日本旅行レポート   2011年3月10日 – 4月6日

ジンバブエ野球協会 会長 マンディショナ・ムタサ

 

――― 旅行を実現させて下さった、ジンバブエ野球会の皆様へ感謝を込めて ―――

 

旅行の概略:ジンバブエ野球協会(ZBA)とジンバブエ野球会(Z会)代表伊藤さんとの同意の下、今回の訪日が実現した。村井さんや青年海外協力隊(JOCV)のコーチ達がジンバブエ国内から退去した後、改めて相互の理解を深め、関係を再構築するのが目的であった。

当初2009年に計画されていた私の来日は、直前に起きた私の家族の問題で実現できず、Z会には大変ご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。

 

旅行の目的:

 (1) ZBAの野球普及戦略と計画をZ会に説明する

 (2) ハラレドリームパークの現状説明

 (3) Z会や他の援助者にZBAが必要とする援助の概略を説明する

 (4) (日本の)野球を学ぶ

 

1.ジンバブエ野球普及戦略と計画

 

国内での活動

■ JOCVコーチが初めて野球を紹介した地区での野球活動の再開・継続

・1992-2006 JOCVによって野球が紹介された学校、地区、町、県、での活動継続(再開)

・2004から現在に至る中で、政治、経済、社会的理由により、活動が止まっていた多くの場所(学校、地区など)で、活動を再開

 

■ 適切なナショナルコーチングシステムを再組織化し、構築すること

 ジンバブエ野球の再編成(再組織化)は、どのようなプレースタイルがジンバブエにとって最適かを考えることから始まる。私は日本的アプローチが良いと思う。 体格・文化・食物において日本とジンバブエには類似点が多く、日本野球には(我々が)学ぶ点が多い。

 日本で求められるのは、個人の特性に基づく、非常に洗練されたものである。日本の洗練されたマナーを、ぜひともZBAシステムに取り入れたい。一(いち)野球選手・一(いち)技術スタッフであるだけでなく、マナーを身につけた、信頼される、足るを知る謙虚な生き方を重んじるジンバブエ人になるために必要なことである。この点は、他の国と比較しても日本野球が優れていると考える。 

 日本は成熟した国で、責任感や創造性を育む多くの活動がある。それを見習い、我々の試合に適用したり、システム化されたコーチ講習を通し、我々はジンバブエの発展に寄与することができると考える。

 

■ コーチ・アンパイヤ分野での資格認定と管理

 ジンバブエ野球は、テクニカル分野(コーチ・アンパイヤ)で、仕事を生み出す可能性を持っている。それゆえ、将来、国内において、競争力のある強いチームを生み出すためには、コーチ・アンパイヤの厳格な資格認定制度や、理解の容易なシステムを構築する必要がある。

主に力を入れたいのは、コーチの独創性を磨くこと、即ちコーチは、新しい道具を提案したり、 即興で道具を作成したり、用具の形を工夫する。試合に関する基本的な技術は満足できるまで、その地域の様々なレベルに即して教えられなければならない。

 ボール、バット、グローブは、野球を初めて紹介するとき、その地域で作成した。このやり方は2010年に大成功を収めた。

 

国外での活動

■ ZBAとZ会の相互理解と連携強化

 ジンバブエ野球協会は、その計画に対し、日本から大きな支援を頂いていることを認識・理解し、感謝しています。日本側、特にZ会には何度お礼を申し上げても足りません。コーチ講習会やトレーニングキャンプに財政支援を、また用具・ユニフォームなどの物品支援を頂いたり、さらにドリームパーク建設に対して大きな援助を頂いたことを忘れてはおりません。

 3月13日、Z会会員の皆様にお目にかかれてご挨拶する機会を与えていただいたことに、心から感謝いたします。特に、Z会とZBAの間に立って的確な情報伝達を担ってくれるJOCV隊員がまったくいない現状で、ZBAを支援して下さる皆様方に御礼を申し上げることができ、本当に嬉しく思っています。

 

■ ドリームパークの現状説明;3月13日、Z会春の集いにて

ZBAとモーターアクションスポーツクラブとの間で、

所有権に関する対立があり、残念ながら球場は目下使われていない。村井氏を通じてZ会が球場建設に着手した時、やや不明確な、あるいは十分でない情報に基づいていた。当時の野球協会代表は、ドリームパークの土地の借地権に関して、「紳士協定(書面は作成せず、口約束)」を結んだ。現在、私の方の役員は、ハラレ市(土地所有者)とモーターアクション(2024年までの借地権あり)で仕事をしており、再び球場で野球ができるよう、あるいはZBAの名前でリースできるよう鋭意努力している。目下進行中の事案であり、最終的にどうなるかを今はっきりと言及することは難しい。現在、ドリームパークのある場所を使用している団体は無い。ドリームパークが使用できない事に、我々が不満を表明し続けていることに対し、ハラレ市は、人口密集地のハラレ市内外[Highfield, Glen View, Mabvuku and Kambuzuma] において、野球練習用に何箇所か空き地を提供してくれている。

 

■ 三菱神戸; 3月20日、24日、4月5日

 大川監督率いるこの実業団チームは、若く・多様

性のあるチームである。2010年、このチームから大量の野球用具を寄贈していただいた(送料Z会負担)が、監督・部員の皆さんにお礼を申し上げる機会を与えられ、とても嬉しかった。この用具があったおかげで、我々のプログラムは大きく前進を遂げることができた。当時、下降気味であった野球普及計画を活気付けることができたのは、まさにこの用具のおかげであった。

