東京大学大学院 風間遥介さんからの質問とマンディ氏の返答
◎マンディ氏について◎
1:どのようにして、マンディさんは村井さんの活動のカウンターパートに選ばれたのですか?
1992年にジンバブエ野球ソフトボール連盟(ZBSA)に雇われて、最初の人口過密地域のコーチになりました。それは、黒人たちだけのためのコーチになることを意味していました。この時、ジンバブエ政府はZBSAに人口過密地域と地方の地域の黒人たちに、野球を紹介し発展させるよう指示をしています。1991年の時点で、ZBSAは私に対して、兵士や教師向けの指導講習会で、実演するように要請していました。村井さんがジンバブエに来られたとき、村井さんの最初の役割は、白人たちだけで所有し運営されている成人の野球チームを指導することでした。それらのチームは、月曜から木曜日は夕方5時から7時まで練習し、ピッチャーの指導は土曜日だけというもので、村井さんにとって物足りないものでした。村井さんは、代表チームのアシスタントコーチにも選ばれましたが、このチームも全員白人のチームでした。その後、村井さんは、黒人居住区での私の活動に参加することを希望しましたが、その時村井さんは、私が村井さんに話すことを信用しないよう強く忠告されていました。その後、村井さんは私をJOCVが支援する活動のカウンターパートに選びましたが、それはZBSAの意思に反することであったので、私は結果として1993年の12月にZBSAを解雇されました。その時から、私はジンバブエの黒人たちに焦点を絞った日本の野球普及活動の支援を続けています。
2:どのようにしてマンディさんは、ZBSAの会長に選ばれたのですか?
連盟は、いくつかの州の連盟から構成されており、その州の連盟の代表が年次総会で連盟の役員を決める選挙権を持っています。私が会長に就任したときは、唯一の会長候補者として選ばれました。州の連盟は、私の今までの経験と野球とジンバブエの人々に対する愛について、確信と信頼を寄せてくれました。
3:ZBSAの活動は、ボランティアですか、それとも本職ですか?
この活動は、ボランティアです。連盟は、人を雇ってフルタイムで活動に従事させるだけの資金を持っていません。規約の条項では、指導部はボランティアだけになっています。
4:マンディさんのご家族について詳しく教えていただけますか?
私の妻は、ビアンカ・チマニキレで高校の教師をしています。子供は、イタイという名前の可愛い娘が一人いて現在高校生です。
5:マンディさんは、子供の時、いつ野球を始めましたか?
私が高校生で16歳だったときソフトボールをやり始め、今もやっています。私の高校は、クランボーン高校で男子校でした。当時、ソフトボールをしている唯一の学校でした。
◎ZBSAについて◎
1:ZBSAのネットワークについて
1/1 <スタッフについて>
1/1/1 ZBSAのスタッフは何名ですか?
(質問の意味が理解できたかどうか不安なのですが)現在、役員は全てボランティアで、私が5人のフルタイムの州のコーチを活動させていますが、彼らの生活のための手当は私自身が行っている事業の中から払っています。
1/1/2 そのスタッフの中で、黒人のスタッフは何名ですか?
現時点では、役員から選手まで野球に関わっているメンバーは全て黒人です。
1/1/3 1992年以来スタッフは何名増えましたか?
答えるのは難しいです。
1/2 <野球チームについて>
1/2/1 ZBSAに登録しているチーム数は?
14チームです。
1/2/2 そのうち黒人チームは何チームですか?
全て黒人チームです。
1/2/3 1992年以来、チーム数はどれ位増えましたか?
中学が300チーム 高校が379チーム クラブチームが22チームです。
1/3 <下部組織について>
1/3/1 ZBSAの下部組織はいくつありますか?
中学と高校です。
1/3/2 1992年以来、下部組織はいくつ増えましたか?
中学が300チーム 高校が379チームです。
1/4 どうして、ZBSAは黒人を野球のメンバーとして受け入れたのですか?私は、以前ZBSAは白人スポーツとして野球を発展させたいと願っていると、本で読んだことがあるのですが。
ZBSAは、国のスポーツ連盟であり、それは、ジンバブエに住む人々、特にジンバブエ人全てを代表することを意味します。それ故、黒人たちも野球というスポーツ活動に加わる権利を持っていますし、黒人たちこそジンバブエの土着の民族なのです。白人たちは、野球を道具として使って、自分たちと他の有色人種の人々を区別し差別しようとしました。それは白人たちが、自分たちはより優れた人種であると考えていたためであり、野球はエリート階級(白人)のためだけのものであったのです。
2:ZBSAの活動について
2/1 ZBSAでは、いくつのHIV/AIDSセミナーを提案実施してきましたか?
2009年以来、ZBSAは、野球の公的な集まりの際には必ずHIV/AIDSに対する認識を高める側面を含めることを決定し、ウイルスやジンバブエ社会への有害な影響についての理解を高めてきています。今年は、120回のHIV/AIDSに関する討論会を行いました。44回は指導講習会で、その他は様々なチームの練習の機会に行いました。
3:ZBSAのHIV/AIDSセミナーについて
3/1 マンディさんは、どうしてHIV/AIDSセミナーを始めたのですか?
2007年まで私が野球をしたり教えたりしている経験の中で、たくさんの選手、技術役員たちがHIV/AIDSが原因で亡くなりました。野球の普及活動は貧しい地域社会で行われてきていて、そのような地域はウイルスによって一番影響を受けているのです。それ故、AIDSに関するより多くの情報や支援が必要とされています。これらの地域に住む人々は大部分が貧しく、テレビ・ラジオ・新聞などのメディアの情報も十分でなく、読書の習慣もありません。教育水準も限られており、家庭の崩壊や離婚などもよく起こっています。私が気づいたのは、野球は余暇や楽しみだけのものではなく、人間がかけがえのない存在として前向きに成長していくための道具として用いることができるのではないかということでした。
3/2 Maxwell and friends foundation(マックスウェル友好財団)のような団体からどのように支援を受けていますか?
そのような団体からの支援は、ボランティア活動と共通の目的を目指した提携を通して、お互いを讃え合うことによって生まれます。
3/3 予算はどのように得ていますか?
これらの(AIDSに関する)意識向上運動は、特定の予算はありません。指導講習会開催を支援するジンバブエ野球会に頼ったり、野球道具を寄附したり、私自身や他の講習会や試合や大会を運営する学校からの基金や、その他の寄附に頼っています。
3/4 どこで、どのくらいの期間HIV/AIDSのセミナーを開催していますか?
ZBSAは2009年以来、HIV/AIDSに関する教育・意識向上運動にずっと取り組んでいます。