野球の原点

池村政彦

 

「ジンバブエに行ってくれないか」と上司から切り出されたのは、1999年3月末の事でした。「出張ですか」と尋ねたところ、「いや、2年間の駐在だ」との答え。「2、3日考えさせて下さい」とは言ったものの、上司命令であるジンバブエ駐在を受けざるを得ないのはその時点で判っていました。

 

1994年にジンバブエに出張した経験がある私にとって、ジンバブエでの仕事や一般生活に対して大きな不安はありませんでした。上司の打診に即答できなかったのは、家族が海外での生活に順応できるのか心配だった事と、大好きな野球から2年間も離れてしまう事が寂しくて仕方なかったためです。幸い家族は駐在に前向きでしたので、あとは素振りとキャッチボールで野球の感触を忘れないようにと考えて、別送荷物にバットとグローブを詰め込んで日本を出発しました。

 

ジンバブエで野球と出会ったのは、ハラレに到着してから3週間目の事でした。年に一度の日本人会ソフトボール大会に参加したところ、運営を手伝っていた協力隊員から協力隊ソフトボール大会に誘われ、そのソフトボール大会で今度は野球隊員からジンバブエ・ナショナル・チームとの練習試合に誘われました。ジンバブエで野球が出来るとは夢にも思っていなかった私は迷う事なくその誘いに乗り、喜び勇んで練習試合に出掛けました。

 

練習試合で最初に私を驚かせたのは、ハラレ・ドリーム・パークでした。地球の裏側の、野球不毛の地と思っていたジンバブエに、日本と比較しても遜色のない立派な野球場がありました。その時点ではジンバブエ 野球会の事は何一つ知らず、立派な野球場がある事を不思議に思うだけでしたが、帰国後にジンバブエ野球会の活動経緯を知りました。

 

 

 

見知らぬジンバブエの地へ思いを馳せ、幾多の困難を乗り越えて野球場建設を実現された関係者の熱意と努力に、ただ頭が下がる思いです。

 

ジンバブエ・ナショナル・チームと試合をして感じたのは、彼らが野球を心から楽しんでいるという事でした。彼らの実力は高校野球の一回戦ボーイ程度の印象でしたが、点差が大きく開いても常に一生懸命プレーしており、打つ、捕る、投げるといった一つひとつのプレーでさえ十分楽しんでいるように見えました。ボテボテの内野ゴロでもヒットになれば嬉しがり、凡打になると思い切り悔しがり、アウトを取ると全員で喜びあう。そんな彼らの姿は、チームの勝利を目指して気持ちを押さえながら冷静にプレーする事を心掛けてきた私にはとても新鮮に映りました。

 

試合をする以上は勝つ方が嬉しいに決まっているので、チームの勝利を目指してプレーする事は正しいと思います。しかし、ハラレ・ドリーム・パークで一つひとつのプレーを素直に楽しむ彼らの姿を見続けているうちに、これこそ「野球の原点」でより大切にしなければならない事ではないかと感じるようになりました。私たちも野球を始めた頃はバットにボールが当たっただけで嬉しく、ゴロやフライを捕るだけで楽しかったはずです。そんな気持ちがあったから毎日のように夢中でボールを追いかけて、どんどん野球を好きになっていったのだと思います。ジンバブエ・ナショナル・チームとの試合を通じて、私が忘れかけていた「せっかく大好きな野球をしているのだから、勝利に執着するだけでなく最大限に野球を楽しむ」という気持ちを思い起こす事が出来ました。

 

 

 

私に野球の原点を思い起こさせてくれたジンバブエ・ナショナル・チームですが、スピードやパワーなど身体能力は高いものの、まだまだ発展途上の感は否めません。個々のプレーの質を高めることで、彼らはもっ と野球を楽しめるようになる余地があります。そのためにはきちんとした指導者の下で練習を積む必要がありますが、残念ながらジンバブエにおいて野球はまだまだマイナーな競技であり、環境が整っているとは言い難い状況です。

 

ジンバブエ・ナショナル・チーム監督の村井さんや野球隊員達が頑張っておられますが、ジンバブエ協力隊は残念ながら規模縮小の方向にあるようで、当面はますます厳しい状況に陥ると思われます。今年3月の大統領選挙に対する批判が強まって国際協力が縮小される中では、すぐに事態が好転する事は期待薄ですが、ジンバブエ野球会の理念通り、「ゆったり気長に応援する」ことを肝に銘じ、長い目で見守っていきたいと思っています。

 

さて、私の第二の故郷とも言えるジンバブエですが、経済の混迷がますます深まっているようです。大統領選挙不正を契機とする国際協力の縮小、コンゴ派兵継続による外貨不足、外貨不足に起因する異常なまでのインフレ、経済の低迷による50%を超える失業率、農場分割による生産性の低下、干ばつによる食糧危機の懸念等々、心配事を数え始めると切りがありません。

 

陽気で人の良い愛すべきジンバブエの人々の生活がこれ以上苦しくならないように、そして、ジンバブエの野球を愛する人々がこれからもずっとプレーを続けられるように、遠く日本の地より願って止みません。

 

(池村政彦さんはマツダ株式会社、元ジンバブエ駐在員)