 大川監督は、野球の基本に関して、有効な知識と深い洞察力を持ち、①プレイレベル(選手の経験値)はさほど重要でない、②正しい基本を身につけなければならない、③コーチはすべての試合・練習に、目的・目標を設定すべきである、と私にしっかり理解させてくれた。

 コーチは、選手・スタッフらが集中力を維持できるよう盛りたて、チーム全体をしっかりコントロールしなければならない。選手と監督の間には良好な関係が必要である。なぜなら、選手達は成熟しているように見えても、簡単に集中力が切れ、怠惰になりやすい(特にウォームアップ中)からである。

 

■ ケンコーボール社、北原氏と会う; 3月25日

 ケンコーの営業課海外担当の北原氏とお会いするという素晴しい機会を得た。以前から私は、我々の野球普及活動において、ボールを支援してくれる会社と交渉できる機会があればいいなあ、と考えていた。北原氏によると、「現在ケンコーは、財政的な問題から、スポンサーになれる状況ではないが、ZBAへの支援には興味がある。大きく値引きしたボールをジンバブエの小学校・ハイスクールに販売し、将来的にはアフリカの市場を開拓したい。送料・関税はアフリカ側の負担になるが。」とのことであった。

 北原氏と話し合ったとき、私は、ジンバブエの小学校・ハイスクールで市場開拓できる品物に、Tスタンド、バット、様々な年代向けビデオがあると気付いた。それは、ケンコーを、ジンバブエだけでなく、他のアフリカの国々特にZone6(南ア、レソト、モザンビーク、ザンビア、ナミビア、アンゴラ)と結びつける助けになる。これを実現させるためには、ケンコー製の用具を適切な手順でジンバブエに紹介しなければならない。

 6月7月の学校対抗戦で、ケンコーボールを使い始める。現地の地質・天候に適し、耐久性のある製品なので、ZBAはケンコーボールの使用を強く勧める予定である。ZBAは、ケンコーから10ダースのボールの寄付を受けた。これらのボールは、国内の小学校、ハイスクール、女子野球チームで試用されるが、2011年末か2012年初めまでに、これらのチームからケンコーボールの注文が入ることを期待している。

 

■ 竹下千あきさんと会う; 3月29日

 竹下さん(旧姓岡田、元JOCV体育隊員、ブラワヨで高校生を指導)と梅田で待ち合わせ、一日を過ごした。3月15日大阪大学(竹下さんの勤務先)で予定されていた講演会のテーマ「貧困の中でのスポーツの役割」に関して話し合った。マンディも発表者のひとりになっていたその会は、東日本大震災のため中止された。彼女はジンバブエの事情に精通しており、ふたりで大いに話が盛り上がった。貧困を減らす(軽減する)活動、特に少女(選手)の活動において、ジンバブエ野球と提携したいと彼女が強く望んでいることを知り、その熱意に圧倒された。

 竹下さんは、野球活動普及に大きな妨げとなるHIVやAIDSに関連した事柄にも共通の理解を示してくれた。

 大阪大学のウェブサイトで紹介されている奨学金制度をあげ、ジンバブエの学生が応募するよう薦めて欲しいと要請された。ZBAとしては、学業にも野球にも優れた学生選手に、このすばらしいチャンスを知らせ、強く動機づけたいと思っている。

 

■ 野球を学ぶ

 伊藤さんの下、日本で野球が学べた幸運に心から感謝しています。練習・試合に帯同させてくれた、尼崎産業高校野球部の選手、特に岩崎監督、それからマネージャー、キャプテン、保護者や応援の方々に、御礼を申し上げます。ありがとうございました。

 伊藤さんと一緒に行動していると、いつも何か新しい発見があり、こと野球に関して彼の英語はとてもよく理解できた。試合中は目の前の野球のプレイについて、また野球が果たせる社会的な役割について、彼はとてもよく理解できる英語で私に話してくれた。世界をより良くしていくために役立つであろう、野球が持つ潜在的な力、可能性に関して語り合うことが出来る、伊藤さんに出会えたことは私にとってこの上ない幸運である。そして、伊藤さんに私と過ごす時間を与えてくださった伊藤和子さん(奥様)に心から感謝したい。本当にありがとうございました。(マンディは私、正岡に一度、「伊藤さんと結婚したい!」と言ったことがあり、2人で大笑い。そして、その言葉を伊藤和子さんに伝えると、「いいよ~!ぜひ」と。またまた皆で大爆笑でした。)

 

■ 追記;

ずっと前から、絵葉書で知っていた「桜」を、今回自分の眼で見、触れ、匂うことができ(つぼみの頃から毎日、我家の近所にある1本の桜の木の写真を撮り続けていた)、日本の美しい自然に感動した。このような素晴しい機会を与えてくれた神に感謝している。と同時に、歴史的な大災害(来日の翌日、東日本大震災が発生)に遭遇し、実際、生まれて初めて大地が揺れるのを感じ(尼崎記念球場のスタンドで)、なんとも言えない経験をしたが、これも自然と共存する人間に避けられないことだと思った。