日本遠征

村井洋介

ジンバブエナショナルチームコーチ

 

1994年から10年目の今年2004年、幸運にもまたジンバブエ野球チームと共に来日する機会を戴いた。しかも、今回はシニア・ナショナルチーム。

 関西学院、青山学院の両校の計らいで実現したジンバブエ野球チーム日本遠征は、また新たな、そして大きな足跡を、ジンバブエ野球の歴史に刻む事になりました。

 関西学院、青山学院の記念行事の一環としてお招き頂いたこの機会に、過去12年間に及ぶ青年海外協力隊隊員の努力、10年間に及ぶ「ジンバブエ野球会」の皆様のご支援、その他大勢の方々のご協力、それら全てに感謝と敬意を込め、個人的にも最後となるナショナルチームの指揮を執らせていただく事は、私にとっても、一つの集大成とも言える場であり、一つの区切りとなる舞台でもありました。

 今回の日本遠征を終えて、私のナショナルチーム監督としての国際試合の成績は、40試合13勝27敗、勝率.325。 ・・・いやはや、この成績では辞任も当然ですね。(笑)

 今回の日本での親善試合は、関西学院高等部、関西学院大学、オール関西学院、青山学院大学といった実力的には我チームより遥かに上のチームとの対戦でしたが、各チーム共にベストメンバーで対戦をして下さった事に、先ず感謝いたします。

 さて、ここで言い訳、内情、思い出話を含めた試合毎の私個人の所見をお話させて頂きます。

 

<第一試合:対 関西学院高等部 ★3-13>

 「相手は高校生だ、先ず勝って景気をつけよう」と何も知らない選手にはハッパをかけたものの、兵庫県準優勝チーム、こちらの先発は試合経験の少ないミルトン。万が一にも勝てるとしたら打ち勝つ以外にはない状況。5~6失点ならチャンスはある・・・かなぁ。

 しかし、勝つ為の野球を知っている日本の高校球児は甘くない、更に監督は百戦錬磨ベテランの広岡監督・・・でスタート。

 案の定、バント、盗塁、エンドラン・・・いいように弄ばれて、エラーも続出、まさに気が付いた時には「試合は終わってました」という感じの敗戦。チームにとって、大味なアフリカ野球では経験の無い事、観た事の無い事の連続、これは良い経験でした。

 指導者的には、この遠征で選手には色々な形の野球を経験して知ってもらいたい。今日の試合は夜のミーティングでのコーチ「爆発」には最高?の試合でした。お陰様で、選手の時差ぼけを吹っ飛ばすミーティングとなりました。

 芝川部長、広岡監督共に選手(生徒)の事に非常に細やかな御配慮をされていた事には感激しました。スポーツは一つの人間形成に於ける素晴らしい場であり、選手(生徒)の人生に大きく影響を及ぼします。(現に私は野球をやれたお陰で、アフリカに居ますから・・・)

 だからこそ、指導者は重要であり、大きな責任があると感じております。高等部の皆さんは良い環境で良い指導者に恵まれて幸せそうでした。更に、ご父兄の方々の暖かいサポートは羨ましい限りです。これは決して当たり前ではないことを選手の方々も理解して、この素晴らしい環境を十分生かし、野球に邁進して頂きたいと思いました。甲子園出場を期待しております。

 

<第二試合:対 関西学院大学 ★3-13>

 鼻から勝てないであろうチームに挑む。これは弱小チーム監督を長く率いた者の快感(凄い言い訳)かも知れません。 ただ、自分達の「野球」はしようぜ! 自分たちが今の力で納得できるイニングを9回の内に何度作る事が出来るか、それが今のジンバブエチームにとって凄く大切な事であり、将来チームが強くなる為の重要な布石でもあります。

 さすがに前日の敗戦が堪えた選手達は、「やる気」充分で望ませて頂きました。

   ただし、これまでジンバブエチームがアフリカで戦ってきた野球のスタイルを変える必要はなし、我々の野球が何処で通用して、何処で通用しないかをしっかり解ってもらえる最高の場であり相手。今後アフリカで勝つ為の勉強の場でもありました。アフリカの野球の場合、「勝った」「負けた」のみ。すなわち結果が全ての感が強く、結果までの過程が軽んじられがちな傾向にあります。例えば、「どうして勝てたのか?」「どうして負けたのか?」「勝てたけど納得のいかない試合だった」「負けたけど次に繋がるいいものもあった」というような「線」的な考え方に乏しく、どちらかと言うと「点」で考えていく傾向が強いと思われます。そこには良い悪いではなく、文化や生活習慣が影響しているのかもしれません。

 さて、試合は、あの優しい笑顔の坂田監督(坂田監督には、全てに於いて自分には無い野球監督らしさプラスその他を感じました)ご指導のチームにキッチリ負けましたが、今のジンバブエチームのコーチ的には良い試合ができたと思っています。そして個人的には、試合前のウォームアップ時に、私などが日本の大学野球チーム相手に、コーチというポジションで同じ土俵に立たせていただいた事に、一人感動しておりました。

 <注>関学大選手の皆様には下線部に一部ゴヘイがあるかもしれませんが、対戦チームコーチの個人的感想としてご理解下さい。私も大学野球は経験しています。

 

