高橋治先生は現在75才。伊藤の小学校時代の恩師でもある。尼崎北リトルリーグを創設し、一昨年兵庫播磨リトルリーグを引退するまで、多くの小中学生に野球の楽しさを伝え、プロ選手をはじめ、多彩な人材を育てて来た。その間、グアムの人々と野球を通して交流を続け、グアム議会から日米親善功労者表彰も受けている。今冬、48回目のグアム訪問を前にして、先生の思いは・・・。

 

遠いあの日

リトルリーグ指導者 高橋 治

 

身に浴びる歓呼の中に母ひとり 旗をもふらず涙ぐみおり

 

これはグアムの太平洋戦争戦没者墓地で見かけた短歌である。私がグアムを訪れること47回。必ずこの墓地へお参りし、戦没者の方々の霊をなぐさめることにしている。

 

年間、何十万人という日本からの観光客が訪れるグアムであるが、この墓地を訪れる人はごく稀である。2400kmも離れたこの異境の地で、日本のためとはいえ尊い命を捧げた多くの将兵の気持ちを考える時、ここを素通りすることはできないのである。

 

私も18才で海軍を志願して兵役についたが、出征の日、神戸で両親と別れた時のことを想い出す。

 

白米も砂糖も小豆もなかなか手に入らない時に、どこで調達したのか、重箱にぎっしりと大きなおはぎが詰め込まれていた。神戸駅の南の広場の片すみで親子3人が腰をおろし、心のこもったおふくろの味をかみしめていた。3人はただ黙って食べていた。ふだんから口数の少ない父が「お父さんらも頑張るから、お前もな」。これが父の最後の言葉だったと思う。「体に気をつけるんやで」と母の言葉。やがて集合の合図で両親の元を離れ、「万才」「万才」と見送りの人々の声に送られてプラットホームへ。ふと振り返り、両親をさがす。遠くで父が手を振っているのを確かめたが、母の姿は見えなかった。

 

この詩を見るたびに、あの神戸でのシーンが目に浮かび、涙がとまらないのである。