思えてきたのです」

 

 誤解のないようにいっておくが、ナショナルチーム監督である白人のレイモンド・テュー氏は人一倍正義感が強く、気配りのできる人間であり、クリスが尊敬する人物のひとりである。しかし、肌の色に敏感な世界に住む人間にとって、誰かの心ない声や視線は彼らの夢見る力をもあっさり壊せる病原菌なのである。

 

10月、野球シーズンが開幕したオッテリー・パークにクリスの姿があった。手にはミットではなく、缶ビール。胸を抱きしめるのはプロテクターではなく、無邪気に笑う恋人がしなだれていた。

 

 だが野球を捨てきれないクリスから、その日一度でさえ、笑顔を見ることはなかった。 

 

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  南アフリカはMLB(米国)の支援を受け、過去5年間で飛躍的に競技人口が伸びています。

 

また、オリンピック出場、大リーガーを目指す若者の出現により、注目するメディアも出はじめました。南アフリカ野球には明るい未来が待っているのかもしれません。

 

 しかし、ブッチ・ジェームスやクリス・キャンベルのように、野球に別れを告げる若者を引き止められないのも事実です。原因はそれぞれ違えど、問題から目を逸らさず、改革に着手しなければ野球界の発展はありえません。ブッチやクリスは、愛する野球を失った哀しき男たちなのです。

 

 これは南アフリカだけの問題ではなく、日本も、ジンバブエも考えるべきことではないでしょうか。

 

 ジンバブエ野球はまだ歩き出したばかりで、多くに着手する時期ではないと理解しています。

 

人種問題などは我々日本人がどうこうできるものではないと思いますが、野球の普及は肌の色に関係なく進められるはずです。白い子供であろうと、黒い子供であろうと、野球の楽しさを知らない子供はまだまだ多いと思います。「野球は白人スポーツ」、「野球は黒人スポーツ」という概念を生み出してしまえば、これ以上の負の遺産はありません。

 

 また、世界中でサッカーが絶大な人気を誇っていますが、他のスポーツ界は必死になって競技及・発展へのプロジェクトを進めています。特にラグビー界は未開拓のアフリカを真剣に見つめており、その結果、ケニアは12月に行われた7人制の国際大会でラグビーの母国ウェールズを破り、ベスト8に進出するほどになりました。ジンバブエ出身の多くのプロ・ラガーマンが南アフリカで活躍するようになり、ケネディ・ツィンバという黒人選手は2002年度優秀選手に選ばれています。

 

 サッカー大陸といわれるアフリカですが、あらゆるスポーツを楽しむ社会に少しずつ変わってきており、アフリカ野球の発展は、ジンバブエ野球会の皆様のような地道な活動がもたらすのだと信じております。

 

 2003年も、ジンバブエ野球界(会)に力強い追い風が吹きますように。また、多くの人が野球を楽しめますように。野球は夢のない世界ではないはずです。