<第三試合:対 オール関西学院 ★2-5>

 スコアーだけ見れば、この試合が唯一野球らしい結果のものといえますが、内容的にはやはり完敗でした。5失点の内の4点は、四球で出塁の走者を野球で言う所の「キッチリ」得点されたもので、「こうやって点を取って勝つんだよ」、「これで負けるんだよ」と説明できるものを実際に形を見せてお教えいただいた、お手本のような負けゲームでした。

 ただ、やはり3試合目という事でジンバブエの選手も打撃は良くなってきていました。(が、これも第4試合で見事に打ち砕かれる事になります・・・)

 相手先発は本荘コーチ、まぁ、本荘さんは松下電器野球部のご出身ですから、私如きとダブらせては失礼ですが、何故か本荘さんが投げている姿を見て、12年前にジンバブエに赴任した時の事を思い出しておりました。

 12年前、ジンバブエ野球チームは全て白人。そんな所に極東の島国から野球コーチと名乗る東洋人がやってきました。当然ながら誰も聞く耳を持ちません。(聞いてもらえるほどの語学力もありませんでしたが)そこで、ナショナルチームに試合を申し込みました。今思えば、この試合はその後のジンバブエでの私の立場を左右するものでした。こちらはまがりなりにも日本の社会人野球経験者、絶対に打たれる訳には行かないという、これまでにない緊張感の中での投球でした。当時まだ28歳の私は力任せにストレートで勝負、2回まで6三振と何とか抑えましたが、既にばてばて・・・そこでカーブを投げてみたら・・・、実は「カーブ」当時のジンバブエでは誰も見たことが無い種類のボールだったんです。そこからは気分的に随分楽になり、7回投げてノーヒット。そこでようやくコーチとして認めてもらった時の事です。

 勿論、私の投げた当時の選手と、本荘さんが投げた選手は違いますが、「本荘さん、今どういう気持で投げているのだろう」と気になると共に、まだあれだけ投げられる本荘さんに脱帽でした。 浜田さんには、「本来は何処のポジションですか?」と聞くチャンスが無かったのが残念です。

 

<第四試合:対 青山学院大学 ★0-11>

 最終戦に厳しい相手です。しかし、最後の勉強には素晴らしい相手でもありました。私も一応、野球人の端くれとして、青山学院・河原井監督のお名前は存じ上げていました。まさか、試合をさせて頂く事になるとは・・・しかも監督は大変気さくで素晴らしい方。一応コーチの私ですが、いつの間にか、学生選手時代にタイムスリップした精神状態の私は、ただただ恐縮するばかり。

 試合前日の夕方に相模原到着、ホテルチェックイン後、青山学院野球場でナイター練習、何も知らない選手は前試合の打撃上向きを良い事に打撃練習に力が入る。「やったるぜ~」という気合は十分で、喜色満面で打撃練習終了。こちらとしても最後のゲームだから、もう細かい事を言ってもしょうがないと覚悟を決めました。正直なところ、試合になってくれさえすれば・・・。

 試合開始。

 青学は、昨夜のバッティング練習で更に調子に乗っているジンバブエの選手をたちどころに黙らすには十分の投手が先発。二番手の左投手も選手達が経験の無いスピードボールが容赦無し。獲られも獲られたりの16奪三振。

 とりあえず、3回までは試合らしく進むも、それ以降は・・・。

 

 全ての試合が、選手並びにジンバブエの野球にとって大変貴重で有意義な経験となりました。間違いなくジンバブエチームはこの一週間で強くなりました。ありがとうございました。

 

<余談>

 最終戦終了後、選手達が私に水を掛けようと追っかけてきました。慌てた私は自分の歳を忘れ逃げ回りましたが、多勢に無勢(何故かジンバブエの選手に混じって青山学院の選手も迫ってくる。それを見た瞬間、観念いたしました。)、結局捕まって洗礼を浴びる羽目に。その時、確かに足を滑らしましたが、特に痛みも無く試合後のレセプションを無事終了。ところが、ホテルに帰って暫くすると痛みで脚が動かない。診断結果は膝内側靭帯の損傷。今も足を引き摺る毎日・・・。

 更に、最終戦でミルトンが四球連発で降板。その後ブルペンで悔し泣きのミルトンを追い討ちを掛けるように叱咤する私の姿は、青山学院の善波コーチをして、「アフリカ人を泣かせている」と映り、その話は青山学院関係者に伝わってしまいました。(泣)

 私自身、毎日が興奮の連続の遠征でした。多くの方々にお会いでき、多くの方々と新たな関係を築かせていただきました。ここに改めてスポーツの素晴らしさを再認識いたします。

 選手達にとっても、最高の10日間だった事、確信しております。当然ながら、両校のお計らいにより、交流、観光といった様々な素晴らしい行事がございました。また、「ジンバブエ野球会」主催の暖かいレセプションも開いていただきました事、上記文章には詳しく書きませんでしたが、ここに改めて御礼申し上げます。

 最後になりましたが、関西学院、青山学院各関係者皆様の多大なる御尽力とご支援、暖かなお心遣いに、そして、ジンバブエ野球を支えてくださる皆様に、深く感謝いたします。

 今後とも、ジンバブエ、並びにアフリカの野球の普及と発展にお力添え頂けます事を期待いたします。