希望の種を蒔く人々

竹中清(スポーツライター)

         

「しかし、ジャパンてのは恐ろしい国だね」

 

 ショーン・キャンベルはテレビに映る“サムライ”に釘づけになり、昨夜は一睡もできなかったらしい。

 

「真夜中にESPNを視てたのさ。サミー・ソーサの試合があるって聞いてたからね。ところがサミーのホームランよりブッたまげたのは、初めて目にした日本人ピッチャーのスライダーだよ。エーッと、名前なんて言ったっけ……、小型のランディ・ジョンソン……」

 

 私は自慢気に答えてやろうとニヤついたが、ほかが早かった。

 

「イシイだよ。もう6連勝してるんだから」

 

 自慢の回答権を勝ち取ったのはエイミリー。11歳になるショーンの一人娘である。南アフリカの強豪クラブのひとつ、アスロン・アスレチックスで監督を務めるパパの影響もあり、少女野球チームで青春を謳歌している。ソーサ命の父とイシイ命の娘、好みは違えど、二人とも心から野球を愛している。

 

「ノモが7年前にアメリカ人の度肝を抜いたと思ったら、昨年はイチローだろ。ササキやイラブだっている。シドニー五輪や世界選手権で日本代表の凄さを直に感じたつもりだったけど、いやはや、日本人の野球熱ってのは相当高いんだろうね」

 

次期ナショナルチーム監督の有力候補でもあるショーンは、世界的な野球の普及、発展を願ってやまない。そして自国でもプロリーグを開催したいという大きな夢を持つ。ゆえに野球への探求心は旺盛だ。

 

 南アフリカの野球史は100年を越えるが、ラグビー、サッカー、クリケットが人気スポーツであるこの国にあって、その存在は無視され続けてきた。しかし、近年の国際大会では確実に成果を上げており、“アフリカの希望”であると野球界の注目を集めている。

 

 現在、大リーグとマイナー契約を交わしている選手は7人を数え、イタリア、オランダ、オーストラリアでプロとして夢を追い続ける若者も多い。競技人口は約1万人だという。

 

 

 

 

「日本人の野球に対する愛情の深さは以前から知っていた。1993年に住友金属野球部がこの国に来てくれたとき、我々に野球を教えてくれたんだ。それ以来、選手たちの野球に対する取り組みが変わったから、南アフリカ野球は日本人によって成長してきたとも言える。

 

彼らはアフリカに希望の種を残していってくれたのさ」

 

 日本人に尊敬の念を抱き、野球を熱く語るショーンの瞳に支配されながら、私はある風景を思い出していた。そう、今年4月にプレトリアで見た、緑と光に満ちた暖かなベースボール・パーク。そこに吹いていた“爽やかな風”について、私はショーンとエイミリーに話すことにした。

 

「希望の種はアフリカ中に広がるかも知れないよ」

 

南アフリカの州代表選手権でジンバブエ代表のプレイが観れるとは思ってもいなかった。と同時に、アフリカではトップレベルのプレイヤーが集まった大会で、彼らは場違いな存在だと非難されはしまいか、と正直に告白するならば、私は冷ややかな目でジンバブエの青年たちを迎えていたかもしれない。

 

 しかし、私は無知を恥じることとなる。ジンバブエ野球の何も知りはしなかったのだ。

 

 残念ながらジンバブエ代表は一勝も上げることはできなかった。スコアははっきりしないが、僅差の敗戦はなかったはずだ。だが、ジンバブエ選手たちのパフォーマンスは、ベースボール・パークに集まった観客はもちろん、トップレベルのプレイヤーでさえも釘づけにした。

 

「ヒーハーッ!」

 

 ジンバブエ選手たちの歓喜の叫びがまだ鮮明に耳に残っている。彼らは力強くボールを叩き、土を蹴り、恐れることなく芝に身を放り投げた。ファインプレーは数知れない。

 

 手に汗握りながらいつの間にかジンバブエ野球に惹き込まれていた私の隣で、現南アフリカ代表監督のレイモンド・テュー氏が呟いた。

 

「野球を通じて国際貢献を果たす日本人の力は、政治家も敵いませんね」

 

 彼の視線はグラウンドで異彩を放つ二人の日本人を捕えていた。

 

 全力疾走で拍手喝采を浴びたのは伊藤益朗、ジンバブエにドリームパークを夢見た男。

 

 ベンチから檄を飛ばすのは村井洋介、ジンバブエ野球の礎を築いてきた男。

 

 彼らはジンバブエに希望の種を蒔く人である。

 

 

 村井が現地に10年以上も腰を据え、草の根から野球を広めていること、伊藤が私財をなげうってハラレに野球スタジアムを完成させたこと、また彼らの活動に賛同した多くの日本人が地道な支援を続けていることを聞いて、私は強烈な衝撃を覚えた。小さな力の積み重ねが、壮大な夢に向かって確実に近づいているのを目の当たりにしたからである。その証拠が、ジンバブエの青年たちのイキイキとした姿であり、「ヒーハーッ!」という歓喜の声なのだ。

 

 最終決戦前夜、私は村井と伊藤に連れられてジンバブエの選手たちが滞在している教会の宿泊施設を訪れた。

 

 ミーティングで最も印象に残った言葉、いや、ジンバブエ選手たちの目を最も輝かせた言葉を記しておきたい。

 

 村井は、ワンプレーの大切さを厳しく説いたあと、ゆっくりと優しい言葉で抱きしめた。   

 

「4年後、君たちはファイナルゲームで戦っているはずだよ」

 

 伊藤は、慣れない英語ながら、自分の気持ちをダイレクトに伝えたいとまっすぐに選手たちの目を見つめた。

 

「負けている今でもね、やるべきことはあるから。君たちは戦えるから」

 

 日本人によってジンバブエに蒔かれた希望の種は、選手自らの手によって芽を出す日が近づいているのかもしれない。

 

「パパ、私もハラレ・ドリームパークが見てみたい」

 

 エイミリーの呼びかけに、ショーンは目をつぶり、やがてニタリと笑った。正直な気持ちとして、スタジアムを持つジンバブエの選手たちが羨ましい、とも告白した。

 

 だが、それよりショーンの胸を打ったのは、野球を愛するアフリカ人が増えているという事実だ。よきライバルの存在は互いのレベルを高める。

 

「ガーナやナイジェリアにも、野球好きの日本人がいるらしいよ」

 

 私がニタリと笑うと、彼は最上級の尊敬語を口にした。

 

「しかし、ジャパンてのは恐ろしい国だね」

 

 ジンバブエの風、アフリカの風が、野球大国・日本に吹き込む日が待ち遠しい。

 

(文中敬称略)

 

(竹中清さんはラグビー誌編集スタッフを経て、フリーに。現在、南アフリカに滞在中)