野球の底力?

ジンバブエ野球会 伊藤益朗

 

 昨年の東日本大震災のあと、東北楽天の嶋選手会長の「今こそ見せましょう、野球の底力を」という言葉について、思うところを話してみないかという機会を友人から頂きました。以下はその時のまとめです。

 

 「野球の底力」は、それまで聞かなかった言葉ですが、野球選手らがよく言う「勇気を与える」という言葉と、どこかで繋がっていると考えます。

 被災者や辛い状況にある人が観戦後感動して、「勇気をもらった」ということはあると思いますが、好きな野球をする側から「勇気を与える」と言うのは、私にはおこがましく気恥ずかしくて、言い辛い言葉です。

 東日本大震災以後、最もその「勇気を与える」ことが出来たのは、なでしこJAPANかと思います。決勝のアメリカ戦、後半残り僅かの時点で勝ち越されましたが、僅かな時間にも拘らず、焦らず落ち着きながらも精一杯に攻めました。最後にコーナーキックから澤選手の同点ゴールが生まれ、最終的に優勝しました。勝ち越された時点からこのゴールまでの間、誰か一人でも諦めたり焦ったりしていてはあのゴールは生まれなかったように感じました。その見事なプレー振りに日本中の人がまさに勇気付けられたと感じました。

 しかし、勇気付けるには勝つことが必須なのでしょうか。「結果がすべて」と言うスポーツ選手の談話もよく聞きますが、本当に人を勇気付けるのは「取り組む姿勢」だと私は考えています。

 小学校の運動会のかけっこで、1等賞でも、3・4位でも、例え途中で倒れても立ち上がって最後まで走り切った姿にほとんどの親達は感動します。ほんの数年前に、つかまり立ちした、3歩歩いた、言葉が分かるようになったと喜んでいたその子供が、今はこんなに成長し、懸命に頑張っている姿に感動するのです。

 一方、私が野球部のコーチをしている高校生以上では、試合当日の懸命さだけでは人を感動させるには不充分です。一定以上の思い入れと練習量の下地が必要です。そこにはいい男を育てる教育力を備えた活動が必要です。

 良い戦いをする為に、こんな男に育って欲しい、こんなチームになって欲しいという事を今、思い付くままに並べますが、これらは人に勇気を与える要件とも重なると考えています。

①    どんなゲームであれ目の前のゲームに全力を注げるチーム、選手

②    くっきりしたチーム。メンバー全員の意識レベルが揃っている

③    グランド状況が悪くても、やると決まれば、時には水溜りも何のその、飛び込むことも厭わない奴

④    よく気が付き(2塁ランナーにスキあり)、人に提案し(牽制サインを出し)、実行できる奴

⑤    ただ受止めるだけでなく、自分の気持ちを伝えられる奴(ワイルドピッチの連続を必死で止めてアザだらけになるだけの捕手より「しっかり投げろ」と言いつつその後も必死で止める奴)

⑥    自分のプレーイメージと実際のプレーとの一致不一致に気付き、対応・修整できる奴

⑦    自分のプレー内容に気付き、言葉で表現(明確化)したり、記録(資料化)できて、感覚を体に留められる奴(定着化)

⑧    ゲームへの取り組み方の仕組みを理解する奴

 これらが出来る人は勝っている時のみならず、チームや社会がピンチの時も、今すべき事、出来る事に誠実に取り組み、社会の一隅で、時に「人に勇気を与え」、「社会の支えになる」に違いありません。

 

 マンディ氏らの野球普及活動が、開発途上のジンバブエ社会を支える人材育成にもつながることを願っています。